いま、アメリカで一応フルタイムの会社員として働いているわけだけどこういうと大抵(特に日本在住)のひとは「すごい!」とか「英語が堪能なんだねー」とか身に余るお言葉をいただきます。

うちの父(中卒)にいたっては通院している病院の主治医に「うちの娘はアメリカの病院で働いている」とことあるごとに自慢しているらしい。そのたびに主治医からは「いやー、娘さん優秀ですね、アメリカで医療従事者とは!」と言われて悦に入っているようだ(母親談)。これも親孝行の一種ならば事実でなくても許される範囲であると思いたい。

 

実際のところ声を大にして、

 

「そんなことじぇんじぇんありまっせーーーん!」。

 

 

 

日本の新人看護師時代、なぜかいつも同じ間違いを同じパターンで繰り返していた。

とても些細なことなのだが日本の感覚ではとても重要なことだったらしい。

 

ある時、見かねたプリセプターではない先輩看護師が一緒に考えてくれた。(いい人だ)

 

「同じことをいつも間違えるのはなにか心理的な問題もあるんじゃない?」と。

 

「!!!」 何かはっきりわからないが核心を突かれたように感じた。

その後、何年も経った今でもその言葉はことあるごとにリフレインしている。

 

いまアメリカにいて遠く日本の日々を思い返すけれど久しぶりにその言葉を思い出している。

 

 

年を重ねるごとに気づいたことがある。

それは「もしや?」からはじまっていまや確信に変わりつつある。

 

人にはそれぞれ得意不得意があり、時としてちょっとそれが不便に感じることで「障がい」とみなされることもある。そういったものに名前を付けるのは嫌だ。

 

身体的なものでも心理的なものでも持って生まれた性格のような「個性」としてみなしたい。

 

例えば「パニック障害」。

周りの人に知ってもらうのは理解を求める(混乱を避ける)上でいいとは思うけどその呼称に共依存してしまうのはどうかと思う。人は多かれ少なかれそういった要素を誰でも持っているものでその程度が多く出るか少なく出るかの違いじゃないかと思う。(自分比)。NCLEX受験時に小パニックアタックに遭ったけど普段は何ともありません。

 

 

本題。

 

几帳面。

規則性のあるものが好き。

計画を立てることが好き。(実行は別)

大事なところで失敗が多い。

変化が苦手。

特定の分野で驚異的な成果を上げることがある。

強いこだわりのわりに飽きっぽい。

 

これは何のことだと思いますか?

ピンときた方もいるかと思います。

 

いわゆる大人の自閉症です。

 

そしてこのブログを書いている私自身でもあるのです。