秋田県阿仁にある、くまくま園のヒグマ
本日も無口に・・・アイフォンの動画1本
あまり編集していませんが、手抜き動画ですみません。
4K動画なので、拡大しても画質は耐えられると思います。
大画面・大迫力でどうぞ!
私も好き者だから以前に、クマとの関わりに関して記事を書いたこともありました。
全国の都道府県毎の猟友会メンバーの数や、クマとのかかわり方などを調べていくうちに
都道府県毎に大きな違いがあると感じました。
熊は、アイヌ民族ではカムイと呼び、イオマンテの儀式などで、命の再生の象徴として崇められ、
この動画は、一見残酷に見えるが、我々は毎日牛や豚、鳥を家畜として大量虐殺して食べていることに気が付かないだけだ
イオマンテは、家畜だが神として感謝して殺す存在であり、命の再生を願い、人々の命を繋ぐ儀式でもある。
和人の我々は、日本の至る所にアイヌ民族の呼び名をそのまま使用させてもらい、
漢字の当て字として使用させてもらいました。
実は縄文人、弥生人という人種の発展の上で、山や自然、恵み、暮らしの思想文化には
アイヌの思想が流入し、根深く今も息付いていることを知る人は今では少なくなったでしょう。
または知らなかった方も多いでしょう。
山形県の飯豊山につながる地神山の地名の経緯や、小国町の荒川などは、
元々、アーラーの川(アイヌ語)という死者を弔う川、
アーラーである川から当て字として荒川となったとされています。
そのようなアイヌ語が語源である地名は北海道のみならず、
岩手県にも多く、柳田国男が遠野物語でも書いていますが、山に住む山人として紹介しています。
いつしか熊という存在は、アイヌ思想に傾倒し、山の神や森の神、
もしくはヨーロッパ思想である恵みの象徴などとして文化が2度も流入し、
和人も熊を崇める(リスペクトする)存在となりました。
命の再生として見れば、熊を狩猟して殺して食べて人間の命を繋ぐというマタギ猟師という選択肢と、
神は殺せない・してはいけないという思想から熊スプレーの痛さによって恐怖を覚えさせて、
人間の前に姿を現さないように、恐れさせ距離をとらせる学習放獣をして山に返す選択肢と
最近では、今回視察に行った牧場のように、山に返す訳にもいかず、致し方なく飼うという選択肢が
食べる訳でもなく、人々を恐れさせる存在でもなく、喜ばせるという共存の存在として
牧場で見せ物として飼うという選択肢があるのだと分かり始めました。
なるほど、秋田県の取り組みは第3の選択肢を選んだのだと察したのでした。
別に市議会議員でもないのですが・・・何で視察やってるの?トホホ。
本州では長野県にクマ牧場があり、長野県の熊による人身被害が少ないのも、
頭数が多い割に被害数が少ない理由が少し分かったような気がします。
山形県には北部鳥海山麓と南部飯豊山麓にマタギ狩猟文化が存在し、
また同様に秋田でも南部羽後鳥海山麓と北部阿仁マタギ狩猟文化が存在します。
つまり熊を殺して食べる・最大限資源を利用するという、そしてそれを販売し主生計とする生き方が
今までのマタギ狩猟文化でした。
阿仁のクマ牧場では、たくさんのお父さん達が草刈りや飼育、料金徴収係など、
時代を超えて、熊を殺さないで利用したニューカマー・マタギ文化の在り方が、
クマ牧場として形を変えて今も息付いている事を今回の視察で知りました。
そして熊との共生の形は、経営の存続として、これからどうなっていくのかが気になるところですが、
それに関しては次回に譲ることにしたいと思います。
アテレコ(なんかして遊ぼうよ!近寄るなって!暑いから・・・
阿仁貴!?・・・・・阿仁だけにか!?・・・あーちょっと寒くなってきたぞ・・・
もっとアニキって言ってくれ!・・・あー寒っ!? www)
お粗末様でした。
本日もご覧いただきましてありがとうございました