レクイエムについて(オタク覚醒か?) | 独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。
仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。
By幸田露伴(努力論より)

アカイプロフェッショナルから発売されている電子楽器EWI(イーウィ)を最近練習していません。笑い泣き

 

人生で初めて楽器というものに触れ、幼少期からずっとずっと自分が苦手で音痴だからと

 

自分にレッテルを張り逃げてきた楽器というジャンルに、

 

残り少ない人生でエアロフォンに挑戦してみようと試みて

 

かれこれ2年を経ようとしています。滝汗

 

練習がーーおざなりにーーーえーん

 

 

 

2年前の9月うーん

 

始めの時は五線譜のト音記号とヘ音記号の意味すらも分からず、ゲロー

 

小学1年生の中古の教科書までアマゾンで取り寄せ、小学高学年、中学生前半、後半のテキストを

 

読みながら、何とかここまで到達しました。チーン はぁ~

 

 

 

 

その中で、何で音符が生まれたのか?

 

オーケストラの起源やファ抜き音階やイロ抜き音階などを知り、

 

音楽の奥深さを思い知らされています。ラブ

 

 

今日は、以前にもテーマにしたレクイエムを、もう一度ほじくり返してみようかと思います。OK

イチイチ ほじくり返さなくてもいいです・・・という声も・・・・滝汗 

 

レクイエムとは、死者の魂の安息を願う、死者を悼むという意味と、

 

残された方の鎮魂という意味と、二つの意味があります。上差しよね?

 

 

音楽という概念は、メソポタミア文明の頃からありましたが、それは鳥のさえずりを真似したものだったり

 

自然現象を再現するための笛の音や太鼓の振動だったようです。

 

 

そして古代エジプト文明では、より楽器の種類が増え、カスタネットやハープ、

 

リラなどの楽器が作られるようになりました。

 

その後、紀元前1000年頃の古代ギリシャ時代には、

 

音階やリズムと合唱が盛んになってきたと言われています。

 

 

そしてキリスト教の西暦500年から1000年の頃には、ローマ教皇グレゴリウス1世は、

 

教会に集まって神を褒めたたえる歌を始め、グレゴリオ聖歌が誕生したと聞きます。

 

その時のネウマ譜←五線譜の原型

 

9世紀中頃には、歌に歌を重ねて歌う多声音楽オルガヌム(四度or五度違い)

 

が出来ました。

 

17世紀頃にはバロック音楽という自由な形式の音楽が広がり始めます。

 

 

合奏協奏曲、オペラ、オラトリオ、カンタータなど、そして作曲家も多く輩出されていきます。

 

 

モンテベルディー、ビバルディー、ヘンデル、バッハなど・・・

 

 

18・19世紀には、古典派のハイドン、モーツアルト、ベートーベン

 

 

ロマン派のシューベルト、シューマン、ショパン、リスト、べりオーズ、メンデルスゾーン

 

ブラームス、ロッシーニ、ヴィルディー、プッチーニ、ワーグナー、ビゼーなど

 

 

国民楽のチャイコフスキー、スメタナ、ドボルザーク、グリーク、シベリウスなど

 

 

近代・現代音楽のドビッシー、ラベル、シューンベルク、ストラビンスキー、バルトーク

 

ショスタコービチ、プロコフェエフ、ハチャトリアン、ブリテンなどです。

 

 

ちょっと長く列記し過ぎました。

 

 

レクイエムの発想は、ローマ・カトリック教会の教会音楽を担当している方に、

 

死者の魂を安らかに送りたいので、それに準じた作曲をお願いしますと頼んだところから、

 

レクイエム(安息)の長い歴史が始まります。爆笑

 

 

「死者の為のミサ」には、日々のミサの他に、11月2日行われる葬儀のミサがあります。

 

 

ミサは日々行われ、入祭唱→キリエ→グロリア→集祷文→使途書簡→昇階唱→アレルヤ唱→

 

続唱→福音書→クレド→奉献唱→蜜唱→序唱→サンクトゥス→ミサ典文→主の祈り→主の平安

 

→アニュス・デイ→聖体拝領唱→聖体拝領後の祈り→閉祭

 

という流れで進むのだそうです。びっくり

 

 

ミサは、グレゴリオ聖歌で歌われますが、

 

14世紀後半からは5章をひとまとまりの作品「ミサ曲」として誕生します。

 

 

その後「ミサ曲」は、ローマ・カトリック教会側の強い意向で、

 

作曲家達に随時依頼されることになるのです。

 

 

決まりは、入祭唱→昇階唱→続唱→奉献唱を含めた

 

タイトル「死者の為のレクイエム(安息)」として作曲家は書くことになりました。

 

その後、バロック期には300曲を超える大小さまざまなレクイエムが作曲されています。

 

ベルリオーズのレクイエム

 

 

ブラームスのドイツレクイエム

 

