備忘録として思い出すことにしてみました。
あまりマニアックなので、その手の方(0.0001パーセント)の話になって申し訳ありません。
みんながファミコンでドンキーコングとかスーパーマリオをしていた時
何故だか?・・・・というか、今でもというべきか?
人と違った方向に行こうとする傾向は今でも・・・です
そんな時、我が家に初めてクリスマスプレゼンををお願いしていて、
届いたのがMSX(1983年)私11歳のころ
CASIO(カシオ)MSXというキーボードのついたパソコンのようなもの
でも実はゲームもできるのです。
最初はゲームのカセットを差し込んで
ゼビウスみたいなのをずっとやっていて、RPGみたいなものもやりましたが・・・・
中学生も中盤に差し掛かると
月間プログラミングのような書籍が書店で売られていて購入したのが始まり・・・
MSXで夜中もぶっ続けでN88BSICのプログラミングで[if then else] を何百行と打ち込み
そして、打ち込んだデーターを保存するために、電気屋に行って
音楽用のカセットテープとは違う種類の?(実は同じかもしれないけれど・・)
10分データーカセットテープにセーブの為に録音と再生の日々
ゲームが出来たら人の家に行って音(ピーピーガーガーという音を)をロードして、実行でゲーム開始
この作業の楽しいこと楽しいこと!「今ではアホそのものですけど・・」
そんなこんなで
高校に入ると、さらにパワーアップ、物理部という部活に入部
無線班所属でその他にパソコン班、エレクトロニクス班と3班体制。
一応、高校の部で全日本優勝の経歴をもつ。
何が日本一なの!?
ってことですが・・・それはまたの機会に・・・
高校の部室にあったPCはシャープX68000
これは私の知っているN88BASICではないので、使ったことがありませんでしたが
グラフィックが滅茶苦茶キレイだったので、PCを打ち込んでる同級生に初めて嫉妬しました。
そしてもう一台はFM TOWNS(FMタウンズ)
これなんかは更に最先端を行っていてCD-ROMが標準でついているというもの。
そして、最古参となるPC-8801MK2
この当時はまだフロッピーディスクが5インチでペラペラ。
ゲームもコピーしまくりな時代でした。
それでもウィザードりーでプロテクトを外せないものも存在しましたね。
金があればウィザードリーもバージョンを上げればいいのですが、そこは高校生ですから・・
結局のところ、PC-8801MK2
が使いやすいというか?入りやすかったんですね。
BASIC言語が扱えたから、確か他の機種はちょっと独自な記号なんかあったりして
覚えるのが面倒だったのかもしれません。
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高校を卒業して専門学校に入るころになると
自宅にNEC PC9801RAという16ビットパソコンを手に入れます。
オペレーティングシステムがMS-DOSとなり、バッチファイルとか書いて、間違っても
N88BASICで鍛えられているので、簡単なものです。
ちなみにそれまでの機種は8ビットパソコンですので、処理速度が単純に早くて
自慢のRAでした。(自慢話)
専門学校時代には9821RAもそろそろ速度不足を感じ始めていて
秋葉原に通って、IBMに鞍替えです。
もうこの頃にはオペレーティングシステムはMS-DOSからWINDOWSになっていました。
IBM APTIVA
これの良いところは一太郎を音声入力できることでした。
まだ変換精度はまだまだでしたが、音声入力は楽しかったなー。
今ではwindows10ではコルタナさんがありますし、iphone11ではヘイ シリ
ですが・・・
20年も前に音声入力できたのは革新的でした。
この頃からNECとの決別を計るようになります。
NECの色が濃すぎて、どのメーカーも受け付けない閉鎖マシーンになっていったのです。
エプソンもパソコン市場に参入し始めた頃のお話です。
NECは、この頃は、オープンを求められていたことに気が付かなくて遅れたのでしょう。
VJEβ 桐 WXⅡ 松茸、ATOK
というIMEが展開され始めたころでした。
私はWXⅡ派でしたが、のちにATOK派に転向。
桐も良かったし、ロータス123ではVJEβが相性が良かった。
戻れるなら戻りたい時代です。
そして、学生の頃にはノートパソコンを教室に持ち込んで、講義を聴きながら打ち込む学生でした。
何とか講義を聴きながら打ち込むことができていました。
若かったなーと思います。
そのあとは、秋葉原でいろいろ自作したので、機種名はありませんが、
アップルに一度路線変更して、
確かこんなパワーマックを使ってOS7.5あたりを使っていたような気がする。
その後、もう一台機種変更して
パワーマックG4クイックシルバーに変更。
この頃はOS8.6を使っていました。
アップルのOSの変更は、もの凄く衝撃的
わずか8.5と8.6でも違うし、9.0になると別物ですからねー
そして、OSのアップデートに合わせてCPUやグラボもアップデートの日々
このクイックシルバーはCPUをグレードアップしてかなり長い間活躍しました。
その後はこれを下取りにマックブック専門に
マックブックプロは2台使いましたが、タッチIDの頃からやはり
WINDOWS10に戻ってくる。
WINDOWS10に戻ったのが2019年
1983年から始まったパソコン人生が、
今年でもう37年目になりました。
振り返ってみると散財しまくったなー。
一つのPCが20万から60万くらいなので・・・(MSXは除く)
だから(金)貯まんねーんだなとつくづく思う。
これをご覧いただいている皆さんも同じような経験があるのではないでしょうか?
本日もご覧くださりありがとうございました