騙されましたかー???
イザ!
シーザーサラダ?
ハサミ?
イヤイヤ前回の視座の続きです
JP7FRMのmy Pick
今回は、単純にアメリカの絵本作家のターシャ・デューダさんの視点って
すごいなーと思ったので引用してみようかと思ったのです。
「忙しすぎて、心が迷子になっていない?」
「ここでは200年前と同じやり方で一日かかる覚悟でやるのよ、
この家では時間の進み方が違うの。」
動画を見ていて、そうだよなーと思ったのが、時間の進み方です。
以前は、風呂を沸かすのに新聞紙の広告を丸めて先端に火をつけて、風呂桶横の釜に火種を入れて
青い火か緑色の火か楽しみに見つめながら、それから少しずつ小さな薪から大きな薪を入れるまでは、
早くやったとしても10分くらいはかかったんじゃないかと思います。
そういう意味では、幼少期から毎日キャンプファイヤーをやっていたようなもので、
今ではその杉の木のススケタ匂いとツーンと目に染みる煙を嫌って、
もっぱらバイクツーリングの時のキャンプ時は、薪などの匂いのつかないガスストーブで
炊飯などの煮炊きをしているのかもしれないと、
今さら書きながら幼少期のトラウマに気づいた部分でもあります。
風呂に入れる薪さえも、夏のうちにチェーンソーで切り、祖父、父、私、手伝いの人で斧で割って
家の横の壁一面が見えなくなるまで、結わいて、立てかけて、置いて、備える準備をしていたのは、
昭和60年代?頃まででしょうか?
当時にしてみれば、地域の中では意外と早くボイラー式に切り替えましたので、
他の家ではその後10年は薪を焚いて風呂に入っている家も多かったと思います。
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なにせ、おしん県ですからね
そう考えてみるに、平成の10年くらいを境として、風呂は急激な進化を遂げ、
今では当たり前の「お風呂が出来ました」に順応してしまいましたが、
あれから、まだ30年程度しか経ってないんですよね。
その30年が若い人にしてみれば、相当な年月と時間に思えるだろうし、
そりゃそうですよね。生まれて子供が居て家庭があって・・・
風呂は当たり前のように「お風呂が出来ました~」ですからね。
私たちの世代からしてみれば
30年なんてあっという間という風にしか感じませんし。
皆様はどちら側の人でしょうか
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大方の方は、湯当たりの良いお湯を経験されたことでしょう。
そのような視座で先ほどのターシャ・ドューダさんの言葉を聞いてみると、感慨深く思えてきます。
身体と精神は、相対性理論の時間のように少しずつ伸びているのにも関わらず、
世の中の流れは、ますます早く短くなり、ガラケーから4G、そして5Gや自動車に於いては
有鉛ガソリン無鉛ガソリンの昭和を経て、レギュラーガソリンとハイオクタン価ガソリン
そして、銀行では利息が付かず、ネット証券での国債による預金貯蓄が当たり前となり、
万年筆から鉛筆、シャープペン、ボールペンと進み、今ではスマホやタブレットで来週の予定を記録。
それどころか、来月、来年の記録までしている始末。
昔を語るとめんどくさいですが、1年先までの予定なんか誰にも分からない昭和でした。
いつの間にか、そして社会の歯車の一員として、追われる毎日を生きてきて・・・ふと
「忙しすぎて、心が迷子になっていないかい?」などと問われると・・・
俺は何をしたかったんだっけ?と改めて考えてみても、思いつかない事こそが・・・
行先不明の迷子ちゃんになっている訳で・・・
改めて、ターシャの言葉によって、何のために生きているの?と自分に問うのだが、
大方の考え通りに、子供の為だとか・・・・老後の生活資金の為だとか・・・
というありきたりな言葉しか出てきません。
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世界一をとってやるーぐらいの言葉が言えないのでしょうか?
現実問題として、老後の生活が保障されるならば、心の視点は周りを見渡すことも出来るのしょうが、
今の時点では、足元を見つめて、踏み外さず、崖に落ちないように歩くのが精一杯なのです。
もう一度自分に問う。
いくらあったら老後の生活が保障されるのかと。
ターシャのように、薪で風呂を沸かすのであれば、電気代は要らない。
自給自足で生きて行けるのなら、食費はかからない。
固定資産税や、市民税、県民税、国保代、電気ガス水道の基本固定費を払えるのなら
年金で賄えて、かろうじて生きて行けるのだから、そこまで気にする必要はない。
つまり、いつか気持ちの切り替えをクラッシクに切り替えるタイミングが来ること、そして
切り替えなければ、加速度を増して進む世の中に、息が出来るだけの酸素を取り込めず
酸欠ならぬ金欠にでもなろうとしているという事を、
このターシャさんの動画は教えてくれているような気がするのです。
私の場合は山菜もある程度分かり、農業も出来るので、自給自足は容易ですが、
都会に暮らす若者にとっては、薪風呂生活を送ってきていないのだから、
なおさら心の迷子からの脱出は困難を極めるでしょう。
今、キャンプがもてはやされる理由の一つに、自活力。
そして自給自足によって、金でものを得るのではなく、
労力によって生きる自信を得るというのが目的になっているが故に、
キャンプキャンプと、こぞってのめり込むのだと思うのです。(個人的推測)
つまり、何となく
世の中の時間の流れが速くなっているのに気付いている証拠と証明なのかもしれません。
そしてそれに人々の暮らしは比例して便利になるのですが、反比例して精神は付いてこれずにもいる。
金持ちは死ぬまで、現役と同等の生活水準を保つことが出来るのでしょうが、
収入の先細りが予想される年金組は、自ずと昭和の生活を思い起こさせるような
ゆっくりとした生き方をせざる負えなくなるのでしょう。
私もその一人ですが、それが決して悪いというこではなく、若い世代にしてみれば、みすぼらしく、
貧しく映るでしょうが、逆に身体を動かさなければ何事にも不便が生じる生き方では、
それが身体のリハビリテーションにも繋がり、案外、健康的で長生きできるかもしれないのです。
同じような事を考えている方は多いと思いますが、老後は施設に入って終わりなのではなく、
ボロ屋でも、自給自足をして80歳になったら80歳に合わせたゆっくりとした時間を生きて、
90歳になったらば、更にもっとゆっくりの時間を生きれるような社会に・・・
田舎側が変われるのなら、素晴らしい社会じゃないでしょうか?
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激しく理想論を語ってます
以前シンガポールに行った時に、そんな場所でした。
マレーシアとは地続きで、給料が10倍違い、マレーシアよりバイクでシンガポールに出稼ぎに来て
また夕方、暮らしの安いマレーシアに帰っていく。
そのように、都会には金を目当てに働きに行くが、暮らしは田舎というのが理想的かもしれませんね。
そういう意味で、人口が集中する大都市では、暮らしの税金を高くして、人口密度の低い田舎程
暮らす税金を限りなく低くすれば、人口が集中せずに、また老後も暮らしやすくなり、
わざわざ海外に移住する必要もなくなり、また外国からの移住者も増えるかもしれないのです。
名案じゃないですかねと自画自賛ですが、
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法人が都市部に集中することに拍車をかけてしまう結果になりかねない。
自分の為にもそういう制度があっても良いように思えてきました。
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待てよ!?ってことは、もう少しポツンと一軒家あたりに暮らさないと税金安くならないと考えると、
病院に通うのにタクシー代かかって、余計に出費したりして
もう一度、考え直してみよう
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本日の視座はターシャ・デューダさんから目線という事で、勝手なことを書いてしまいました。
長らくご覧いただきましてありがとうございました。