5年前の渡米時に比べて英語力は微妙ながらあがっている。(ハズ)


ドライブスルーでの注文も電話の対応もそれほど苦にならなくなってきた。
(とは言えまだまだ通じにくいことは多々ある)

前にも書いたけど純粋に英語力というより「慣れ」の部分が大半だがそれでも語彙が飛躍的に増えたりした部分は英語力といえよう。

実際に生活して喋ることは最初に身につく。つかざる終えない。
読むのと書くのは人によって差が大きく出ると思う。
どちらに力を入れたらいいかというと個人的には読む方だと思う。
なぜなら読めることによって自己勉が可能になるからだ。
取扱説明書を読む、契約書を読む、もちろん本を読むことで言い回しが身につくし後々ライティングにも役に立つ。もちろんスピーキングにも。



自分が子供のころに日本語を覚えたプロセス。

大人や周りの人が言ってることをまねて自分なりに組み合わせてそれなりの文章になっていくのと同じだ。英語も同じ。一般によく使われる共通言語(慣用句)が多聞されることで伝播力のある言語に聞こえてくるはずだ。他人のパクリっぽい喋り方からはじめるのも英語上達の手だと思う。自分自身そうやって上達してきたと思っている。
でもそろそろパクリじゃなくて自分らしく話せるようになりたい。時々喋ってて「あ、これって自分の言葉じゃない」って嫌になることがある。




本題。

英語力が身に付き始めてからの弊害。
多少込み入った話ができるようになってから周りと摩擦が生じるようになった。
かといってディベートできるレベルではない。
一方的にクレームを入れたりとかただの嫌味な人になっている。
モンスターに苦情を言われたりラスボスともめたり余計な一言を言ってしまったり。
これはこれで英語力が上がったと喜ぶべき?
渡米時には起こらなかったことだ。

英語が今より喋れなかった頃はおとなしく口数が少なく従順で、、、教科書通りのポジティブ対応のみ、といったところか。

しかし、だ。

ここはアメリカ。
あの悪魔の呪文「Speak Up!」 だ。


意見を述べはじめると問題が増える。
モンスターに手紙を書いて後悔してみたり。
これはまさに英語力向上による弊害だ。
喋れなかった頃は人に言われるままにこんなにも問題は起こらなかった。


「がまんする」
「気持ちを飲み込む」
という日本の「美徳」の賜物である「忍耐」がアメリカの文化に迎合することで
なくなってきたと思う。



言語というツールを手にしたとき、使い方によっては毒にも薬にもなる。
バカ(表現スマソ)が大金を手にした時と同じだ。



アメリカ人の著者が書いた *「Quiet」 という本がある。
「普段意見を言わない人の存在こそが重要」みたいなことが述べられている。(略し過ぎ)
何でもかんでも大声で意見を無理やり通して達成させるのが正しいわけではない、という考えに大いに賛同して渡米して以来大事に読んでいる。
久しぶりに本を開いてみてやっぱり”Introvert”ってステキ、と思っている。
ヲタク、ともとれるか。



もともとリーダーシップがないうえに人前で話す、人と話をするのが苦手な私は本来のとおりおとなしいキャラ(見かけは)でいった方が対外的にも無難じゃないだろうかと悩んでいる。
でも元々の自分のキャラってどんなんだったのだろうか。


ここにきて人生をやり直している気分。

(なんどでも)


私の好きなRNのCW。普段は寡黙だが緊急時のドクターの電話での駆け引きは抜群。
これは相当かっこいい。

アクセントはあるがアカデミックな英語を喋るMJD。彼女は暇さえあればKindleで読書している。



どの英語を喋るか選択の余地は人生と同じ。
今は自我が芽生え始めたころか。



周りの人には大いに迷惑をかけているがいずれは適切な英語使いになるのが目標。







*「Quiet」の著者は私の好きなTEDで知った。この著者の出演回で出てくる。