2012年の山と渓谷9月号に掲載されていた
「ここがヘンだよ、日本の登山マナー」
アメリカとフランスでも自由に対する考え方が違うという事も踏まえて、考えてみたいと思いました。
確かに、外国人から見たら、日本の登山スタイルや登山マナーはおかしく見えるかもしれません。
そして、外国人はマウンテン(山)とヒル(丘)という表現の中で、日本の山はヒルであると称します。
北アルプスでも、稜線上は平らなところがあり、さらに一般登山道は比較的なだらかに開拓されており
そう言われてみれば、若干標高の高い丘を登っている感覚に近いかもしれないけれども・・・・、
日本は、どこを見ても山岳地形に囲まれて多くの人は育っており、山越えルートは山伏ルートや
峠越えなどというように、ちょっとしたピーク間にあるコル(谷間)の事を、そう呼ぶことがあります。
故に、大小に関わらず山、坂、谷、崖などの言葉に該当するところが、身の回りに至る所に存在し
日本人は転倒などの危機感や恵みの山岳への畏怖の思いが独自に強いのかもしれません。
晴れた高尾山に、アルパインシューズを履いて、合羽を背負い、熊鈴を鳴らしてハイキングに来ることを
外国人はおかしいと思っているようです。
そして、外国人は、Tシャツとジョギングシューズでも氷河を歩いたりするそうですが、
思考が違うみたいなのです。
雨が降ったら帰る。
・・・・という選択肢は日本人には薄いし、最後の選択枝と考えている節もあります。
確かに撤退判断は、早ければ早いほど安全です。
しかし、私を含めて日本人は、せっかくの休みをとってきたのだから、
是非ともその計画を完遂したい思いで登山に臨むところから、意気込みが違うと思うのです。
その意気込みと、危険との距離の置き方が装備に表れてきたりするのかもしれないと考えるのです。
雨合羽を持っていれば•••雨が侵入しないハイネック防水登山靴なら多少の雨でも完遂出来る。
そこまでして歩かなきゃいけないのか?と外国人は思うかもしれないし、
雨が降ったら帰ってきて、晴れた日に出直せばよいという考えはごもっともなのですが、
雨の日や風の日の苦しいタイミングで歩くからこそ、
宮沢賢治の雨にも負けず、風にも負けず、丈夫な体を持ち、欲は無く、決して怒らずに・・・
が理解できるのであって
日本人は決して自分の意志を天候によって曲げない、逃げないという登山姿勢の現われが
背負う装備の量なのだとも私は思うのです。
昨今、UL(ウルトラライト)装備での登山が流行っています。
私も一時は流されて装備をULにしてしまいましたが、
結局、体力があれば、重装備もUL装備も同じであることに気が付いたのです。
それよりも、登山に快適性を求めるならば装備はあったほうがいいに決まっています。
ただ走って山を駆け抜けたいのならUL装備が向いていて良いかもしれません。
どちらにおいても、体力がなければ本末転倒なのですが・・・www。
トレランのように一定時間内に、より遠くへの移動を可能とするならばUL装備は必須でしょう。
登山の楽しみは、景色や自然観察と、様々な思いに耽りながら、そしてこの時という・・・風景写真を撮影したり、
友人とのあられもない馬鹿笑いな会話をしながらのトレッキングで汗を流す事こそが醍醐味であり、
どこに登山のウェイトを置くかが装備に表れてくると思うのです。
山と渓谷の記事の最後は、「装備を間違って死んだ人がいても、それは悪いことじゃない。
これをやったら死ぬと分かっていてワザとする人はいません。
遭難した人も、自分ではその装備で大丈夫だと思ったから山に入ったんじゃないでしょうか?」
と綴っていますが、それもやはり外国人の考え方。
私は、登山を始めるときに、長野県山岳総合センターでいくつもの研修を受けて山登りを始めました。
その経験から言わせてもらえば、危険な山を安全に登って帰ってくるのが技術であり、
その技術無しに登山を安易に行うことが遭難や事故を引き起こしてしまうと考えるのです。
だから、無知で遭難することは無知の罪であり、
結果的に事故を起こすことは痛みを持って知る罰なのだ
と厳しい意見を言わせてもらいたいです。
もしも、安全に快適に登山を行って、本当に山に行って自由を感じ得たいと思う人ならば
必ず登山技術は必須であり、自分のスキルに合わせた判断力が重要であり、
体力と装備は揃えて臨まなければマナー違反であると思うのです。
体力不足遭難はもってのほか
装備を軽くしたいのであれば、天気予報を熟知して、
ルートを熟知しているならば許されるとは思いますが
初めての登山の場合にこそ、万全にして臨みたいところです。
危険を安全にするのは知識と技術。
もしも、この登山知識と登山技術が、誰しもの常識になった時に初めて、UL装備や
自由な登山が推奨されるのであって、
まだまだ登山に対する意識に無知だったり、体力・技術力が伴わない場合には
やはり、古典的な登山マナーのスタイルに戻らなければならないと思うのです。
自由は、安全が保障される状況下においての自由であり、
危険を伴う場合は、自由ではなく無謀行為になるのだ。・・・と私は思います。
石橋を叩き過ぎな考え方でしょうか?
押し付けがましい記事ですみませんが
そんな風にトイレに入りながら、雑誌を読んで思ったアラカンおやじのたわ言でした。
本日もご覧いただきましてありがとうございました