人に与えられている権利の一つに、教育があります。
動物や植物などの生きる命には、進化の過程で教えられずとも自然とそうやって来て
考えずとも行えることもありますが、
教育とは誰かが、誰かに未来につながる何かを伝えていく事を言います、
つまり、まず第一に語り継がれる何かを生み出す人と、
それを伝える人、
受け継ぐ人の
3つの段階の人達が存在します。
ノーベルさんは、ダイナマイトを発見した人ですが、
またアインシュタインさんも核爆弾製造に署名をした一人ですが、
どちらも初めは、人類の希望の為に努力していたことですが、
権力者達によって人を殺戮するための兵器として悪用されること知り、
とても、意図に反したことになり、後悔したと書き残しています。
この場合、人の役に立つようにと産みだした善意のアイデアを、誰かが悪意を持って伝える方を優先して
戦争の悲劇が拡大してしまいました。
この事例が、最も悪意を持って伝えた場合の悪い例でした。
最も重要なのは、生み出す人ではなく
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こっちも重要ですが、この場では脇役
、伝える人の意志がどちらに向いているかによって
影響力は大きく変わっていくという事ですよね。
またモロにその思想は、まっさらな何も知らない、若者の受け継ぐ側に侵入して洗脳されてしまい、
次々に悪意に満ちた意志は受け継がれてしまいます。
教育とは、情報を伝達する立場の人のあれこれを言いますが、
日本の義務教育を司る教員の一部には、
日本の教育と宗教分離という建前を盾に、国歌斉唱(君が代)をしないという主張も、
日本国に於いて、反乱軍や革命軍とも云える集団的反乱行為であるのにも関わらず、
本人達は、それが正しいと信じて疑わないのは、
上に立つ権力者の誰かか日教組(立憲民主党・社民党)という悪の組織によって
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この場を借りて云わせて欲しい、足を引っ張るな!と
扇動されているからであって
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教員は社会的無知な人が多いので、誰かに浅知恵を植え付けられないと、声高らかに言える人は意外と少ない
日本国としての象徴である天皇や国会に逆らってまで、国歌を歌わないと云う姿勢は、
どこかで戻す必要があるのではないかと個人的に思っています。
受け継ぐ子供たちに対しても、国歌斉唱を拒否する所を見せれば、
自分達も日本国に対して抵抗をして良いのだという反社会勢力を作り兼ねません、
そういう態度を見せている事に何故気が付かないのでしょうか?
しかしながら、都合が良い流行語で多様性という言い方で逃げる輩もいるでしょうね。
このように、学校の先生ですら浮草のように、自分という考えすらも持たずに、
言われるがままに動き、子供たちに語り継いでいく。
学歴が高く社会的地位が高い人ほど、自分の名声に傷を付けたくないので
縦社会に巻かれて生き続けなければならないのかもしれません。
もとい
私達一人一人が、目の前にある疑問に立ち向かい、議論し、日本の未来と
子供たちにどうなって欲しいのかを考えた上での、大人の考え方や行動を示し
未来へと正の教育を引き継ぎ、負の教育は減らしていく方向で考えていきたいものだと思うのです。
特に学歴の高い人達は、そう云った方面の努力をお願いしたいものだと思います
そんな漠然とした表現方法では、分かるような・・・分からないような言い方ですが、
国歌斉唱は良いことでしょうか?悪い事なのでしょうか?
まず第一にここから考える必要があるかもしれません。
次に、軍事力は必要でしょうか?不必要でしょうか?
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意味深な問い
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中国の人口14億人 VS 日本の人口1憶人 14対1じゃ 戦争で勝てる訳ねーよ!
食料自給率と食品輸入率はどのくらいが適正なのでしょうか?
土日休みの週休二日制は、農家や自営業者に適応されると・・・どうなるのでしょうか?
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まさに俺・・・爆死
現在、貧富の格差や将来不安、持続可能な社会構造に向けて、単体で取り組んでいますが、
各国首脳人が顔を合わせて、地球に暮らす人々が、益々人口増加の一途を辿りゆく中で、
コロナウィルスや戦争という建前の元での人口の粛清と、どこかで考えておられるならば
その意思は、今後も教育という名の元に引き継がれていくだろうし、
その指導者の下での国民は、不幸を引き継がざる負えなくなると思うのです。
国家指導者の、善の思想と未来を悼む気持ちがあるのなら、是非とも単体の問題を考えるのではなく
大きな希望というエネルギーを国民に降り注いで、正しい方向へと導いて欲しいものだと思います。
今何が出来るか?
技術的な革新は益々進むでしょうが、それで人の心は豊かにはなりません。
テクノロジーが進むことによって引き起こされるのは、競争です。
核爆弾という究極の兵器を手に入れた今。そして、日本は珍しく
世界で唯一の原子爆弾が2度も投下されて被曝した国であり、更には福島原発事故での当事国でもあり
第二次世界大戦でヒトラーに踊らされて、A級戦犯の方々の元に世界一死者数を出した国でもあり、
とんでもなく被害を知っている国民だからこそ、
これ以上の悲惨な結果を産まない行動をするために
教育を良いものにしていく必要があるのではないかと思うのです。
教員は、学校の配布資料を子供に伝えるだけの仕事ですが、
上層部の文部省の幹部などが、他国に遠慮などせずに、ありのままに伝え、
子供らにそれがどうだったのかを考えさせるような教育資料製作が出来たなら
知能指数や社会的知能指数も育まれるのではないだろうかと、最近思うんですよね。
韓国や中国の現状を鑑みてみると、一指導者の考え一つで、国民が大きく動かされる。
中国は、鄧小平さんの時代までは、多民族国家である中国を認めるという事で居た訳ですけれども
習近平さんになった途端に野心のままに占領を進めていき、建前としての国を作ろうとしています。
また韓国のムンジェインさんも、南北合併を目指していますが、仮想敵国日本を作り
国民に逆賊日本人の反日教育をしていますが、韓国国民に何かメリットはあるのでしょうか?
一瞬の視線誘導であって、長い目で見れば国民に不幸の種を植え付けているかのようにしか
見えません。
そんな事から、教育者(親兄弟の思考)って本当に大事だよなーと今更ながらに思うのです。
私の意見は、偽善者なのかもしれないけどね
今日も言いたい放題
本日もご覧いただきましてありがとうございました