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新たな旅

"new kid in town"

 

 

 

日本語でも論文など書いたことがないと云うのに、それを英語で、しかも三種類の論文を同時進行、提出期限も三本とも同時期だった。

TPC (Teriary Preparatory Course) をあのまま続けていたら、おそらくわたしは間違いなく nevous-break down の域に既に達していたことだろう。

 

現在の Advanced English for Further Study III では、たったの一本、しかも、たかだか700字余りの Discussion Essay ですら、ほぼ真っ向から格闘しているつもりでも、一向に埒が明かない。

そこで、こころおきなく、そして、限りなく頼りになる、my private tutor が助っ人を買って出てくれた。

 

現役大学 Lecturer としては新米ながら、生来の性格が教師向きなのだろう。一端の Acadamic らしく、プロの教師にとり数分にも満たない速読で「学生の」論文を読破したのち、的を得たアドバイスを手短に示唆。相手がたとえ自分の母親でも自分の学生と同じように。

手前味噌と言われようとも、息子の知性はわたしの父親譲り、息子にしてみれば日本のお爺ちゃん譲り。父も草葉の陰からさぞかしや小躍りせんばかりに喜んでいることだろう。

プロの大学講師は、日曜の午後いっぱい、博士号クラス志望学生によると思われる12,000字論文のreview にかかりきりだったという。だから、わたし、母の初の論文紛いが、妙に新鮮だったとな。

 

息子に指摘された、明らかな文法上の間違いは即座に訂正した。理屈の通ることに対しては、わたしは、我を張ってまで抵抗はしない。わたしを知っているひとでも驚くほど従順になれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

TAFE で学ぶようになり、まず最初に、今まで聞きなれない表現を嫌と云うほど叩き込まれた。それは、学科科目はいずれにせよ、cheating 或いは、plagiarism は問題外であること、万が一、発覚の場合には、大学等公的教育機関では、停学どころか、厳格な退学処罰対象になることもあるので、充分心せよ、と、既にTPC Tertiary Preparation Course (高等教育機関入学のための準備コース)で教えられた。

他人のアイディア、文章、作品などを、自分のものとして発表、所謂「盗作」防止のため、学生への厳重注意なのだが、現在わたしが受講中の、Advanced English For Futher Study コースでは、学生自身の「実際の英語力不足」のためか、参考文献を原語で解読しないことなど当たり前で、参考箇所を「コピペ」するのはよしとしても、その内容を参考文献として列挙しなければならないところ、果たして、きちんと Referencing しているかどうかも怪しい、そんな「やっつけ仕事が横行」しているように思えてならない。

 

論文を書く以前に、その基盤となる、肝心の基礎資料読込みの段階で、既に各自「母国語」で読解。

この時点で、わたしなどは、とても納得がゆかない。

 

教師陣の中でも一番 reasonable 物分かりの良さそうな reading 担当教師へ、クラス内での具体的事例を挙げ、わたしの疑問を直にぶつけてみた。

すると、教師個人の意見としては、無論、徹頭徹尾、英語で読み込み、作文も為されるべきであることが前提条件である、とはいうものの、実際のところ、レベルが低ければ低いクラスほど、教師は片眼、否、両眼を瞑ることもしばしばだと云う。要は、論文の内容の出来具合次第。「終わりよければすべてよし」だそうな。つまり、やっちゃったもん勝ち。あな虚し。

 

真正直に原語(英語)で取り組み、読み込んで、原語で作文しているのは、わたしだけ。

ほぼクラス全員、要領をつかうCheater たち、いい加減なひとたち。

彼らと同じ土俵で評価されることが、理不尽でならない。そして、情けない。

「正直者は****を見る」とは、このことね。

無視するしかない? 悔しいけど。

そう、我が道を往きます、わたし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

英語の Essay を日本語の「エッセイ」に置き換えようとすると、それがいかに、無理の生じる大いなる勘違いであるか、と気づく、とするなら、それは英語を真面目に勉強した証。

実際、わたしのように、この実用即効技術、学術論文の書き方なるものを手取り足取り一から教えてくれる Writing クラスを受講してみると、クラス最初の10分で、その真意が実によく理解できようというものである。

これこそが、ついこの間まで2レベル上のPTCコースで四苦八苦していた科目内容である。

現行コース内他の科目 Listening, Speaking, Reading に関しては、本来履修不要なわたしだが、Writing だけが、云うならば、初歩レベルで特訓要、脂汗に塗れつつ。

 

一般的に日本人は、カタカナ英語の妙な語感を「かっこよい」とか、なんとなく「ふわっとした西洋の香り擬き」の洒落た内容の文章をなぞらえたものを「エッセイ」と呼び、またそのような文章を書く文筆家を「エッセイスト」と表す。

 

わたしが TAFE で一番学びたかった科目が、実はこの Writing Skills for Essay コース。

つまり、大学以上高等教育機関で求められる、所謂、学術的論文の書き方が、それである。

今こうしてわたしが綴るブログなどとは、雲泥の差。諸事文法的決まり事に沿い、雛形に則り、句読点の隅々までも正確に模さなければならない。

かなり面倒といえば面倒な作業だが、これら微細詳細は論文のお飾り部分に過ぎず、一度でも大学レベルでの研究論文を書いたことがある人なら、今わたしの言わんとしていることは、おそらくすでによくお分かりの筈。

(こうしてグログっている間にも、実は明日が提出期限の assignment discussion essay を書いているべきなのに!)

