業 | 独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。
仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。
By幸田露伴(努力論より)

たまたま「真贋」吉本隆明を読み進めていく上で

 

 

親鸞聖人の業縁という文字が気になり、調べるきっかけとなりました。

 

とは、「身・口・意が行う善悪の行為、特に悪行、前世の悪行の報い」というように出てきます。

 

とは、「直接的な原因ではなく、前世などの関係からつながりを見せる因果関係を表す

 

との事ですが、

 

なぜそもそも、業縁が出てくるかと云えば、法然の弟子である親鸞聖人が唯円という自分の弟子に

語った「歎異抄」という書物の中で、「なぜ人は悪をなすのか?」という問いに対して、

 

 

あるとき、親鸞が唯円に「お前は俺の言う事なら何でも聞くか?」と

 

言いました。

 

唯円は「お師匠さんの言う事なら何でも聞きます」と答えると、

 

親鸞は「じゃあ、人を千人殺してみろ」と言ったのです。

 

唯円は正直に「いや、人を千人殺せと言われても、

 

一人の人間さえ殺すだけの気持ちにもなれないし、

 

それだけの度量もないから、それは出来ません」と答えた。

 

親鸞は「今、俺の言う事は何でも聞くと言ったのに、

 

もう背いたじゃないか。

 

そういう風に業縁がなければ、一人の人間さえ殺せないものだ。

 

だけど業縁がある時は、

 

一人も殺せないと思っても、千人殺せることもあり得るんだよ」と言った。

 

という流れの中での業縁という、きっかけと言えば軽々しく、またご縁と考えてみても

 

表向き言葉での薄いきっかけという風でもなく、やはり、

 

前世からの繋がりを感じさせる廻った因果関係業縁と表わすのは

 

流石の表現としか言いようがない。

 

そんな言葉使いに吉本隆明さんは、またもや!いちゃもんをつけて、業縁と訳すのではなく

 

機縁と称するあたりは、なにやら隠し持っている考えがあるのやもしれません・・・・と

 

心に勘繰りながらも真贋の単行本を読み進めていくのですが、

 

この本でまず表している言葉に、毒という表現が何度も現れるのです。

 

前回の記事でも、さらっと書いたことでもあるのですが、

 

今のこの時代は表向き言葉を珍重するきらいがあると思うのです。

 

いいねボタンに代表され、そしてまた、褒め育てなどと云って、

 

子供を叱ることは、現代に於いて虐待とも捉えられかねません。

 

(昔は当たり前のように、叱り声が聞こえたものでしたよね?)

 

叱らずに子育てするこの時代は本当に親御さんはご苦労様ですと言いたいです。

 

そんな・・・いわゆる裏の面の大切さを説明できずに、

 

皆が聖人君子論を唱えるようになりつつある時代となった今。

 

まさに戦後から吉本隆明さんは、この風潮を予測し危惧して、

 

逆風の発言をして叩かれることが多くなっていった訳ですが、いやその方へと敢えて進んだのです。

 

 

その結果というか、全ての過程が説明できれば、仕方ないよねと赦されるという

 

社会構造となりつつありますが、

 

さて、その説明と責任のとり方の部分ですが、

 

現在は、説明責任を果たせと言う割には、上層部の人間ほど有耶無耶にして逃れられ、

 

下層部の人間ほど、ミスがどのように発生して、解決しようと試みたかを説明しようとすると

 

言い訳だと一喝されて説明責任を果たせずに、逆に上層部より責任を擦り付けられて

 

終焉を迎えてしまうという・・・なんともトカゲの尻尾きり構造が生まれてしまい・・・

 

またそして、それを不思議に思えば、まだお慰みにもなるのだが、

 

あぁーいつもの事かと流されてしまえば、流す涙に風が吹き、冷たさは倍増一塩である。

 

などと風流な表現は・・・・さて置き、

 

先ほどの毒の話だが、私のような考えをブログに載せて、皆様を洗脳している事こそが

 

文章による微弱な毒によって、心を少しずつ侵食させてしまっているのかもしれないと思うと、

 

なぜだか、お悔やみ申し上げますと先に申し上げておかなければいけないような気がしてきました。

 

毒は片面では、命を助ける薬という表現にもなり、また反対面から見れば命を削る毒とも見え。

 

皆様にとって、私の書いた内容が薬の作用となる毒であることを祈るばかりですwww

 

などと、まだまだ書くことは沢山あるのですが、微毒に済ませておかないと、何らかの

 

中毒症状が現れてしまいかねませんので、今日はこれにておしまいにしたいと思います。チーン

 

タイトルにある業とは、私の書いている記事、思想が善悪の悪行に値する毒気を吐いている

 

かもしれないということで、業というタイトルにさせていただきました。

説明責任を果たしたのであろうか?

毒気記事滝汗を・・・・ご覧いただき誠にありがとうございました。お願い