数日間絶交していた教誨師の本とも、絶交を解き、やっと開く気になりました。
そしてやっと読み終えたところです。
書籍の中間付近から、読み進める毎に感じる・・・・腹の底に感じるムズムズとした感じは、
空腹から来る胃酸過多による痛みを・・・わずかながらに感じるのか?
もしくは、心揺さぶられ、嗚咽に到る種が芽生えているのか?
もしくは拒絶反応という繭が形成されているのか?
その答えが分からずじまいのまま、マンマと作者の堀川恵子さんの術中にハマったらしく、
心に受けた傷のような記憶は、なかなか消える事は無いだろうと思います。
さて、こちらはちょうど雪景色の最中で、私の自宅窓から見える風景はこんな感じです
山にはたっぷりの雪を被り、雪の重みで木の枝が折れるのが先か?
もしくは雪がバサッと落ちてくれるのが先か?せめぎあいをいているような感じです。
そんな外の風景を見ながら・・・・、書籍の一文をお借りして掲載したいと思います。
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外の雪はまだ止まない。そして止む気配もまだない。
遥か遠い天上で生まれて、地上へと落ちてくる雪。
その結晶は大きさも形もさまざまだが、いつか必ず地表へと辿り着き、やがて消えてしまう。
人間もまた、この世に生を受けた瞬間から「死」へと向かって時を刻む。
一人一人に与えられた時間の長さは異なるが、必ず、等しくその時は訪れる。
どんなに科学が進み進歩しようとも、生物として生まれ持ったその宿命から逃れることは出来ない。
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そして、こう締めくくる
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私たちは、死に向かって生きるのではない。
迷いを重ねながらも、最後の瞬間まで間違いなく自分という命を生き抜くために、生かされている。
そうであるならば、どんな不条理に満ちたこの世であっても、
限られた時間、力を尽くしていきたいと思う。
by教誨師の文庫本の一文より堀川恵子
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読み終えて、また違う窓から外を眺めてみると、太陽の光が雪面に影を作りながら
何やら面白い形を浮かび上がらせています。
太陽の光という存在がなければ、単なる雪面に過ぎません。
光の当たり方によって、見え方が変わることは雪国に住む者にとっての
唯一の醍醐味なのかもしれませんと慰めを胸に抱きながら、
あと数か月は辛抱を強いられることでしょう。
さて
今年は早かったとか?長かったとか?という表現がありますよね?
皆様の今年はいかがだったでしょうか?あっという間だったでしょうか?
私にとってのこの1年は、前半は早くて、後半は長かったような気がします・・・・
単にそれは記憶力の低下がきっと原因なのであって、
半年以上前の事を覚えていないだけの事かもしれません。
人によっては・・・エッーーーーー記憶がそれしかないの?
と言われてしまうかもしれませんが、散財王の私は、昔から散財ショックを和らげるために
辛い記憶は2日3日寝ると忘れてしまい、クレジットの支払金額を見て思い出し、ショックを引き起こし、
すぐに銀行に入金すると、当日には忘れてしまうと云う、同じ過ちのループ人生を送っている為か?
もしくはそれは、毎日の飲酒で、認知症が早まっている予兆なのかもしれませんね。(*・∀・*)アハッ
笑っている場合ではありませんが、・・・
そういう事で、記憶がある時間感覚は、思い出の分だけ長く感じて、
好きな思い出の記憶がない時間は早く過ぎたような感覚になるのかもしれません。
そういう意味では、思い出という記憶に対比しての時間感覚という意味では、
相対性時間という事になります。
「今」というのんびりした気持ちの時から過去を振り返ってみた時、あー早かったなーと思えるし、
また、仕事に追われて、毎日忙しい時は、一週間すら長く思えたりして・・・
ネットで、こんな事を考えている人は居るかな?と調べてみると・・・いました
トゥルク大学のArstila氏が、オッドボール効果という表現を使い説明しています。
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第一に、私たちは繰り返し起きる事象については、すでに記憶しているため
注意を払うことが少なくなり、より速く過ぎていくように感じられる。
第二に、新しい事象が現れると、私たちの注意は新しい記憶を作ることに集中する。
そのため、時間の流れが遅くなったように感じる。
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という事らしい。
そのように説明されると、そうなのだが、科学とは無情にも夢が無いなー。
相対性理論時間だと思いたかったのに・・・。
イギリスの海岸にあるセブンシスターズという河岸段丘という絶景が
[画像はネットよりお借りしました]
何十万年という年限を経て、未だ進化し続けているという、
無機生物成れの果ての結果誕生した、石灰石の経時的変化を見る時、
我々、生物の時の変化は早く、人間に於いても100年というタイムリミットしか与えられていません。
そう考えてみる時に、生物にとってのこの1年は、どれほど貴重な1年なのでしょう
アルコール性の脳みそで半年程度の記憶しかないというのでは,
今更ながらに、勿体ないような気もしてきました
今までは、人はいつか死ぬのだから、いつでもかかってきなさい
という感じで、命惜しさは全くありませんでしたが、教誨師の書籍なども読み終えたところで、
たかだか100年間という時間しか与えられていない我々人類なのだから・・・・
残された時間を、どんなことをしてでも生きる。
こき使ってポンコツになり、そして次第に手先が不器用になり、足も口も戻らなくなっても、
そして、腰や首が骨粗しょう症の為に曲がって痛かろうが、
生活資金が不足して生きる事に対して苦しかろうが、懸命に生き続ける・・・
という事が、人類の宿命でもあり、
たまにそれを振り返った時に「尊い時間の使い方だった」と思えるんだろうなと。
悟っちゃって・・・・死期が近いのでしょうかwww
あー感動してお腹が空いたので、
またもや夕方はウィスキーをやってアル中世界へと戻っていきたいと思います。
ダメだこりゃ
猫にも器用と不器用が存在する pic.twitter.com/V9MQtRioJN
— 最多情報局 (@tyomateee) December 26, 2020
本日もご覧いただきましてありがとうございました