 

たとえ明日が提出期限でも、その前夜にならないとエンジン始動しない、そんな遠い若き現役時代と相変わらず、今宵もほぼ徹夜の覚悟。

最小睡眠時間記録達成、計3時間なり。

「とりあえず」、オンライン提出だけ、無理やり完了。

内容手直しは無論後付け必須。

ぎりぎりでも、一分の達成感は、睡眠不足も吹き飛ばす。

強がりを言えるのも今だけだけど。

まだまだ、課題は山積ながら、長く暗いトンネルの先が少しだけ見えてきたかも。

 

 

 

 

 

 

「タリバンの国からやってきた」と嘯く輩との摩擦は、すでになかったこととし、現在全コース中のハイライト、最大の難課題、Discussion Essay に全神経を集中させることにした。

 

木曜の授業を終え帰宅するなり、家事をすっかり片付け、早めの夕食を終え、寝るまでの5時間「みっちり頑張りました」自己満足かなり HIGH の充実感と共に午前1時に就寝、まだ夜明け前の午前5時起床。公称、日の出時間午前6時半(ごろ)。

目覚ましが鳴る午前5時2分前、午前4時58分に覚醒。

もうほとんど、義務感で起床。

数ヶ月前までの生活形態が、まるで嘘のよう。

 

この4〜5日、こんな早朝時間帯でいわゆるヘルシーな朝ごはんを、と思えど、正直とても無理。

前夜の夕食を6時台で終えているのだから、科学理論的には、というより、空腹で眼が覚めるのが通常の健康体なのだろうが、わたしの胃の腑は、脳内シグナルと連結していない模様。

目覚ましのコーヒーは必須としても、とにかく何か胃に放り込まなければと、半強制的にりんご半個。

それで精一杯。

現在良くも悪くも、多分にいわゆるストレス状態にあるため、食欲にまで意識が回らないのだろう。

 

そんな調子で出席した、週最後、金曜のクラスは Reading 。

先週、この同じクラスで、例のアンポン・タリバンとの Incident を目撃した教師の目には、今日のわたしはやる気のない学生と映ったようで、授業中二度ほど注意を受けた。

(注意を受けるような)そんなつもりではなかったわたしは、寧ろ、教師の指摘に心外、むっとした。

そのうちには、本当に頭痛さえしてきた。

 

睡眠不足のため、とにかくひたすら、他人とのコミュニケーションを回避したくて、じっと大人しく「聴講生」に徹していたかったのだけれど「全員参加方針」の教師には、それはただの言い訳に過ぎないと映った模様。

確かに、このクラスのレベルでは、発言することのすべては、学生全員にとり英会話の練習になるため、どれほど稚拙であろうと、クラス内学生同士の discussion が推奨されるのは、どの教科の教師も同様なクラス運営方針。

 

おそらく(教師)自身も、その昔は移民としてオーストラリアへ移住して来たであろうと推察されるインド出身の教師は、わたしが、いまだ「わだかまりをひきずっている」と勘違いし、後にやんわりクラス参加を促す。

単なる授業中態度への注意ではないことを知ったわたしは、授業終了後、教師へ率直に事情説明を試みた。

 

「例の『あの一件』はもうすでにわたしの中では解決済みです」

「課題 Essay のため、睡眠不足なんです」

 

そう説明するわたしに、本日のわたしの Class Performance よりも、実は、教師は、わたしが先だってのことで理不尽な立場に置かれたことに酷く同情的だったことを強調しながら、

 

「あのような輩は、無視しなさい。」

" Just ignore him." 

「かなりの自信家だからね。」

 " He is too sure of himself. "

 

「寧ろ、あなた(わたしのこと)のような学生にこそ、積極的にクラス内演習に参加してほしい」

" I would rather like to see you contribute to the class by participating in class ativities."

 

奢りでも自信過剰でもなく、わたしの英語力はクラスレベルを上回っていることは、Assessment の結果からも明らかであることを、教師は充分承知している。

だからこその、この慰めのような、励ましのような言葉の発露に至るものと、と考える。

物事の道理のわかる「おとな」がいることを確認しただけでも、少し救われた。

 

そう、くだらないっちゃ、くだらない、取るに足らない軋轢なのだろうけど、わたしはただ単に「勉強したいだけ」なのよ。

I do not need this !

