本日も・・・・もれなく千歳山へ
悟りの霊峰と思っていたのが、本日確信に変わりました。
折り畳み傘を持ちながら、傘をさしたり
畳んだりしながら、ポッドキャストを聞きながら歩きました。
久々な割には、心臓の苦しさや膝の不安もなく、額から汗が噴き出てくるくらいで、
長年履いているマムートのローカットシューズの底の溝がツルツルになってきて、
時折花崗岩が風化して真砂になったところでは、ズルッズルッと滑りまくり、
いっそのこと、靴底に穴でも開いてくれたら、先日購入したノースフェースの最新ローカットシューズに
履き替えるのに・・・・・未練があるんだな。
まだ・・・この靴に。
まぁ~いつかは穴が開くでしょうが、それは今日ではないという事で、千歳山を登り続けます。
ふと、不安からの逃避や、安心を求める気持ち、癒されたいという気持ちが
全くないことに気づきました。
逆に、これでは人生つまらない、何の為に生きているんだ俺!という気持ちも湧いてきたのでした。
どうしても堅実、身の丈という言葉が脳裏に浮かび、
それはそれで、失敗のない人生を送れるかもしれないけれど、失敗してもいいじゃないか?
何を恐れているのか?
そんな風に、今日の千歳山では教えられたような気がします。
北海道大雪山縦走は、どうしてもヒグマが怖くて、更に脚力に自信がなく、
一人歩きでは何となく寂しい様な感じもあり、半ば一人遠征は諦めていましたが、
最初から諦めずに、まずは出来ることからやってみようじゃないかという気持ちにさせられて、
来年は、大雪山旭岳から黒岳の縦走とテント泊装備で、テン場で1泊をしてみようと思います。
その後自信が付いたら、翌年はトムラウシまで足を延ばしてみようと思います。
↑
問題は遠征費だ
その後の十勝岳まではトムラウシからの続きの縦走ではなく、一旦短縮コースで下山して、
翌日、十勝岳登山口から登るという事でやったら3年~4年かけて縦走出来そうな感じですので、
最初から無理無理、ヒグマが多いからという理由で諦めないで、
やってみよう!という気持ちにさせられました
問題は遠征費だこれでは足りない。
これくらいはかかるよね
キリスト教の世界感で、天上にある天国世界と地上にある地獄世界というものがあって
天国では、一切の苦しみや不自由などが無く、毎日穏やかに過ごせるそうですが
時折、風に乗って地上界からの喧騒な音に交じって、
人々の泣き叫ぶ声や笑う声が聞こえるのだそうですが、多くの人はあの地獄世界は大変だなぁ~と
思うのだそうですが、中には辛そうだけど、あの賑やかで喜びに満ちた世界に行ってみたいと
願うものが現れるのだそうです。
止めておけ!
この世界に居れば苦労など何一つなく生きていけるのにという説得も虚しく
地上世界に転生するのですが、馬小屋の買い馬桶の中に裸で生み下されるというのが
キリストの誕生として有名なストーリーです。
これは何を意味しているのか?
昔の人は何を伝えたかったのか?
今解った気がしました。
つまり、平穏、平安、安定、・・・・などという言葉に憧れを持ちたがりますが、
毎日平穏で居続けると次第に飽きてきて、また喧騒世界に憧れてしまうものなのです。
そう考えてみるときに、平穏や安定などを望まずに、いつもチャレンジし続け
借金を払えるだろうか?とハラハラドキドキして生きている事こそが
生きている意味(生きがい)なのかもしれないと悟る訳です。
↑
ニーチェの永劫回帰
世界が平和になろうとするのに、習近平さんのように平和より領土拡大と言って人を苦しめて
思うがままにする人が、国のトップでいるというのは?頭がいい人が、
心の清い人がトップに居るのではないと教えられます。
↑
ここが重要
つまり、永世中立国を掲げたスイスと戦争放棄を憲法で明記した日本以外では
世界はこれからもグチャクチャにかき混ぜられて・・・戦争は起こり得るだろうし、
貧富の格差も無くならないだろうし、

では、そんな世界平和などという幻想に惑わされずに生きる為にはどうしたらいいのか?
それは、・・・自分のしたいことをする。
金が欲しいものは金を稼ぐことに集中すれば良いし、
遊びたい者は徹底的に遊べばいい、
自分の好きにすれば良い、
しかし現代社会に暮らす人々は・・・・その自分の好きが分からないというのが問題なのだ。
だから肯定できずに批判ばかりをして、あれはダメ、これはダメだと足を引っ張る。
だったら教えて欲しい、どれが正解な生き方なのかと。
結局は親でも他人なのだから、子供にあれが良い悪いと言って縛ってしまう事は良いと思っていても、
実はそれは、子供の人生を台無しにする罪深いことをしているのかもしれない。・・よ。
中学生までは親が影響力を持っても良いかもしれないが、高校生以上になったら全部自分で考えさせて
または考えられるような教育を中学生までにしておかなければならないのかもしれない。
そんな風に今日は思うのです。
人生は自分のものだ。
誰に気を使うことなく生きられるはずなのに、自分で世間を狭くしていないだろうか?
そんな風に思い、勇気が湧いてきた千歳山トレッキングとなりました。
悟り方が変 でしょうか
本日もご覧いただきましてありがとうございました