生きる事を、写真から辿る | 独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。
仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。
By幸田露伴(努力論より)

写真とは、何なんだ!

 

それは、時として歴史的価値を残すものであったり、

 

それこそグラビアのような本人の美(の概念)を永遠に残すものと消費活動とがマッチングする

 

大枚を払ってでも手にしたい魅力(惑)的商品であったり、

 

人間が作り上げた時代の最先端テクノロジーを象徴とするかのようなカメラという

 

手段を用いて、個々に思い描く思考の変換システムにフィルターをかけて表す描画であったり

 

その他にも、捉え方があるだろうが、一つだけ言えることは、上差し

 

それは過去の物であるという事だ。

 

 

 

 

決して未来を見せるものでもなく、今というものでもない、写真が撮られた時は既に

 

1秒・・・1日と時間は過ぎゆき、我々が目にするときには過去のものとなっているのである。

 

 

写真は過去の、とある時、とある場所で、とある人が、とある瞬間に

 

ファインダーで見た映像が写真なのだ。

 

 

人は未来を見たがる傾向がある。それは私かもしれない。

 

 

宝くじの当選番号が見えたなら、どれほど素晴らしいだろうか、

 

離婚しないハッピーエンドな相方を見つけられたならどれほど良いだろうか、

 

 

最後の瞬間が分かるなら今から生き方を変えようと思うのに、酒を止められるかもしれないし・・・。

 

などと先を見たがる好奇心に尽きることは無い。

 

 

そして、今という瞬間は、必死に快楽の方へと視線を誘導し、

 

自分が楽に生きられるように手探ることでいっぱいであり、希望や理想というものが無ければ、

 

努力という、つらい思いを敢えてしようとは思わないだろう。

 

 

そして過去。

 

過去はどうだろう。

 

 

過去を見るのに最も適したものが、ドラマ、映画、写真、本、知識、伝説、叙事詩などであり

 

人は、過去が大好きだ。

 

 

年寄りは、パチンコをしていても、水戸黄門があるからと帰っていく。

 

 

ドラマを留守録しておいて、休みの日はどっぷりと撮りためてあったドラマを見る。

 

 

すべては過去の物。

 

 

本や教科書、知識本なども過去の物であり、未来を切り開く、または先人の失敗を繰り返さない為に

 

予防知識として知っておくために、教育はある。

 

 

写真は過去の物を表す最たるものだが、そこにどんな魅力や魔力が潜んでいるのであろうか?

 

 

 

 

ストイック 金村修

 

なぜそこまで、こだわるのであろうか?

 

急き立てられるのであろうか?

 

 

2Bさんの眼というフィルターを通した、奥山由之

 

自身と視聴者への挑戦写真集。

 

概念の崩壊と過去に意味を持たせないという事に挑戦している。

 

 

こんな咀嚼のしない、主観的表現を理解することは難しいかもしれませんが、

 

ここでは敢えて、直喩にして、私の意図を理解させないように書き、

 

動画をご覧の方が、各自思った思いを大事にして主張にしたいと思います。

 

 

 

ユーチューブで「生きる事」と検索すると、

 

 

ひろゆきさんに代表されるように、ニーチェが言っていた永劫回帰論、

 

つまり、一言でいえば、人生に意味などはない

 

だから「ありのままに生きればいい」という直喩で捉えた概念や、

 

 

明石家さんまさんを代表するように、

 

人生に意味はない、生きているだけで丸儲け、だから楽しく生きたもの勝ちという

 

ニーチェの永劫回帰から進化した考えで、ニヒリズムを根底とした生き方の説明が多く散見される。

 

 

それと同時に、根底に救済という考え方を前提とした上から目線。

 

(例えて云うならルサンチマン的思考・もしくはキリスト教の根底にある愛の概念の変態とも

 

云えるだろうか?)

 

つまり蜘蛛の糸にしがみつく人間を、上から引っ張り・・・助け出そうとする応援動画も見受けられる。

 

 

アプローチの仕方は全く違う方向性から生まれる動画。

 

 

つまりは、今までは良かったが、今がつらいという現在を見て励まそうとしている。

 

 

動画をサラッと眺めていると、一つだけ未来を明るくする方法があることに気が付く。

 

 

それは過去に捉われず、そのつながりで現在を見ず、過去は過去であり、

 

これからはの未来はそのつながりで続くのではない、心持ち一つで違うという事です。

 

 

自転車、バイク、自動車などに乗っていてカーブに差し掛かった時に、

 

そこにある、道路の端にあるミラーを見てしまうが、

 

実は目線は反対の、行く方向へと視線を戻さなければ、コースアウトして事故を起こしてしまう。

 

 

それと同様に、行きたい未来へと視線を誘導すること。

 

それこそが未来へと続く生き方だろう。

 

 

つまり過去に捉われて、その続きである悪い現在に目を向けるのではなく、

 

希望する未来を写すカーブミラーでもなく、実際のカーブの先に自分の目線を誘導することこそが

 

生きる事につながり、

 

より豊かに生きられる思想へと導くのではないだろうかと。

 

 

写真、ドラマ、映画、などの過去の物を見つめているうちに気が付いた訳なのですが・・・

 

果たしてそういう思考は、どうなのだろうかとも思うのです。えー?

 

 

未来を夢見るという事や、これからも生きるということを考えてみた時に、

 

どうしても過去に捉われてしまい、自分を束縛して、

 

息のできない方向へと自分で首を絞めてしまう事もあるでしょう。笑い泣き

 

 

そんな時に、このような考え方があれば、生き易くなるのではないだろうか思った次第なのです。!?

 

 

 

また今日もめんどいことを考えてしまっていますが・・・何せアルコール漬けの脳味噌ですから・・・てへぺろ

 

笑って・・・ご勘弁ください。ゲラゲラ

 

そんな風な気分の今日でした。チョキ

 

本日もご覧いただきましてありがとうございました。お願い