 

ケルビーニ・レクイエム

 

 

そのような経緯で生まれて、作曲されて、当時の時代背景の人々によって、

 

音楽は振るいに掛けられて現在に残るのですが、残ったものを聞いても、

 

それぞれに個性があって面白いです。OK

 

 

面白い一言で済むようなものではありませんが、

 

音楽無知な私にとって今はそれしか言葉が出てきません。

 

 

上差しさて、前置きはこの位にして、それでは本題に入り、三大レクイエムを比較してみましょう。

 

 

ジュゼッペ・ヴェルディのレクイエムは

レクイエム→キリエ→怒りの日→くすしきラッパの音→審判者に答える為に→

 

書き残されし書物は→哀れなる我→御稜威の大王→思い給え→我は嘆く→

 

判決を受け呪われし者→涙の日→奉献唱→

 

聖なるかな→神の子羊→絶えざる光を→我を救い給え

 

と進行していきます。

 

何せテーマの付け方がイチイチかっこいいグッグッグッ

 

 

聞いていると、心が穏やかに、そして、徐々に盛り上がっていく流れなどは

 

まるでハンモッグに寝ている処をそよ風を感じながら、ゆっくりと左右に揺さぶれれて、

 

気持ちよく傾眠しているような心地よさです。

 

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有名な怒りの日の部分の翻訳

 

その日は 怒りの日 その日は世界が灰燼に帰す日です ダビデとシビラの予言通り 

 

怒りの日 その日は世界が灰燼に帰す日です・・・ダビデとシビラの予言通り・・・

 

その恐ろしさはどれほどでしょうか すべてが厳しく裁かれるとき・・・

 

奇しきラッパの響きが 各地の墓から

動画は有名な、聞き覚えのある 怒りの日の部分

カトリック教側は、特にこの怒りの日の部分を重要視したと聞きます。

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次に、ヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトのレクイエムは

入祭唱 第1曲エテルナム(永遠の安息を)→第2曲キリエ(憐みの賛歌)→

 

第3曲ディエス・イレ(怒りの日)→第4曲トゥーパ・ミルム( 奇しきラッパの響き )→

 

第5曲レックス・トレメンデ( 恐るべき御稜威の王 )→第6曲レコンダーレ( 思い出したまえ )→

 

第7曲コンフターティス( 呪われ退けられし者達が )→第8曲ラクリモーサ(涙の日)→

 

奉献文 第9曲ドミネ・イエス(主イエス)→第10曲オスティアス( 賛美の生け贄 )→

 

聖なるかな 第11曲サンクトゥス(聖なるかな)→第12曲ベネディクトゥス( 祝福された者 )→

 

神の子羊 第13曲アニュスデイ(神の子羊)→ 聖体拝領唱 第14曲ルックスエテルナ(永遠の光)

 

テーマは司祭の注文通りであり、流れもその通りに編成されていて、

 

カトリックミサの代表ともいえるかもしれません。

 

 

まさにモーツアルトは、司祭が希望した通りの、グレゴリオ聖歌にふさわしい作りだと思われます。

 

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冒頭部分の翻訳

 

永遠の安息を 主よ、彼らに与え 主よ、永遠の安息を彼らに与え

 

絶えざる光で お照らし下さい 神よ シオンではあなたに賛美が捧げられ

 

エルサレムでは誓いが果たされます 私の祈りをお聞き届けてください 

 

すべての肉体はあなたの元に還ることでしょう

 

彼らに与え 主よ彼らに与え 彼らに与え ・・・・

 

絶えざる光で お照らしください 絶えざる光でお照らしください

 

キリストよあわれみたまえ ・・・・ 

 

怒りの日、その日は世界が灰燼に帰す日です

 

ダビデとシビラの預言のとおり その恐ろしさはどれほどでしょうか

 

すべてが厳しく裁かれるとき・・・

 

怒りの日、その日は世界が灰燼に帰す日です

 

ダビデとシビラの預言のとおり その恐ろしさはどれほどでしょうか

 

すべてが厳しく裁かれるとき・・・

 

奇しきラッパの響きが・・・各地の墓から 

 

すべての者を玉座の前に集めるでしょう・・・

 

死も自然も驚くでしょう 作られた者が 裁く者に弁明するために蘇る時

 

書物がさしだされるでしょう すべてが書き記された この世の裁く書物が

 

そして審判者がその座に着く時 隠されていたことがすべて明らかにされ

 

罪を逃れるものはありません その時哀れな私は何を言えば良いのでしょう

 

誰に弁護を頼めば良いのでしょう 正しい人ですら不安に思うその時に・・・

 

 

REX・・・恐るべき御稜威の王よ 救われるべき者を無償で救われる

 

恐るべき御稜威の王よ 救われるべき者を無償で救われる・・・

 

私をお救い下さい・・・慈悲の泉よ、私をお救い下さい

 

