以前、科学的実験のなかで、相手を見つめ続けると、こちらに気が付いてもらえるのか?
という内容の実験の本を呼んだことがあります。
科学的に証明しようという内容のものです。
箱の中を真空にして、10円玉程度のアルミ箔を紐でつるして、周りは全て黒いシートで囲みます。
覗けるほどの穴の部分だけをくり抜いて、アルミ箔を見続けるのです。
太陽の影響や、空気の影響など一切受けないはずのアルミ箔が、
人間が覗くと動くらしいのです。
この実験は、その後あらゆる実験に使われる手法となりました。
何故、アルミ箔が動いたのでしょうか
答えは、人間の目に当たった光の粒子が、真空の空間を貫いてアルミ箔に当たったからという事です。
つまり、我々が知りうる測定器などでは、図ることが出来ないけれども、(カミオカンデならOK)
光の粒子が、相手にぶつかって、気が付き振り向くというのです。
光の粒子に気が付く人などは居ませんが、実験では確かに可能性はあることは証明されましたので
無いとも言い切れません。
さて、そんな中で、祈りとはどのような効果があるのだろうか?という事です。
一つには、その時間一つのことに集中しているので、安心作用はあるかと思います。
つまり人と比べないで生きている時間、逃避とも考えられますが、
それによって自律神経の乱れを整えて、その効果が2週間以上続けば
免疫力の賦活化にもつながっていくことだろうとも考えられます。
但し、その時間は実学を離れ虚学の時間となるから、
収入という面では下がるのは覚悟しなければならないでしょう。
周期的に世間のスピリチュアルの波は訪れ、神様、水晶、ゲルマニウム、トルマリン、北投石など
特定のものに特別な働きがあると無知・無学が故に尊ばれており、
御守り、ネックレス、バンド、置物、健康食品など、無作為にはまってしまう罠が
この世には数多く存在するのです。
それをイベントとして楽しもうとするのがクリスマスであり、正月であり、ハロウィンであり、
春節なのかもしれません。
日本において、多宗教民族文化を受容してきた日本人は、どれが正しいのか?
いや 意味を知らずに流されて漂流してしまっているのでしょう。
一つ一つブッタ斬って、消滅させてしまえばこの世界が、何やら寂しく思えてしまうので、
私はこの混沌と入り混じった常識が通じない世界も、おもいろいとさえ最近は思えるようになってきて、
楽しんでいる気風さえ現れてしまっています。
祈りの効果は、死への不安に向かう為、生きる困難に向かう為になんらかにすがり、
出来うるなら悟りの一つでもと、欲望によって行動を起こすことが、すでに祈りであり🤲
その中で、自分の都合の良い道標を見出すことに時間を費やす行為が祈る行為として、
神社仏閣を物見游山し、宗教ショッピングを行うのであって、
その行動力と活動エネルギーが基礎代謝を高めて免疫力や思考をネガティブから
脱却させているのかは、わたしには計り知ることはできませんが、
2割程度の一定の向上効果はあると聞いています。
神は面白い言葉を残しました
我が名を言えたものは永遠に救済される と
そんな言葉を信じ2000年も人類は時間を無駄にしてきたのか?救われてきたのかは知りませんが、
アッラー、イエスキリスト、モーゼ、イザナギ…など宗教ごとに、
絶対神の名前を偶像崇拝し敬ってきました。
もしも、社会を逸脱した、そのまとめ役という宗教神がいなかったら、どういう時代だったのでしょう。
とマルクスの哲学を見て悠久を振り返るのです。
コロナによって仕事が希薄になって来た時代に躍起になって仕事を探し、
そして、祈りながらしがみつかざる負えないのは経営者。
公務員は忙し過ぎて、早く過ぎ去ってくれと願って祈るばかりの医療関係者と保健所職員。
どちら側の人間も、心ではコロナ退散に祈りを捧げているこの3年目なのではないでしょうか?
そういう意味では、全世界の人々が、コロナが運んできた厄災と悪魔に
コロナ禍の悪夢を見せられており、
早期退散に祈りを捧げ、一刻も早い明るい明日を願って祈り、それはどこに届くのでしょうか?
それとも祈りは人間界で干渉し合って、新世界の創造主(科学信仰教でも)を作り上げるのでしょうか?
尾身クロン Ba.1の次はBa.2はもっと感染力が強いと誇張し煽っている尾身信仰教を立ち上げて、
公明党を追いやって、自民党を盤石にするつもりなのでしょうか?
そんな思惑が、見え隠れしているように、私には臭いが感じ取れるのです。
そんな預言めいた事を書いていると、アッラーからコラーというお叱りを受けそうなので、
いっその事、私は預言者コラーとでも名乗りましょうか?www
という事で、本日もスピリチュアルな話題をご覧いただきましてありがとうございました
コラーより