依存症の私が語る言葉ですので、聞き流して欲しいと思いますが
3歳から川釣りを始めて、7歳の時には川での一人魚釣りをデビューしてから
誰かの竹藪から竹を切ってきて、竿を何本も作り、茅や割りばしでカッターナイフで削り
棒ウキを自作して、更には
自宅の池に魚を飼って観察し、透明な池の水に釣り糸を垂らし
魚が餌をどういう風に食べた時に、浮きにどのような動きが出るのかを日々観察し
追求していけばいくほどに、さらなる壁にぶち当たり、その都度つまづきながら時間をかけて克服し
また壁に当たる。
嫌だけれど、好きだから追求して困難に直面する。
胃がひっくり返そうになるほど、好きに悩み、勉強どころではなく今に至っています。
登山を始めれば、同様に、好きであるが故の苦しみも見えてくる訳です。
やらされているというのではなく、自らが進んで時間を費やす事柄。
苦しみは、降りかかる自分の意志とは裏腹に時代に流されてしまう苦しみと
自らが好きで作ってしまう苦しみと
夜に眠って忘れてしまおうと、睡眠薬や酒を大量に飲んで忘れたい悩みは前者であり
酒など飲んでいられるか、夢中になり睡魔がスイッチとなり、どうしても瞼のシャッターが下りてきて
眠らなければならなくなるのが後者であると思うのです。
好きな彼女が居たとして、彼女の事を思うと脳裏に笑顔が浮かんで離れず、
また彼女の声の幻聴を聞きながら・・・空が青澄んできたことはないでしょうか?
好きであればあるほどに、どうやって声を掛けて、
自分を好きになってもらうかの算段に明け暮れた青二才の頃。
思い起こせば、あれから何十年過ぎたのでしょうか?
いつまでも、あくびによって好きな時間を邪魔されて
明日を迎える日が続くといいなーと思うのです。
本日もくだらない記事をご覧いただきましてありがとうございました