少し昔を語りたい | 独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。
仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。
By幸田露伴(努力論より)

長男としての責任を果たすべく田舎に戻ってきたのは、かれこれ25年前になるだろうか?

 

初めて都会に出て、ズーズー弁の田舎言葉を弄ばれ、半ばトラウマになりかけた若かりし頃

 

ようやくニワカ横浜弁を話せるようになってきました。

 

語尾に○○じゃんと着ければ、大体はサマになることを知り実践したのです。

 

あとの何とも言えない言葉の奥にへばりつく・・・いわゆる鼻にかかるなまりというものは

 

早口で歯切れを良く発音することで、大体は誤魔化せたような気が

 

自分では・・していました。

 

 

そうこうして数年、学生期間を経た後に就職すると、

 

もはや自分がなまり持ちだとは感じずに

 

逆に相手の訛りが気になるほどでになっていたのです。

 

都会とは、さも恐ろしい所で、人の言葉や行動や考えさえも・・・・

 

何でも時間と共に飲み込んで、そこの場所の色に染めてしまうきらいがあり、

 

許すといつかしらそれに染まっているのです。

 

外国人だろうが、九州人だろうが、黒人であろうが隔たり無く接して、

 

日常が時間通りに狂いもなく飲み込まれ、気が付けば過ぎ去ってしまっていた年月。

 

 

ある意味での田舎での、あの町、隣村出身などと云う小さな地域差別や方言差別、

 

ましてや地方出身差別などは、もはやここには薄まり過ぎてないも同然なのです。

 

 

人間的寛容性が都会にはあり、まさに都会はいつ起きて、どんな風体で、どんな衣装で

 

いつ出かけても気にならないし、誰も気にしないという

 

過ごしやすさがあったおかげか・・・私は仕事を3つ掛け持ちして忙しくしていました。

 

 

朝の仕事、夜の仕事、イレギュラーな仕事などで、生活リズムが狂ってしまい。

 

いつしか朝飯を食べようとすると、

 

胃袋が拒否反応を示し、おにぎりを口元に運んでも、食べられずに

 

仕方なく、そのまま昼を迎えるという身体になっていました。

 

ただ、働いていて金だけはあったから、学生ながらでも

 

2ドアクーペの外車を乗り、東京都大田区に住んでいる時などは

 

アホみたいな駐車料金を払ってまで車を乗っていたことを思うと

 

田舎暮らしが長い今となってみると、

 

あの時に貯金をしていれば、どれだけ貯まっただろうかと冷めた目で振り返ってしまうのです。

 

 

時間の流れは一方通行であり、巻き戻しが出来ない事を

 

あの時は知るすべもなく、欲望が生きる上で最優先であったことは懐かしい。

 

 

今思えば、人生など短いものだと見えてしまいます。

 

私もあと10年ちょいで年金生活が出来ると思えば、やりたいことが出来るのもあと10年か?

 

人によってはあと10年もあるのか?

 

という考えの人もいるでしょう。

 

 

年金生活者になっても、社会から疎外されたような感覚にならないために、

 

アルバイトで働く人もいるという。

 

ここに大きな人生観が潜んでいるように思うのです。

 

つまり、自分の人生を歩んできた人は、

 

退職後に、ようやく今まで長年稼いできたそのお金で、

 

やりたいことをやれる時間が出来た

 

とも云えるし、これからは身体に注意と意識を払って、精神的にも肉体的にも

 

しがらみに束縛されずに、楽に生きる時間が出来たのだとも云えるかもしれません。

 

 

しかし、社会から孤立してしまったという不安感がある人は、

 

人生観に目標や目的を持たずに生きてきてしまったとも云えるかもしれません。

 

それはそれで千差万別なのだから、良いかもしれないが、

 

高齢が進むとなれば、いつまででも働ける訳ではなく

 

身体も機転も回らず限界になり、

 

また病気療養も長くなりがちになり、

 

死期が見えてきた時にどうやって総括し得るものなのでしょうか?

 

 

そんな時、返ってくる言葉は大体の予想はつきそうなものです。

 

 

誰が為の自分の人生か?

