今日も当ても無く車を走らせ、ガソリンを給油する
という目的で100Km先までドライブしてきました。
本当は福島潟に野鳥の写真撮影もしくは、港に魚釣りに行くつもりでした。
相も変わらず、こちら側は晴れており、海辺に近づくごとに土砂降りで
ガソリンを詰めて引き返して来たら、またピーカン天気って
どういう事?
はてそんな中で、行く時から考えていたんですが
ふと気になった一人を思い浮かべたのです。
10年前に出会った地元の学校の後輩分なのですが
父親をトラックの事故で早くに亡くし
母親は農業を営む傍らで、草刈り機を扱っている時に石が目に当たり、
片目を失明してしまった方なのですが、
それでも、親戚などの力を借りて、季節の野菜や山菜を沢山生産されており
息子もその後を継ぎました。
体格は、父親譲りなのでしょう、とても背が高く肉付きと
風体もまるでフットボール選手だったと言っても過言ではない程にたくましいのです。
1年ぶりに母親と再会し、会話をしたところ、息子が床に臥せっているというのです。
はて?
あの身体でどこが悪いんですか?って聞いてみたら、
腰痛がなかなか治らなくて、ドクターショッピングしても治らずに
そのうちに部屋に引きこもり、寝てばかりいて、
仕事をやる気も無くなってしまったようなのです。
とのことでした。
以前、お会いした時には心の病気になるような印象はありませんでしたが
腰痛が治らない事に対して、憂い、悲観し、精神的に追い詰められて
心の病気にでもなったのだろうか?
と勝手に推測しました。
その以前より、私の関わる方々のお子さんには、
引きこもりの子供を持つ親御さんが沢山います。
親は立派な職業に携わっていても、子供も同様とは限りません。
なぜ、そのように引きこもってしまうのか?
また、心が病んでしまうのか?
数日から数か月程度ならいいのですが
何十年にも及べば、明らかに家庭は内部崩壊してしまうでしょう。
自分は以前より、カトリック教のメッセージを傍らに
聞く機会が多い少年時代を過ごしたせいもあるかもしれませんし
また、職業上でカウンセリングの授業をいくつも受けたり
また実践したりしたせいもあるのかもしれませんが
受容する態度、傾聴の姿勢、共感の言葉などを他人のみならず、
自分でも分析し、本質の明確化などによって自己解決できてきました。
もしも、そのように受容、傾聴、共感、明確化などの手法に於いて
人に協力が出来るのならば、それはそれで素晴らしいかもしれません。
しかし、決して人の人生に関わっていくのではなく
人は自分で自分を変えていく努力をしなければならないのであって
他人が協力するべきことではないと思っています。
誰しもがそれを分かっている事でしょう。
但し、酒を飲んだ場所での出来事や失恋した場合などのショックを除いて。
そして、カウンセリングによって浮き彫りにされた問題は
理屈として分かっていても分からないというのが
本当の悩みの本質部分であって、
ダメですよと云われて、ハイそうですか!で辞めました。
タバコはダメですよ、酒はダメですよ、ギャンブルはダメですよ、などと云われて
ハイ、あっそうなんですね。では辞めました。
という人は世の中に居るでしょうか?
大体は、そんなことは知ってますよ、でも辞められないんです。
という言葉が返ってくるように、悩みも同様に
理屈的には分かっていても、それを考え、また悩む訳です。
さて、このような理屈で分かっていても分からない人々を
どうやって救済していけば良いのでしょうか?
今回はそれがテーマで、運転しながらあーでもない、こーでもないと
自分の頭の思考回路はループして巡らせるのです。
喜びの感情、怒りの感情、憂いる感情、思いを馳せる感情、恐れる感情などがありますが
いつも憂いていたり、思いを馳せてばかりでは、心がやられてしまいます。
順序よく感情が流れて、移り変わっていくのが
営みをしていく上で正常な変遷あるという概念があります。
怒りの感情は思考を動かし、喜びの感情は血液を動かし、思いの感情は食欲を動かし
憂いる感情は全身に酸素を送って筋骨を動かし、
恐れの感情は行動を抑制させ、床に伏せさせ眠る効能があると昔から云われています。
先ほどの寝てばかりいる風体の良い男は、
過去の何かに恐れ、または未来の何かを恐れているのかもしれません。
相乗と相克や母子関係という概念があり、
床に臥せる恐怖の概念には、陽性の性質と陰性の性質が存在し
恐れ眠る者と恐れ眠れない者とがその性質を良く表しています。
もしも、恐れて布団を被るとすぐに眠れる場合は水陽の陽性の性質があり、
母子関係で云う所の怒りは、木陽の激怒型になるはずで、
また逆に恐れ眠れぬ性質の場合には陰性の性質が旺盛となって、
木陰の陰湿な怒りへと、発展していくと考えらます。
しかしながら、この怒りの性質が現れてきた場合には
先ほどの恐れの感情を脱したとも考えられ、ようやく循環し始めたとも、見てとれます。
このように、感情の分析を行って、誘導してやることも
一種の能動的治療とも考えられるかもしれません。
今までのカウンセリングは、他動的であって、自然回復系を見守る形でしたが
能動的に後押しして、機械的回復系によって生産的時間軸に
載せてやるという方法もあるのではないだろうかとも思うのです。
間違って欲しくないのは、あなたには出来るとか
やっぱり私の言った通りだった
とかなどと云う言葉は、完全に裏目であり
書籍に書かれているような考え方で、統計的最頻値的模範解答を述べたに過ぎず
その中から外れた類には逆効果になり得て、
問題をより深刻にして殻に閉じ込めてしまうかもしれない。
そう云ったやり方ならば、そもそも論が間違っているのです。
人間は腹が減ったら飯を食うのが当たり前、
腹が膨れたらトコロテンのようにウンチを出すのが当たり前であって
人に指図されて食べたり出したりする現象ではないと同様にです。
鬱からの脱出や引きこもりからの脱出の為には
その第一歩に、まずは自分自身が怒る事が非常に重要だと思います。
怒らないことで、何も出来なくなってしまうのかもしれません。
問題を洗い出し、それに対して怒りをぶつけるのです。
昨今、教職員が不足しているという情報が目につきます。
理由は教職員のメンタルだそうです。
細かな理由を挙げればキリがありませんが、
心の訓練をしていない、社会に出て切磋琢磨を経験していない未熟な思考の者が
大卒後に教職をしている所に第一の問題がある事と
第二の問題は、利益を受ける側の子供やその親御さんたちが
非常に敏感に且つデリケートになってきているという事があるように思います。
昔の昭和なら、言う事を聞かない子供は、先生に叩かれて当然という風潮がありました。
今は虐待だの、イジメだの、ハラスメントだのと突き上げが激しく
1対多の関係で教員イジメをやられたら、誰も教員などやりたくはないでしょう。
またそれを知ったら、やりたがらないでしょう。
そのような義務教育の在り方そのものを考え直さなければ、
益々教員の成り手不足は否めないでしょう。
今日もあーでもない、こうでもないと一人勝手に、そんな風に考えながら
自宅まで帰ってきてアイスクリームを食べているところです。
あまりに熱中してタイピングしているものだから
横に置いてあるアイスが、とろとろに溶けてきてしまいました。
という事で、この辺で終わりにしてアイスを堪能したいと思います。
また今日も、私の独り言にお付き合いいただきましてありがとうございました。
それではバイビー
って古い・・・