とある対談記事より | 独学の道Ⅲ

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自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。By幸田露伴(努力論言葉より)

WIKIペディアの単語を追いながらネットサーフィンをしていたら

 

次の記事に↓ 寄り道してしまいました。

 

乾いてしまった日本人の心を取り戻すために~

 

 

五木寛之さんと上山大峻さんの会話である。

 

 

様々な広がりをもちながらの会話は、流石と云わせる奥深い内容の会話と、

 

博識を根底に持っている二人だからこその、上澄み会話でもある。

 

私が、何を見出していたのかといえば、異教徒である。

 

異教徒

 

そうです。

 

19世紀から20世紀は、目に見えるものの発展をしてきました。

 

故に目に見えないものの発展は取り残され、その解決の矛先もなく置き去りのままです。

 

対談の記事にもありますが、新幹線の駅前は全国どこでも統一されて、情緒が無くなったとあります。

 

確かに、そうですよね。新幹線を降りても、違う土地に来たんだという感動はありません。

 

駅から離れ、違うものをあえて発見して、違う土地に来たことを認識し安堵する。

 

言語も標準語化され、関西弁と東京弁などの代表される言語へと統一されていくのでしょう。

 

 

それまでは、私の住む町では、2Km先の住民の方言さえも違いました。

 

ですから、部落単位で、あの言葉は何部落出身だよねってすぐわかりました。

 

 

今だに我が町では、○○藩にいじめられたとかって言って、隣の市には警戒感をを持っています。

 

初めて聞いたときは、アホか!そんな戦国時代の話を持ち出してきて・・・

 

今は平成だぞ!と思ったものです。

 

 

日本に於いても、日本人の中でも、隣町の人に対して、異教徒扱いが残り、

 

また、仏教の宗派が違う事でも、区別し、都道府県が違うだけでも区分けし・・・

 

伊達政宗の町、仙台とか、上杉謙信の米沢とか・・・・

 

どんだけ区分けするんだと思うほどに、異教徒文化差別が存在します。

 

 

あまりにも当たり前すぎて、キリスト教とかユダヤ教とかって聞かない限りは、異教徒感がありません。

 

 

言われてみれば、皆さんもそう思うのではないでしょうか?

 

東京都民だって、港区在住と江戸川区在住では天と地の差がありますでしょう。

 

私が以前住んでいた、大田区だって、環八の内側か外側かで大きく扱いが違いました。

 

 

そこで、この異教徒感を和ませたり、むしろ地域の結束力を強めたりするものの一つに

 

祭りが存在するのだと思うのです。

 

どんな祭りでも良いのですが、小さいことを気にしていたら出来ない事ですから、

 

祭りを通して、小さい部落同士の軋轢を緩和し、融和させる働きを持つと思うのです。

 

 

小規模の村単位の祭りから、大きな県を挙げての祭り、そして、東北六魂祭のように、

 

東北一丸となりという、垣根を越えて、東北人というまとまった単位に出来るもの、

 

それが祭りの役割だと思うのです。

 

 

もし、キリスト教祭りだとか、ユダヤ教祭りのようなものが、浸透して来れば

 

異教徒感は薄れていくと思います。

 

・・・と同時に、

 

逆の意味で言えば、ローカル色が薄れていくという欠点も併せ持つ訳です。

 

先ほどの五木寛之さんの対談の話ではありませんが、

 

異教徒感を融和しつつも、地域色をどうやって残し、観光遺産として残し続けられるのか。

 

例を挙げれば、アイヌ民族。

 

1910年の岩手の遠野物語に登場する山人と嫁という、柳田国男さんが書いた書籍の中の

 

 

山人は、外見からアイヌ民族と考えられています。

 

私の地域でもアイヌ語がベースとなった地名がたくさん残されています。

 

そのアイヌ民族も1970年代になり、アイヌ語を話せる人もいなくなり、アイヌを語れないままに

 

和人の中に埋もれてしまいました。アイヌを語れば差別されたからです。

 

 

最近になり、土人保護法(明治32)からアイヌ新法(2019)へと変わり、

 

同時に、アイヌ文化を残すために、アイヌ人になりたい人は居ますか?

 

と募ったところ、誰もアイヌになりたい人がおらずに、

 

現在は在日の方になってもらっているという話を聞いたことがあります。

 

つまり、アイヌという異教徒を受け入れてもらえなかった結末が分かります。

 

琉球民族は、アイヌと同じ遺伝子を持ちますが、アイヌ人は会津藩と戦い、

 

最終的に毒殺されて北海道を占領されます。

 

琉球人は和人が琉球王国の沖縄を、日本の藩とすると決め、東京に国王が呼び出されて、

 

逆らわず、のちに日本へと属することになります。

 

が故に琉球民族は残りました。

 

このように、つい最近?まで人種ごとの差別をして、長州藩、薩摩藩などのように藩ごとの差別をして

 

都道府県ごとの差別をして、・・・・

 

いつになったら、この差別や違う都道府県の方を異教徒感に見続けるのでしょうか?

 

逆を云えば、異教徒だからこそ、食文化が独自に残されたり、方言が残されたりするのでしょうけれども

 

差別を残すか残さないか?

 

差別と区別のメリット・デメリット?

 

融和による一元化か区別による独自色を残すか?

 

異教徒にならないためには、無信仰者になる?

 

つまり日本から仏教を無くす?

 

仏教の宗派を一つにする?

 

出来ないですよねーwww

 

今日は、そんな、訳の分からない疑問を考えながら、一日が始まるのでした。

 

すいません。完全に独り言の世界に、皆さんを付き合わせてしまいました。ペコリ

 

私が住む、今朝の気温は忍び寄る秋の気配を感じさせるほどでした。

 

皆さんの地域に、秋の忍びは訪れましたか?

 

今日もご覧いただきましてありがとうございました。