アラカンというステージにステップアップし
その造語に違和感を感じたのはかれこれ何年前になるでしょうか?
まだ60歳なんてまだまだ先と思っていたのも束の間
あと数年で60才、年金受給年齢まであと10年
という人生のゴールが視野に入ってきたように思います。
とはいえ、現在のインフレ社会の中で暮らして行くには
基礎年金だけでは当然物足りず、死ぬまで働き現金収入を得続けることが
大方は当たり前であり、塩を舐めて一日一合の米だけで暮らすのならば
特段働くことは必要ないかもしれないけれども・・・・
普通車の自動車税を4月に払い、2年毎の車検を受けて、
リッター200円のガソリン50Lを片道分入れて
登山に遠征に向かうようであるならば、高速代とガソリン代で
往復一日では大凡4万円分の交通費の予算は必要であり
例えテント泊しても交通費は変わらぬ訳であり、まったく山登りが趣味というのは
温泉旅館に泊まりに行くという金の掛かりようとまではいかないけれども、
それなりに金はかかりますよね。
それを実現する為には基礎年金だけでは、無理なのは分かっているので、
やはり山登りのためには、止む得ず現金収入を得るための老後の労働は
今から覚悟をさせられます。
あと10年、なるだけ貯金をして老後の山登り三昧に備える必要があるのです。
もう10年しかない。
3650日しかないのだと思うと・・なんだか長いと感じるよりも
もうそれしかないのか?という短さの感情の方が強いように思います。
私の目標は、65才になったら60Lザックを背負って日本一周ではないけれども
仕事を10日休んで、10日歩き続ける。
そしてまたしばらく懸命に働き、また10日休んで、自宅から道路を歩き始めて駅まで辿り着き、
電車で更に遠征してから・・・どこかのマイナーな山道でもどこでも歩き続け、
その日の宿泊は無料キャンプ場でツエルト泊をして・・・。
そのうち体力に余裕が生まれてきたら、一眼レフカメラに単焦点レンズを一つだけ付けて
思い出の風景を切り取りながら歩ければと思っています。
時に暑い時の夏は北海道へと歩きに出かけ。
寒い冬の季節は九州や沖縄一周を歩き。
時に春には桜を眺めながら熊野古道、そして四国八十八ヶ所巡りをして。
そして涼しく感じる紅葉の季節には海沿いのルートを左に色付きと落葉を眺め、
右には良寛上人が眺めたであろう煌めく海を傍らに、
飽きるまで歩き続けるというのも良いかもしれません。
時折、山から滲み出る水を浄水器でろ過してしゃがんでいると・・・
もしもし?・・・ちょっとよろしいでしょうか?
目にチカチカする赤い光が見えたと思ったら声をかけられました。
本日は、どちらに向かわれるのですか?
危険物がないか調べさせていただいてもよろしいでしょうか?
身元保証人や家族の連絡先などは・・・
などと
もしかして、徘徊老人・不審者として職質を何回も受けるかもしれませんけど・・・
あー65才のセミリタイアの年齢が楽しみすぎる。
あと10年3560日で私の念願が叶う。
もしかしたら・・・ですが・・・仕事が全く無くなったら、
365日歩けるかと思うとワクワクが止まりません。
今思えば、人生が過ぎゆくのは年齢が進む毎に加速度的に早く感じるようになり
若かりし学生の頃の「一日が長げ~なぁー」という感覚が懐かしくなります。
きっと65才になった時には、えっ!?もう65才になったんですか?
といふうに口から漏れているかもしれません。
寂しいって何?
悲しいって何?
仕事に忙殺されて、精神と感情とそちらに持っていかれ続けて、
愛するって感情は忘れてしまいましましたか?
卑しい心は、いま持って健在ですか?
優しさの感情は忘れていませんよね?
地下鉄の駅を一つ乗り過ごす、ちょっとした心の冒険心は忘れていませんか?
ちょっと遠回りしてみて、美味しいコーヒーを出すカフェを探す心のゆとりは、
その時でも、まだ残っていますか?
困っている人を見かけたら、何かお手伝いすることはありますか?
という、ささやかな気持ちは残っていますか?
などと自分に問い直し、繁忙で忘れかけた本来の自分の感情を取り戻す努力をしてから
年金受給生活を始めなければならないかもしれません。
今思う、人間の心がその時に薄まっていないことを願って、
このブログにその記憶を記しておきたいと思います。
出来れば10年後の自分
65才の時には、作詞と作曲が自作出来ていますように。
と願いつつ、アラカンになって久しいという記事でした。
本日も最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。