現代哲学を利用した見方 | 独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。
仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。
By幸田露伴(努力論より)

誰もが嫌な言葉・・・哲学。

 

そんな学問の3つの言葉を使って、今日は今週の話題について述べていきたいと思います。

 

言葉の恣意性

 

現象学と現象学的還元

 

エポケー

 

という言葉を、説明と個人的認識で書いていきたいと思います。

 

 

 

まずは言葉の恣意性という事ですが、蛾と蝶の祖先は同じチョウ目(鱗翅目)ですが

 

器官と生態が異なることで、それを恣意的に昼に行動する分類をチョウと呼び

 

夜に行動する分類をガと呼ぶようになりました。

 

それらは本当にチョウなのでしょうか?

 

ガなのでしょうか?

 

既にここに日本的恣意性の罠が隠れています。

 

お判りでしょうか?

 

蝶とチョウでは、読みは同じですが表記が違います。

 

しかも、日本の先人が凄いと思う事は、

 

蛾をガと訓読みでも音読みでも同じにして読ませていることです。

 

(参照は「蝶」と「蛾」、 butterfly と moth をめぐって

 

話しは少しズレますが、中国語で蛾のことを、眉の美しさを表し、

 

最終的に美人を表すようですが、日本人的感覚からは、どうやって美人に結び付くのだろうか?

 

と、中国人の恣意性にも興味が出てきます。

 

つまり経済言葉で、株式市場で今週は混乱しています。

 

暴落と呼ぶのか?ショートと呼ぶのか?調整と呼ぶのか?リセッションと呼ぶのか?

 

もしくは、買場が来た、買い増しチャンスと呼ぶのか?

 

はてさて、これらの言葉と云うのは、

 

今使う言葉なのか?

 

それとも時間的経過と共に結果的にそうだった事を先取って呼ぶのか?

 

の違いによる言葉の恣意性を感じてしまいます。

 

 

発信者が意図して、そう仕向ける為に使う煽り言葉なのか否かを判断するのに

 

自己責任と判断力が求められるのが、株式市場です。

 

 

NISAを始めてみようと思って、とりあえずやってみた人たちにとって、

 

この言葉の恣意性を知らないと、株式投資という事よりも、株式投機の意味合いが大きくなって

 

損切による大損をしてしまう事にもつながりかねません。

 

 

現代において、それぞれが、自分で考えることの習慣が出来なくなっており、

 

ユーチューブやセミナーなどで、人に聞いた情報に惑わされている人がほとんどでしょう。

 

かく謂う私もその一人ですので、気になったところです。

 

 

次に現象学ですが

 

毎日、仏壇の前でご先祖様に手を合わせている方々はどれ程いらっしゃるでしょうか?

 

そして、神社仏閣などに赴いて手を合わせたり、または

 

新年のお祝いでお正月に神社仏閣で手を合わせている方々はどれだけいるのでしょうか?

 

多くの日本人には、先祖から続く習慣の一つとしてそれらは備わっており

 

神社に行って、神社の建物に頭を下げるのではなく、

 

今は出先で、いつもならそこに居るであろう・・・

 

居るはずの見えない崇尊する何かを仮想されていることでしょう。

 

それが、無意識的認識というものであり、

 

ある意味では洗脳完了とも表されるかもしれません。

 

登山中に霧が出たり晴れたりして、そこにたまたま太陽が当たると

 

ブロッケン現象と云う面白いことが起こります。

 

回りに何十人もいるのにも関わらず、自分1人の姿しか見えず、また五光が見えるのです。

 

そして、そこに信心深い人は、神を見たと言います。

 

見たことのない人にとっては、嘘をついているようにしか聞こえませんが、

 

世の中には不思議な現象がいくつも存在していますが

 

それを認識できる人と認識できない人がいる訳です。

 

 

隣に美人の奥さんが居たとしても、誰の目からもその人は美人に見えるのに

 

隣の夫からは、鬼にしか見えないというのは、認識の違いによるもので

 

また、目の前にヘビが居たとして、山菜取りをする私にとっては、

 

ある意味でヘビも食料になり得るので、恐るべきものと云うよりは、今日は捕らないけれども

 

食糧難になったら食べるであろう食べ物であり、マムシなどの毒が強いヘビほど

 

貴重な山菜と一緒にしか見えませんが

 

嫌いな人にとってみれば、キャーと云って逃げてしまう存在かもしれませんし、

 

カンの悪い人は、全く知らなかった、見えなかったと言うかもしれません。

 

つまり、認識の違いが現象学であり、

 

そこに本当にそれがあるのかの認識は人によって違うことが分かる事例です。

 

そこで、博物館や爬虫類館に赴いて、生態や実態を知るという

 

客観的視野に立つことによって、ある人は恐怖の対象から

 

興味の対象であったり、認識の変化が現れることがあるでしょう。

 

客観的に見る目線と云うのが、現象学的還元と呼び

 

認識の変化を起こすことが出来ます。

 

株をしたことのない人にとって見れば、今週の現象は意識にも上らないだろうし

 

1億円も投資している人にとって見れば、ベンツ1台分は評価損失したことになり

 

エライことです。

 

我々は、今週の日本株式市場の下落について、ユーチューブを見ることでしょう。

そうすると、評論家やアナリストが、その原因をそれぞれの角度から教えてくれます。

 

なるほど、そういう事だったか?という客観的視点を知ることで、

 

現象学の還元という手法に於いて、また安心してしまうのです。

 

 

では、それで良いのでしょうか?

 

 

そこで、出てくる言葉がエポケーです。

 

エポケーと云う言葉は、カッコに入れると表されます。

 

つまり、果たしてその認識は安心するで終わりで良いのでしょうか?

 

ちょっと待てよ、

 

一旦カッコに入れておいて、もう一度違う目線から分析してみよう、

 

計算してみようという目線を言います。

 

 

まずは、日本政府としてみればこの局面はどうなんだろうか?

 

アメリカ政府にとって見れば、どう見えるんだろうか?

 

私個人としてはどうなんだろうか?

 

実態企業(輸出入・国内企業目線)とすればどう見えるのだろうか?

 

そもそも、株式投資に意味はあるんだろうか?

 

下落局面は、ある意味では買い目線という事でもあり、

 

暴落は、どこから始まったのか?

 

つまりFRBやアメリカの雇用統計などの情報で一喜一憂による振れ幅だったのか?

 

リーマンショックのように、銀行株から始まったのか?

 

それともIT企業の業績不振などによる市場の変化が発端だったのか?

 

などのように、もっと俯瞰的視点から疑って分析してみる行為をエポケーと呼びますが

 

そこで肯定する思考があるならば、志向性に考えが変わって進むのでしょう。

 

志向性はまた次の回に・・・ゲロー

 

 

 

本日は、脳を思考停止しないようにと、少し哲学の本を読んで言葉を探してみたところです。

 

昨日の地震においても、東南海地震との関連性があるかもしれないという

 

エポケー的な表現が、今までの気象庁と違う表現だったなぁーと思っているところで

 

本格的に気象分析の裏方では、反証を繰り返していることでしょう。上差し

 

 

 

めんどい記事を最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。バイバイ

 

爆  笑

 

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