 

 

 

 

 

 

 

 

代講教師関連で、声高に言いたいこと、代講教師の質。

 

Michael の代講 Mark は、TAFE仮契約教師と言っていた。

試用期間中のためか、可もなく不可なく「丁寧に仕上げた仕事ぶり」。

つまり、学生から苦情が出ない程度「中庸路線」を徹底駆使。

これが一番無難とばかりに、本教師から依頼された押さえるところは押さえ、余白は「自分の技量」「個性発揮」で埋める。

そういう意味では、彼の、香港在住中、地元高校で ESL 教師15年の経歴に充分納得がゆく。

また、これが代講教師の目指すところではないだろうか。

あくまでも本教師の代わりで学修補助的指導の立場ではあるが、学生にとっては、本教師であろうが代講であろうが、学生自身の学修本来の進め方に澱みを生じてさせてはならない。

 

ところが、昨日 Elizabeth の代講 David は、明らかにその代講教師のあるべき位置には、残念ながら見合わない教師だったと言える。

授業出だしで、自己紹介するのは良いとして、

「君たちの名前は今日一回こっきりの授業では覚えられないから、承知しておいてくれたまえ」

冒頭いきなり、まるで「やる気のないことを表明」しているかのような発言。

 

クラスきっての、「口出したがり屋」例のアンポン・タリバンはいつもの調子で、David が何か一言講釈を垂れる度に、悉く「茶々を入れる」ものだから、この老年イギリス人代講教師は、その都度、顔をくしゃくしゃにしつつ、銀縁鼻眼鏡越し、一段と声高に、

「君ね、僕が話している間は、静粛にしてくれたまえ」

「教師が話している間、言葉を挟むのは、失敬だ、けしからん」

「僕は昔気質の教師でね。学生から、ああだ、こうだと話の腰を折られるのは、大変不愉快」

 

最初のうち、このやりとりを見聞きしていたわたしは、内心拍手喝采。

アンポン・タリバンもそれなりに歳を喰っているので、少々のことを言われたぐらいでへこむことはないが、それにしても、実際にビシバシ、容赦なく叱責してくる教師には逆らえないと見え、遂に萎んだ風船のように、黙りこんでしまった。

 

そうして、この老年教師の説教のような、学生としてはまったく学ぶ中身のない(個人的な)同じ話の繰り返しが、授業開始時から1時間ばかり続いたあたりで、なんとアンポン・タリバンは、荷物をまとめ、教師には何も告げず、さっさとクラスを後にした。

(その気持ち、わからなくないけど。)

 

何かにつけて、話が逸れに外れての大脱線。

おかしくもない箇所で、本人だけで完結するオチと、独特の高笑い。

豪では英国贔屓で有名だった、某没コメディアンを彷彿とさせた。

が、決定的な相違は、代講教師のそれは、ちっとも笑いのとれない惨憺たるチア。

幾度も幾度も、同じことの繰り返しだけでも、辟易というのに。

そしてまた「レベルの低いクラス」という(教師自身の)先入観から、学生をかなりみくびっているのではないか、とさえ思えるような、そんな誤解を受けても致し方ない、教師にはあるまじき発言まで飛び出す始末。

 

ある Mainland China 中国本土出身、年配Chinese 学生が何か質問をした。

するとあろうことか、教師は、質問の内容ではなく、その学生の話す英語自体に対し、

「君の英語がわからない、今なんて言ったの?」

隣の席の学生に「通訳できるか?」とまで尋ねていた。

 

このあたりで、ほんの少しだけ「教師経験を齧ったことのある」わたしなどは、すっかり、怒り心頭、批評家モードへどっぷり突入。

「ESL 教師」が聞いて呆れる。

 

「この程度のレベルの学生」は、長年教えてきたから、裏も表も充分知っとると豪語。

その割には、正味約3時間半の授業で、得るものが皆無だったのは、どう釈明してくれよ。

そしてこれは、わたしだけの、個人的感想ではなく、ほぼクラス全体の意見として妥当であった。

(と、翌日の今日、大多数賛同す。)

その証拠に、皮肉なことだが、アンポン・タリバンは、「時間の無駄」waste of my time とばかり、さっさと見切りをつけ、授業の途中で帰ってしまったのだから。

 

また、講義型教師にありがち高飛車な態度、いわゆる上から目線にもかなり疑問。

「君たちのやってることなんぞ、まだまだ序の口だからね」 

「全然たいしたことない!」

 "It's NOTHING !"

