独学の道Ⅲ

独学の道Ⅲ

自分で自分を変えることは、到底無理なことかもしれないが、それに望む気持ちの自力論は高尚で偉大である。仮にその結果が甚だ振るわなかったとしてもだ。By幸田露伴(努力論言葉より)

タイトルは、リアルカではなく、リアルりょく。

 

山から下山しました。

 

結果的に申しますと、様々な誤算であったという事です。

 

まず第一の誤算は、天気予報。

 

日曜日は晴れる予報だったから計画を立てたにも関わらず、

 

4日前の予報を見た時よりも、徐々に日が増す毎に、

 

どんどんと天候が悪化する方向に予報が進み

 

最終的な決行日当日には山頂での展望が望めず、

 

かろうじて霧がかった雰囲気で眺望することが出来る・・・

 

という状態であり、もしも、山頂からの撮影を目的とするならば、

 

日を改めた方が良いような雰囲気でした。

 

しかし、考え方を変えてみれば、

 

曇り空と湿った比較的涼しい風が吹き

 

それだけ、快適な状態での登山が出来た

 

という事でもあったと云えるかもしれません。

 

 

しかしながら、更に第2の誤算がありました。

 

登山を誘ってくれた方がベテランであるにも関わらず

 

仕事の都合などで、400m級の山には先月登っていたらしいのですが、

 

1000m級はしばらく登っていなかったらしく

 

途中で大腿四頭筋がピクピクし始めてて、両脚が攣ってしまい、

 

山頂に行ったら、きっともう・・・その日のうちに帰れないかもしれない状態

 

でも、今ここで引き返せば、本人としては何とか自力で下山できると思う状態・・・という事で

 

その時は急に訪れました。

 

油こぼしという急登の直下で、休憩していた時に、パートナーが・・・

 

○○さん

 

俺無理かもしれない・・っす・・。

 

いいですよ、

 

いつでも下山しましょう。

 

この山は、私は今まで年に3回も登っているので、気にしないで、いつでも下山しましょう。

 

・・・

 

じゃ今日はここが山頂だったということで・・・・。

 

自分のペースとタイミングで下山を開始してください。

 

私は、おにぎりを食べてから降りますし、花の写真も撮りたいので、気にせずゆっくりと

 

あとで○○さんが休憩している場所で会いましょう。

 

という事で、下山を開始しました。

 

いつも、ザックに漢方薬の筋肉の攣りを緩和するロート製薬のツラレスを入れておくのですが

 

今日に限って、大丈夫だろうとタカをくくって、ザックに入れずに来てしまいました。

 

 

下山途中に私、漢方薬持っているから、また登り返しませんか?

 

山頂はもうすぐそこですよ。

 

ってお声を掛けて頂いたのですが、

 

こういった時は、安全第一を考え、すぐそこの山頂への希望は完全に断ち切りました。

 

まずはパートナーを0合目まで下ろすことが優先されますので

 

ペース配分や足の捻挫防止、転倒防止、気力を繋げることに気を使い。

 

更には私は体力が余っていたので、相手のザックを丸ごと私に担がせてください。

 

大丈夫ですから、気軽に頼んでください。

 

と何度もお誘いをしたのですが、

 

「大丈夫、俺自分で持ちます」

 

と頑なだったので

 

仕方なく、諦めて、やっぱり持ってもらっていいですか?という自らの声を発するまでは

 

プライドを傷つけないようにと、それ以上無理強いするような言動はあまりしゃべらないようにして、

 

体力を温存できるように配慮し、距離を空けて、後ろからオラオラと急かす様なことの無いようにと

 

3m以上は間隔を空けて歩くようにして、何度も合目ごとに大休憩をはさんで、

 

無事に下山が出来ました。

 

体調が良い時は、良いんですけれども・・・

 

一旦体調を崩すと復活するまでに色々と大変なのが登山行動です。

 

以前北アルプスの稜線上の縦走中に、

 

気圧の関係と生理などが重なると、女性は動けなくなってしまい、また更にシャリバテも絡み、

 

それに雨が横殴りに降ってくると体温も下がって、

 