思い出してください 慈悲深きイエスよ あなたの来臨は私たちのためであるということを 

 

その日に私を滅ぼさないでください 

 

私を探してあなたは疲れ腰をおろされた 十字架を耐え忍び、救いをもたらされた 

 

これほどの苦しみが無駄になりませんように 

 

裁きをもたらす正しき審判者よ許しの恩寵をお与えください

 

裁きの日の前に 私は罪人のように嘆き 

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次にガブリエル・フォーレのレクイエム

第1曲イントロイトゥスとキリエ→第2曲オッフェルトリウム→第3曲サンクトゥス→

 

第4曲ピエ・イェズ→第5曲アニュス・デイ→第6曲リビラ・メ→第7曲イン・パラディスム

 

テーマは言われた通りですが、中身がどのような展開なのか全然分からないので、

 

やる気があるのか?ないのか?と問われても仕方がありません。ガーン

 

 

ローマ・カトリック司祭に「怒り日」が入っていないではないか!と叱られ、作り直しを指示されるも、

 

従わず、完全に教会から絶縁されて孤立してしまったフォーレさん。

 

それでも、「故人を偲ぶ時に聞く人に怒りの日などの恐怖を煽るドキドキ感は要らないよ、

 

残された者が、ただただ故人を偲び、心穏やかに辛い思いを小さくすることこそが、本当の鎮魂」と

 

故人の安息協奏曲なのだと信じ、細々と各地を回り、演奏を続けていきます。

 

その甲斐もあり5年後辺りからようやく見直され、陽の目を浴び始めて今に至るのです。グッ

 

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冒頭部分の翻訳

 

永遠の安息を 与えてください 彼らに 主よ そして絶えることのない光が 輝きますように、彼らに・・・

 

永遠の安息を 与えてください 彼らに 主よ  そして絶えることのない光が 輝きますように、彼らに・・・

 

あなたには賛歌が相応しい、神よ、シオンに於いては そしてあなたに復唱されるでしょう、

 

誓いがエルサレムに於いて 聞き届けてください 私の語り掛けを 

 

あなたのもとへ、全ての肉あるものが至るでしょう。・・・

 

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流石に三大レクイエムと言われるだけの事はあると思いました。パー

 

 

フォーレのレコードをたまに聞くけれども、これがまた面白いのです。ゲラゲラ

 

最初から最後まで、睡眠誘導剤かと思うほど全く盛り上がりがありません。爆笑

 

しかしながら、ここまで穏やかにフラットな気持ちで最後まで聞いて居られるというのも面白いし、

 

何度でも聞いてみようと思う不思議な魅力を持っているのです。グッ

 

 

モーツアルトは印象的で、一度聞けば覚えてしまい、何度も聞くと飽きてしまう部分もあるのだから

 

1年に一度の11月2日の葬儀のミサ向きかもしれません。

 

それだけ内容が濃い、強い音楽であることから、激動の時代に翻弄されて個々に疲弊し、

 

そして集団となり未来を変えようとした思いというのが感じ取られるような雰囲気がありました。

 

 

ベルディーのレクイエムは、毎日のミサ向きで、飽きが来ないという点では素晴らしいです。

 

三大レクイエムの中で最もバランスがいい構成かもしれません。

 

穏やかな始まりは、清々しく、脳裏に走馬灯のようによぎる様々な思いは、

 

故人の幼少期やあどけなさを感じさせ、のちに青年期、壮年期と思いを馳せらせる、

 

ちょうど青年期の辺りから激しく、豊かなそして速く時は過ぎゆく、

 

のちに悲壮感たっぷりに打ちひしがれた感じになり、最後何度か小さい盛り上がりを経て終わる。

 

ドイツ語なのか?何言語なのか分からないが、もしも言葉が分かったなら

 

もっと感情が揺さぶられるのにーなどと思ってしまいました。

 

怒りの日部分が一番有名かと思います。グッ

 

 

そしてフォーレは、肉親、特に両親よりも、不慮の死や子供を失った時などの

 

誰にも触れて欲しくない心理の時などに優しく天使の羽で包み込んでくれる優しさを感じられる曲なので

 

本当に苦しいけれど引き籠れない状況の時や、全く先が見通せない状況に置かれた方々が聞いたら

 

心が少しは楽になるのではないのだろうか?

 

と思わせられるような鬱状態対応の構成のような気もするのです。OK

 

などと個人的に思いながらこの記事を書いています。グッ

 

 

あくまでも音楽素人ですし・・・、言語も分からないし、・・・

 

音楽を勉強した人から見たら、そうじゃないよバイバイ

 

と笑われてしまう表現の内容かもしれませんが、ゲラゲラ

 

それはそれで・・・爆笑パーということで

 

本日もご覧いただきましてありがとうございましたお願い

 

明日のブログはお休み