 

そして、生身の肉体が消えた後、残るものは何もないが故に人は

 

偉業を残したり、名声を残したり、子供という子孫を残したり、

 

何らかの生きた爪痕をこの世に刻んで消えていこうと試みる訳です。

 

 

草刈りの行き届いた緑の大地に、どれだけの年月

 

そこに鎮座しているのか分からないほどの巨木の枝が

 

たわわにゆっくりと上下動を繰り返し、ささらさわやかな音をまき散らしながら

 

まるで大きな風塊が押し寄せたかのように見て取れる

 

そんな木の揺れるサマを見ていると、

 

自分の100年という時間のちっぽけさに気が付いてしまい

 

連鎖して、今まで何をやって来たんだろうかという、虚無感と

 

何もやってきていないじゃないかという罪悪感に、心が焦燥させられるのです。

 

都会にはそれが表には見当たりません。

 

きっと奥底の見えない場所に隠れてあるのでしょう。

 

 

名峰月山の麓は、秋になると金色の世界となり、

 

平野に広がる金色のものとは別の世界観を醸し出します。

 

平野の豊饒のきらめきは、百姓の汗水垂らした一年の苦労が実った証であり、

 

人間の命がつながる感謝として心を満たします。

 

しかし、月山や大雪山などに見られる紅葉の金色は、悠久の時の平和がここにあり

 

私たち人間は、自然に包まれ抱かれて、生かされ来たのだと知る世界観の色合いに見え、

 

過去と未来を見る目が曇った状態が浄化され、

 

過去と未来が明確に見透かせるかようになり、そして心が満たされていくのです。

 

多くの人は、それら全てを総称して、キレイという言葉で、まとめて語ってしまうでしょう。

 

キレイなんじゃなくて、心が浄化される要素によって、

 

それらがきれいに見えてしまうのだと思います。

 

しかし、最も尊ぶべきことは、今日本という場所に住み、

 

そして何より自由を、誰しもが我がものとして手に出来ているという事だと思うのです。

 

キレイと思った時は、自由記念日ではないでしょうか。

 

そんな時は、お祝いに美味しいものを食べて、多くの人たちと感情を共有し合って

 

楽しむべき時ではないでしょうか?

 

私は、年金を貰ったら、未来不安よりも、

 

心にゆとりをもって毎日、自由を手にして生かされていることを噛みしめて

 

楽しもうと思っています。

 

 

 

そんな風に思いながら、休みの今日は、蔵王に向かいました。

 

 

 

中央奥に赤い屋根の建物が見えるでしょうか?

 

あれが一応の往復ポイントで・・・お昼ご飯を食べる山小屋になっています。

 

 

今日歩くルートは黄色い線の部分を左から右に歩いて、また左へとピストンしてきます。

 

 

年に2度程来て写真撮影しますので、私にとってココが最も身近な高山植物園と云った所です。

 

 

これは雪が接着する、いわゆる樹氷になるアオモリトドマツの木の形骸です

 

 

この黄色い花は、葉っぱを写してなかったので、キリンソウだったのか判別が不明です。

 

 

サワラン

 

 

セリ科のどれかだと思うけれども・・・葉っぱが写っていないのでこれも判別不能

 

 

白花ニガナ

 

 

シャクナゲ

 

 

ハイマツの実

 

ホシガラスの好物

 

 

ウラジロヨウラク

 

 

オニアザミ

 

 

アカバナシモツケ

 

 

シロバナトウチソウ

 

吾妻連峰と朝日連峰から北、岩木山、八甲田山の特産であり、飯豊連峰にはないとされている。

 

カライトソウは中部地方北部、また岩手の早池峰山ではナンブトウチソウとなり、

 

実はレアな品種だったりもするらしい。

 

 

中央の葉が赤く色づいた部分を見ると、まだ本格的な夏前だというのに

 

早くも冬支度をするべく、光合成のクロロフィルが分解され、

 

紫外線に強いアントシアニンが葉っぱ全体を覆い、光合成代謝は悪くなるが、

 

紫外線による細胞障害を守る働きや、アブラムシなどの食害を防ぐという説もあり

 

我々の知らない世界で神は、何と凄い設定を植物に施したのだろうか?と感心してしまう。

 

人間は、紫外線を防ぐ為にメラニン色素による細胞破壊を軽減させたり

 

着衣によって減弱させる仕組みを持っているが、では衣服を持たない常緑植物はどうかと云えば

 

紫外線によって葉緑素が分解されていくと、

 

次第に隠れていたカロテノイドという物質が目立つようになり、黄色く変色したように見える。

 

その後、色素類は分解され、タンパク質と合成され、

 

色素類は次第にタンニン量が増えていくにつれて、茶色くなっていく・・・

 

らしい。

 

という事で、このアントシアニンの赤色は、

 

これから暑くなるであろう夏の紫外線防御の為の防衛反応ということであろうか?

 

 

 

という事で

 

夏になると海方面のドライブでも良かったのですが、

 

やっぱり涼しい山に来てみるのもいいもんですね。

 

そして、まだまだ分からないことも多く、勉強に暇がありません。

 

いつになったら、全部の植物の名前を覚えることが出来るんでしょうか?

 

そのうち、忘れる方が多くなって来たりして・・・ガーン

 

 

本日も、最後までご覧いただきまして

 

ありがとうございました。

 

それではまた バイビーバイバイグラサン

 

・・って締めが古!!!アセアセゲラゲラ