私はあまりしゃべらないほうだ。



正確に言うと人と上手くしゃべれない。



とくに勤務中は黙々と仕事するタイプ。
仕事中に患者さんを待たせてまでおしゃべりに花を咲かせる同僚をみると
「手を、体を動かせーー!」と心の中で毒づいているものの半面うらやましく思っている自分がいる。



黙々と一生懸命する仕事。


それは誰のためか?


実は患者さんのため、とか言いながら自分のためじゃないかと思い吐き気がした。



思い上がり



上手くしゃべれないからその分言葉を使わずに行動で補充しているつもりが実は自己実現の手段にはなっていないか?


自分を必要以上によく見せようとしていないか?


人に物を頼まれると嫌と言えない。NOということに恐怖さえ覚える。

頼まれると120%で応えてしまう。頼まれもしてないのに先回りして余計なことをしてしまう。


人に何も頼まれなかったとき、うまくできなかったときは必要以上に落ち込んでしまうのだ。




めんどくさい奴。




これが本来の私の姿じゃないだろうか。




モンスターYMはこんな私に気づいているんじゃないだろうか?
頑張りすぎてバーンアウトすることに忠告をしてくれたのではないのだろうか。
あの事件の後もYMはお母さんのように接してくれているのだ。
もしそうじゃないとしても手紙を出さなくて正解だったと思う。
出していたらもっとひどい後悔の念にかられていたと思う。(GBには送信してしまったが)





アメリカは個人主義だ。
考えれば理にかなっている。
移民の国だ。



人それぞれがそれぞれの価値観で生きている。
(法律に触れない限り)それを誰も責めることはできない。


アメリカに来てよかったと思うのはこんな私でも誰も気にしないこと。
「そんなひともいるよ」


生きづらい感はどこにいても同じだが自分で居場所さえ作ればどこにいても構わない。
「そんなこともあるよ」



Be yourself.



いま一番心に響くことば。



できることはする、できないことはしない。
「これは私の仕事じゃない」 っていうのも一理ある。




でもね、私には難しいんです。

適度な距離感というのが。

「いーかげん」じゃないという意味の「適当」がわからないんです。

それにテキトーにやるとかができないしやりかけで終わってしまうと罪悪感に苛まれる。

次のシフトのCNAに「早く帰れ!」と本気で怒られることがある。
仕事が楽になると思ってやらせてくれる人もいるのも事実。


NCLEXの受験をモタモタしていて「なんで!」と怒りだしたRN。
その時はこっちが「なんで!」と思ったけど(もちろん言い返さない)
これは究極。
自己否定に対する怒りだ。

RNになれるのにCNAに甘んじている。
RNの彼女からみたらりっぱな自己否定だというのは納得できる。


自己否定感が強いことからくる生きづらい感。

いつもこんな感じでゆれるゆれる。

それも、これも自分。

自分がじぶんでいられるのは本当の意味でむずかしい。


すこしづつ

すこしづつ


自分のためにも



人のためにも



自分らしくありたい、と願う。