今回の記事は歌詞を読み解きますが、誹謗中傷などではなく、
敬いの気持ちをもって語る事を御承知おきくださいませ。
マエオキ・・・終わり・・・
前回までは、どちらかというと光と影の、光の部分ばかりを見てきたような気がします。
さて、これからは、なるべく影や闇の魅力を探していこうかと考え始めました。
どこまで出来るか分からないのですが・・・
手始めにテレサテンさんの歌に目が奪われたので、歌詞を見つめながら、
何故に残念な部分である最後のフレーズに魅力があるのか?考えてみました。
言葉のマジックは凄まじいものです。
別れの予感の歌詞について、エッセンスを汲み取ってみると、
一小節目では
一見、優しい男が良いように思わせておいて、それが気にくわないと言ってくる。
どれだけ愛しているのかを表現していながらも・・・
心の中では、彼からの見返りが帰ってこない事への絶望と疲弊の限界を感じで
別れをも予感させる。
二小節目では、私の人生にあなたしか要らないとまで言っておいて、
これ以上愛せないとも言っている。
一方通行の強い片想い感が伝わってくるのだが、
綺麗な言葉の背景に、女の感情の起伏の激しさと、恐喝とも云える、
または諦めとも捉えられる言葉によって、男尊女卑の女性が男に黙って三歩下がって
付いてくることには、もう疲れたのよと代弁しているかのような詩でもある。
つまりは男女平等の考え方フェミニズムを少し漂わせ、男側に優しさという気遣いから
愛するという行動と積極的態度でもって表現し、直接的に伝えて欲しいという、
うながしとも捉えられる表現が含まれているようにも思えてしまう。
次につぐないの歌詞であるが
初めから別居することが前提としており、理由として優しすぎた、子供過ぎたという理由を挙げている。
つまり、逆を言えば壊れモノ扱いをしないで、ボロ雑巾のように取り扱って欲しかったという欲望もあり、
また子供過ぎたという言葉によって、母と子の関係性のように上げ膳据え膳で育った長男のような男
ではなく、次男坊のような保守に回らない人生の船に乗りたかったとも云っているような気がする。
つまり、穏やかな船の上で最後を迎えるのではなく、
荒々しい外洋という揺れるけれども新たなる新天地に向かい冒険したいという気持ちも
含まれているかのような言葉なのだ。
ちょうどNHK歌謡コンサートなどで歌われている時代が1989年頃になるのだが、
男女共働きが当たり前の時代となり、生活習慣だけは相も変わらず、
女性が食事の支度と洗濯などの家事をもこなし、仕事もする。
男子厨房に入らずの男は煙たがられる時代の幕開けとなった。
まさに女性にとって、別れを予感させたりする言葉には、
男に新たなるかわいい彼女が出来て、致し方なく出て行かざる負えない状況で別れるのではなく、
そんな気づかぬアホ男では、私が飽きてしまいあなたを捨てて、
新たなる人生を踏み出すこともいとわないのよという心の余裕をも感じさせる、
余裕がある、未来がある別れであり、
別れという言葉自体はマイナスイメージだが、その歌詞の流れから、
別れた先に希望が見えるような歌詞でもある気がする。
そこに何かしらの引き込まれる陰の魅力が隠れているのが、ヒットした理由かもしれない。
歌いながら、何となく悲しげであり、サビを歌った後でのすがすがしさは
そういう隠された背景の所から生まれ出るのかもしれない。
完全に妄想の世界観ではありますが、笑ってお付き合いいただければと思います。
本日もご覧いただきありがとうございました