時代という変遷シリーズ 罰から治療ヘ    | 独学の道Ⅲ

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自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。
仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。
By幸田露伴(努力論より)

勝手にタイトルを作ってしまった「時代という変遷」シリーズ

 

はて!?

 

時代が今に至って、何が違ってきたのかですが・・・・

 

それは「罪と罰」です。

 

罪を犯せば罰せられるのは、今までの常識。

 

しかしこれからのネオスタンダードは、治療になっていくのです。

 

「犯罪者は治療を行う時代へと」

 

 

 

人のものを盗む行為。

 

今ではそれを、

 

クレプトマニアと称し云われており、国民の0.3%~0.6%存在していると云われています。

 

国民1億2千万人の中で、7百20万人もの潜在的(犯罪者予備軍)患者数がいる

 

ということになるのだろうか?

 

 

イスラム教では、ごく最近まで、同性愛者は石打ちでの処刑を行われ、

 

また窃盗犯は手足の切断という罰が与えられたという。

 

 

日本では、窃盗罪は、被害額プラス20万円を支払う事によって、

 

大凡手打ちとなっている時代らしい。

 

それもどうだろうかと首を傾げてしまうが・・・・

 

 

 

しかし、窃盗という罪は、専門家は病気の範疇であると分類され・・・

 

そして窃盗は、癖であり、病気なのだから・・・治ると考えられているらしい。

 

 

鎮痛剤系オピオイド薬物中毒で自動車事故を起こした世界的に有名なタイガー・ウッズも、

 

ヤク中も治療すれば、現役社会復活が出来るのだと世界に証明してみせた。

 

 

それには強い意志と、正しい教育が必要であったことは言うまでもない。

 

アメリカ人が治ったというエビデンスをそのまま日本に持ち込んで

 

本当にそれは可能なのだろうか?

 

 

クレプトマニアの治療は、

 

心理療法・薬物療法・作業療法・生活環境調整

 

という面から各人に有効的なアプローチを行って、

 

再犯罪を減少化しようという試みで現在行われている。

 

 

以前の昔には知的障害、境界知能という考え方や見方はなかった。

 

 

罪を犯すものは、遺伝的に劣等種とされ、排除されるべき対象であるとする

 

ナチスドイツの断種法に似たプログラム的背景が世界の常識の根幹にあった。

 

 

最近の、東大からの報告では、動物や人間に無害であるとされる殺虫剤のネオニコチノイド系成分が

 

実は、幼児の脳の発達に関係し、好奇心を消失させて

 

発達障害などの知的機能低下を作るのではないかとも考えられ始めている。

 

つまり、1990年代以降の米や野菜を食べると

 

子供の脳の発達障害や統合失調症などが起こりやすいというのだ。

 

そして成人しても、結婚をしたくない。

 

子供を作りたくない。

 

子育てをしたくない。

 

自分一人で生きていくだけで精一杯。

 

めんどくさい事はやりたくない。

 

そういう気持ちにさせられているのは、

 

全て食事から入る農水省で云う所の・・・人体に無害と云われる適正許容濃度の農薬の影響らしい。

 

我々は毎日その適性許容濃度以下のネオニコチノイドを接種して

 

判断能力の欠如が発生し、無意識に

 

煽り運転を行い・・・、

 

窃盗、暴力などへの抑制力が弱くなり、

 

ちょっとした動機によって、結果的な犯罪を犯してしまいがちになるそうな・・・。

 

 

それらには、罰ではなく、治療が必要だと考えられ始めているというのが時代の変遷の一つでもある。

 

 

治療といえば、LGBTQ+の人々は、治療が難しい。

 

 

子宮のある女性が男です。

 

と言われて刑務所にはどっちに入れればよいのか?

 

男性器を摘出しないで、女です。

 

と言われて女性専用車両に入って痴漢を行った場合には、実際どうすればよいのか?

 

女性風呂に入ってきた場合にはどうするのか?

 

6ヶ月以下の懲役という罰なのか?・・・それとも精神治療なのだろうか?

 

アメリカはLGBTを辞めて、男女の性別に戻した。

 

日本も人手不足の中で、男女に戻した方が、色々と市役所などでは効率が良いのではないだろうか?

 

「人類は無限の柔軟性を持っている。未来のことはわからないけど・・・」

 

とツール・ド・フランス覇者 グレッグ・レモンは云うから

 

きっと今のLGBTQ+の別を分けない日本の多様性を求める文化の舵取りは

 

間違ってはいないと思うけど・・・

 

こういう判断も未来への答えの第一歩なのだろうか?

 

先日も、猪苗代湖ボート事故の裁判で、ボートのプロペラでバラバラになって死亡した子供と

 

両足が切断された母親の事件で、〇〇◯被告が無罪になった。

 

???( ˙-˙ )え?

 

人を殺して無罪という判決。

 

裁判官は・・大丈夫か?

 

殺人が無罪の時代に突入してしまったのだ。

 

 

2024年12月16日 20時06分 

福島 猪苗代湖 ボート操縦で3人死傷 2審は無罪

 

渡辺英敬裁判長 が判決する。

 

私は、この日本の今の常識がどうしてもおかしいと思ってしまいますが

 

問答無用に時代の常識は、変わっていっています。

 

 

人のものを盗むのは病気だから治療を行う。

 

人を殺したのは、殺意がないし、そもそも予期できなかったから無罪。

 

被害者の悲しい心理は置き去りや、もう終わったことだからと被害者のことは無視をして、

 

加害者の未来を保護・養護する考え方。

 

 

ガイアシンフォニー第3番に出てくる

 

星野道夫の熊に食われて、命は有機的に繋がっているから、

 

その不幸な事案も地球的に見れば幸せ・・・の世界観じゃないんだから・・・・

 

と私は思ってしまう。

 

 

昔のバビロニア人ハンムラビ王が云った・・・

 

目には目を歯には歯を

 

という同害報復の原則は、今では古いのかもしれないが

 

人を殺して、殺意がない・・予期できないことだから無罪である。

 

 

人様から何度も盗んで、医療行為による治療が行われる。

 

というのも、時代が変貌しているのだから当たり前の常識と言われても・・・

 

なかなか納得できない自分がいる。

 

 

日本に流入している移民が過去最高であり、

 

観光客も日本を気に入って移住を決めたという風潮も益々右肩上がりになるだろう。

 

そんな中で、犯罪も増えていく中で、被害者が口を塞がれ、加害者が何度も犯罪を繰り返し

 

外国人は警察署でも通訳を雇うお金がないから、なるべく逮捕しない。

 

日本の刑務所は、日本人の為であり、外国人を日本人の血税で入れるための場所ではないから

 

という理由で

 

不起訴を繰り返しながら、外国人が存在するカオスな日本の治安も如何かとも思う。

 

刑務所がいっぱいだから、病院で治療させようという試みは、

 

何だか歪んだ上の人々の勝手な意向であるように私には思えてしまう。

 

 

はてさて・・・・

 

何が正しくて、何が間違いなのだろうか?

 

 

本当に窃盗は病気なのだろうか?

 

それとも、警察や刑務所の事情によって軽犯罪が、病気として捻じ曲げられてのではないだろうか?

 

と勘ぐってしまうのだ。

 

 

そんなことを今日は考えています。

 

 

 

最後まで御覧いただきましてありがとうございました。