本日もユーチューブを見ていましたが、突然オススメされたものをみていると・・・・
ホセムヒカさんの何気ない言葉が気になりました。
「日本は何であんなに若者が自殺するの?ちょっと頭がおかしいよ!」
「私が理解できるのは、年齢による病気で生きるのが苦しくて選ぶのは理解できる」と
貧困や苦しみからの逃避としての選択肢としては誰でも理解できる。
という事で、ネットでググってみました。
医師から目線の記事はこちら
そして、デュルケーム自殺論の要約はこちら
そして、自殺は脳の機能異常なのだから薬物補給論の記事はこちら
そして、こちらも成功者が自殺する理由を脳生理学の快感物質論から見た記事
そして、自殺とは殺人であるという、養老孟司先生の記事
これらの記事を読んでいるうちに、様々な見方があるのだなーと気づかされました。
多くの日本人は鬱(うつ)という末路をイメージしてしまいます。
ここで注意なのは、鬱病は先天的脳機能異常であり、一般の方が罹患する鬱とは、
鬱型症状の事をうつ病と云うのであって、しっかり区別しなければなりません。
儲けの医者は、鬱状態にある患者にも、鬱病の投薬を行い、
長期服用の結果的に鬱病に作り上げてしまうという、出口の見えない服用を促す医師もいます。
最近は、厚生労働省も出口の見える投薬を指示していますので、今後少しずつではありますが、
3か月服薬したら病気が治って飲まなくても良くなったという服薬方式が多くなっていくと思います。
今までは、症状を言えば言っただけ、薬がどんどんと増えていくという
診療方式でした。
この話はさて置き、
何故にと云う理由を私なりにまとめてみました。
1.視野狭窄
生きている世界が小さくて、選択肢の幅が少なく、生きるか死ぬかしか選べないという考え方
グレーゾーンエリアが狭い思考パターン
2.絶望(豊かさのリバウンド)
順調に欲望の大きさに比例して進んでいたものが、いつか何かのきっかけで失敗や挫折したとき
の絶望感が大きく、その差が大きければ心に対するうつ状態も深くなり、立ち直れずに
引き金となってしまう場合があるという事。
3.離脱欲
病気による苦しみという実痛からの逃れ、生活苦という心の痛みからの逃れの一種
として潜在的に求める欲求。
この場合は基本的に一人では死ねないので、協力者(自殺ほう助)と共にの場合が多いと考えられる。
4.脳機能の異常
感情によって引き起こされる脳にある伝達物質の異常が、感情の攻撃性を増し、
本来自死予防に働くはずのタガを外してしまう事がある。(こちらは神経伝達物質の過剰分泌)
本来の先天的鬱病とは、発生機序が根本的に異なることに注意(伝達物質の慢性的不足)
5.思想の自由度の弊害
無宗教という、自殺に対する罪悪感の教育と残されたものが不幸になるという刷り込みが無い、
つまり縛りが無い無宗教という思想が自己本位抑止に働かず、思考の変移を起こさせにくいという
土壌を作ってしまっている。
そして、それらの理由と対処法を自分なりにまとめてみました。
1.視野狭窄に対しては、
その事実を知り得た段階で、選択肢の提供を行う事。
つまりは、親や友人が話を聞いて、否定せず、世界にはもっと色々あるんだよ
という希望という手を差し伸べて、一緒に手を引くという優しさがあれば
回復可能なのではと個人的に思います。
2.絶望に対しては、欲が強く自我という社会摩擦が少ない結果なのだから、
生きている間、何度もその人に起こり得てしまう事が想像される。
故に、どん底に落ちた時に、回復できずにいる時だけ手助けして、
あとは、見守りを続けていくという一生付き合っていかなければならない個性なのだという事を、
やんわりと本人に教えてあげて、助けてあげつつも一緒に歩むという絆が大切な予防になると思う。
3.離脱欲に対しては、生きる事に対しての価値観を見出してもらったり、
希望を持ってもらうことが大切なのではと思いますので、
以前のブログにも書きましたが
障害や苦しみがある人生を努力するほど、死の尊さと価値は上がっていくのだという、
私流ではありますが、生きている意味を刷り込むことによって、少しでも
踏みとどまっていただけるのではないだろうかと考えるのです。
4.脳機能の異常に対しては、
基本的に、Doctor of Doctor を見つけ出し、攻撃性を抑えるリチウム塩やケタミンなどという
薬物投与が必要になるために、外来受診をお勧めします。
しかしながら、この攻撃性も、以前のブログでも紹介した、フロイトの超自我という
倫理観や道徳観の教育と獲得によって抑制されることもあるかもしれないので、
そう云った勉強会に参加するのも良いのかもしれません。
5.思想の自由度の弊害に対しては
宗教とは、愛を知る勉強であると私は思っています。
どの宗教も、自分の為に家族の為に、他人の為に、死後の残された家族と種族のためにと
色々と物語を用いて説明しています。
各宗派によって内容は異なりますので、そう云った引用を用いながら、愛が伝われば、
きっと無宗教の人を救うことが出来るのではと思うのです。
そういう私も、かじっているだけで、無宗教者という名の多宗教者なので
なんとも・・・こんな事を言えた義理でもないのですがwww
言葉を絞り過ぎて、抽象的になってしまい分かりにくかったかと思いますが、
クドクドと長くなるのを嫌って、敢えてさらっと箇条書きみたいにまとめてみました。
さて、これだけではなく、もっと分類できるかと思いますが、
何分素人ですのでこの程度でご勘弁ください
問題は、死に近い人をどうやって見抜くか?
そしていかに予防できるのか?です。
毎年、年間 3万人という方々の尊い命を守るというのも、
今巷で流行の、多様性を認めるという言葉の次に必要な事項ではないだろうかと
最近年を重ねるごとに思うのです。
なーんて偉そうなことを語っていると、講演会のオファーが来てしまいそうなので、
あまり大きなことは語らずに、まずは自分がその立場に立った時にどうするのか?
友人、知人に鬱の薬を服用している人が、多分に居て、このブログを見ているかもしれないので、
予兆をどうやって捉えて、予防へと結び付けられるのか?
まず身近なところからトライしていきたいと思います。
本日も、ローテンションになってしまう内容の記事をご覧いただきましてありがとうございました。