稜線上では雷に打たれる危険性もあるので、そこに留まることも出来ずに

 

肩車で・・・まるで軍隊の負傷兵のように何倍もの時間をかけて歩かなければなりません。

 

今回は、そう云った大ごとでは無かったので、よかったのですが

 

やはり、登山というものは、体力があってこそ、楽しめる行為であって

 

いくら頭が良くても、権力や才能などや、ましてやカネを持っていたとしても、

 

地上世界では相当有力に働くチカラも

 

山ではそれらは無力に等しく、

 

やはり圧倒的な暴力という肉体的な存在するチカラそのものの前には勝てません。

 

地上では逆ですけれども・・・

 

山では、暴力があればあるほどにハードな登山が出来、また行動計画の範囲も広がるものです。

 

そんなことを思っていたら、

 

パートナーが教えてくれました。

 

最近、関東の奥山などで暴力で金品を強奪し、

 

捕まらない盗賊まがいの犯罪も増えてきて、

 

「山に来る人は皆んな良い人ばかり」

 

ではないよね~という話をしたり、

 

山では女性など無力なのを良いことに、

 

脅して金品をせしめて捕まらないという犯罪も最近になって数件出てきているから

 

その時は、やはり暴力に訴えて、相手を圧倒する力を持たなければ、

 

山でも安心できない時代に入ったんだよね。

 

・・・なんて話をして、

 

結局のところ、山では体力次第なのだと考えさせられた今日の登山敗退の報告になりました。

 

 

話が飛んですみませんが

 

サルバドール・ダリのシュルレアリスム(超現実主義で意識と無意識が混ざった状態)

 

のような言葉などで、

 

頭に浮かんだイメージを精魂絞って生み出す様なクリエイティブな苦労の種類に

 

現代人は慣れ親しんでいます。

 

例えばネットでYouTubeを見るとか、AbemaTVでアニメを見たりしているのも、

 

結局は脳の冒険と発見する喜びや、新しいものを欲する欲求から、見続けてしまうのでしょう。

 

しかし、やはり人間は、結局のところ

 

満足とは、結果であり、その中身は単的に言えば行動と選択なのだと思った次第なのです。

 

ちょっと意味が分からないと思うので、解釈話として例を挙げるなら・・・

 

森鴎外の人生後悔の話と、建設現場などで死ぬときは、足場から離れ 

 

人生はいつも一瞬で「あっ」という言葉と共に終わってしまうのだということです。

 

黒部下ノ廊下でも多くの人が今でも落ちて亡くなっています。

 

その時も「あっ」で人生が終わるそうです。

 

脚気を治そうとして海軍と陸軍で派閥争いになったけれども、

 

当時は様々な周りの環境があって、立派であり、日本保守派閥であった鴎外は

 

後悔して死んでいったという話を聞きました。

 

傍から見れば、成功したはずの先人の失敗だったという人生観を知り、

 

自分の人生は人の為にあるのではなくやはり自分の為にあると、

 

自分ファーストで考えなければならないと思いながら・・・

 

そんなことを考えながら下山してきました。

 

 

好きな女性が居たとして、それは思い続けるだけではダメで、

 

誰かに勧められた、人生の成功の為のパートナー選びでの結婚などではなく、

 

やはり自分の思った人と結婚してこそ人生が肯定される訳です。

 

例えそれが離婚などとして・・・結果的に見て失敗に終わったとしても、

 

前者の人に勧められて出世の為の結婚を選び、

 

心の奥底に仕舞った大恋愛をけってしまった後悔よりは、

 

もっと清々しい気持ちの諦めのつく失敗と認識した・・・

 

ある意味で忘れられる後悔になるでしょう。

 

 

宇宙に知的生命体が居るのか?

 

という問いに専門家は、居るでしょうと答えます。

 

それは、この宇宙には我々地球人だけだと考えるなら、

 

未来志向と想像力という夢に乏しいと思われ、

 

逆に居ると考える方がむしろ分布バランスからも合理的であり・・・

 

合点がいくと思った方が自然に思えてしまうのは、

 

人類のなんらかのご都合主義の錯覚なのでしょう。

 

 

本当に居るんだったら、イルイル詐欺をしないで、

 

見せてくれと言いたくなってしまいます。

 

宇宙には、知的生命などはいないと

 

今までの結果を元に考える超現実的主義シュルレアリスムを考えた方が

 

この話題については自然だと思いました。

 

 

それと同様に今回の敗退は、雨が降りそうだから中止しようか?

 

という事や、遠い場所だから、近くの山に登ろうか?

 

という堕算的思考の・・・ただ登山に行ったという既成事実の辻褄合わせの

 

つまらない登山での敗退などではなく、

 

飯豊山朳差岳へと繋がる練習中の敗退でしたので、後悔はありません。

 

むしろ自分たちの現在の身体の状況が理解出来たと云うのは収穫であり、

 

勇気ある撤退が選択できて、

 

無事に自分自身の力のみで下山出来たという見極めが上手く行った事を

 

嬉しがらなければならないと思った次第です。

 

 

やはり高齢化の時代に生き残れるのは、体力のある者のみ。

 

妄想ばかりで

 

体力が少ない者は、考え方でも非現実的で悲観的逃げがちになりやすいでしょう。

 

だから、結局、満足できる人生を歩む場合には、

 

リアル力という、

 

行動力や実際の筋力・体力が人よりも多い方が確実に有利で現実的な思考なのだ

 

と判り得た登山だったように振り返ります。

 

 

さてこれは参考の為に撮影してきました。

 

 

過去に何度も登っていますが、この山は水が豊富だったはずなのに、

 

2合目にチョロチョロと出ているだけで、あとの上の方の水場は全て枯れていました。

 

ここ数年の雪の量が少なかったことが分かります。

 

夏に向けて、水は多めに持参した方が良さそうです。

 

 

三合目の巨木の森が美しく、

 

下の方は杉林だったのに、ここまでくるとブナが多くなり、

 

各種鳥の声の他に、エゾハルゼミの声も聞こえるようになってきました。

 

 

いつもは3合目は5月のゴールデンウィーク頃は花の楽園なのですが、

 

7月に近い季節ですので、雪解けと共に咲く花は一切なくて、

 

今回は、ユキノシタ科の植物が多く見られました。

 

 

サンカヨウの実を初めて見ました。

 

 

4合目に入るとブナの林で、入り込むと方位が分からなくなりそうです。

 

 

ツツジ科のどれか

 

ガクが反りかえっていて大きいので・・・なんでしょう

 

色はウラジロヨウラクっぽいのですけれども・・・

 

 

ユキノシタ科のどれかだと思います。

 

 

タニウツギが2か所にありました。

 

 

山ツツジ

 

 

スイカズラ科でもありユキノシタ科でもあるウツギ

 

これはどっちかな?

 

キバナウツギだと思うけれども・・?

 

 

その他に、ギンリョウソウや、ツツジ科のツガザクラ、ガクアジサイなどを見ることが出来ました。

 

蝶は4種類ほど見ることができて、スマホだったので撮影が間に合わず、すみません。

 

大型が黒色の一種類、あとは小型の紫色のや斑点のあるシジミ類のどれかの種類です。

 

ここはギフチョウが見られる場所でもあるので、ギフチョウか?

 

と目を更にして探したのですが見つかりませんでした。

 

蝶には宿主が必要です。

 

カンアオイを見つければ、きっとギフチョウもいるはずだけれども・・・

 

何てあちらこちらとみる所がいっぱいで、楽しかったです。

 

またフェアリー雪虫も、本日は湧いていませんでした。

 

あれに囲まれると妖精の世界に没入したような感覚になれます。

 

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さて話題を変えますが

 

この画像は、本日の最高地点での一枚。

 

遠くには海が見えますが、大気が霞んでいるので、眼では見えるのですが

 

残念ながら、写真では伝わりませんでした。

 

 

 

という事で、緑が濃くなって、エゾハルゼミも2か所から聞こえて

 

季節が夏になろうとしている印象でした。

 

 

本日も下山報告を最後までご覧いただきましてありがとうございました。