「大学ではこうだから」

「大学へ行ったらそうはいかない」

 

(あのね、ここTAFE は、大学志望の学生にとっては、確かに予備校的側面もあるけれど、『この程度

レベルの学生たち』にとり、全然、関係あらへんねん、あんたさんのゆうとること。)

 

'HIt and Miss' . . . 当たりと外れ

箸にも棒にもかからない、完全なる、ハズレ代講教師。

願わくば、Don't come back to our class !

 

 

 

 

 

先週は、月・火のそれぞれ Listening・Speaking担当(同一)教師、Michael 休講により、refief teacher 代講教師 Mark が両日共に教えた。

 

今週月曜、Michael の授業は、平常通りに戻ったが、特に先週の自分の都合によるクラスキャンセルに関し、事情説明はなかった。

が、昨日の Speaking クラスの「1時間遅れ10時開始」という、クラス時間変更お報せメールが、わたしだけ、送信されてこなかったことには、疑問が残る。

 

当然のことながら、そんなこととは知らず、疑うも何も、わたしはいつも通り8時半到着。

(今日もまた一番乗りね)、教科書を広げ、ラップトップを立ち上げ、準備万端、予習まで始めていた。

 

ところが、いつもはこの8時半台で、大概は学生よりいつも先にいるはずの教師が、9時近くになっても現れないことと、わたしと同じくらいに早く来る他の学生の姿が皆無ではないか。

9時5分前になり、ようやく(なんか変?)と気がつき、やおら腰を上げ、様子を見に教室の外へ出てみると、通りがかりの教師が、

「このクラスは、今日は教師都合で1時間遅れで始まる」と教えてくれた。

担当教師はクラスにメールしたと聞いている、という。

 

「そんなん、知らん」

 

(わたしが)中途編入だから、何かの不手際があったのだろう。

怒り狂いはしなかったけれど、わたしだけが教師の一斉 mailing list に載っていないらしいことに、酷く落胆した。

 

Library の静かな環境で、別の科目 Writing Assignment Essay の資料読み込みでもしようかと思ったが、中途半端な1時間などあっという間。

碌な成果も得られぬまま、10時10分前、教室へ戻ってみると、三々五々に集まるクラスメイトたち。

彼らに確認してみると、皆、教師からの一斉メールを受取り、授業開始の遅れを承知していた。

また、2月コース開講時、今日のように、時々授業開始時間の遅延可能性もあり、との説明を受けていたそうな。

 

「そんなん、知らんがな」

 

教師よりも歳上のわたしは、取り乱すこともなく、ただ淡々と事務的に、

「わたしのことも忘れないでね」と、改めてわたしの連絡先メールアドレス確認を促してみた。

 

「あっ、あったやん。どうして漏れたんだろ。」

 

「そんなん、勝手にしいや。」

 

絶対「ごめん」とは言わないこの国の(英語を操る人たちの)しらっとぼけ方は、年季が入っているとしか思えない。

喩え、自分に不手際があり、相手に迷惑をかけたとしても。

わたしは、にっこり微笑んで、「許しといたるわ」。

 

今週は、何かに憑かれているのか、教師都合クラスキャンセルが相次ぎ、いろいろついてない。

水曜の授業、今週のハイライトである Writing Essay が課題に出されているクラスで、前日火曜の夜までにその draft 下書きを提出、教師からの feedback そして翌日のクラスで個人対面指導を受ける、という算段の筈が、Elizabeth、担当教師初の授業キャンセル。

教師事情によるキャンセルの場合、教師本人が自主的にクラスへ伝えない限り、その理由はまず学生に報らさせることはない。

 

因みに、前述のMichael は、さすがに、平常9時より1時間遅れの10時始まりの一昨日、

「実はアデレードの老両親(87歳&84歳)からのヘルプコールがあり、どうしても実際に僕が行って面倒見なければならなかった」と個人的事情説明があった。

つまり、約1週間ちょっと、シドニーから実家アデレードへ行っていたらしい。

しかし、その1週間後の月曜日は、通常通り授業で、翌火曜日、また1時間遅れのクラスって?

なんだか、あまり理屈に合わない気がするのだけど。

学生が、授業欠席・遅刻の理由のため、いの一番に死人・病人に挙げるのは、大抵実の親と相場が決まっているが。

 

教師といえども人間であり、家庭もあり、諸事情あるのは、わたしたち学生となんら変わりない。

だから、教師都合キャンセルはやむ得なくとも、問題は、クラスへの伝達方法。

充分に漏れなく網羅してもらいたい。

 

 

 

 

 

 

 

学期が始まってからの、Downgrading 学修コース変更が、果たして本当に正しい選択だったのか。

 

本来の希望コースへは、定員数の都合で、中途編入が不可だった。

だから、現在のコースは、必ずしもわたしのニーズに合致してはいなかったけれど「学修ブランク期間」をつくるのは好ましくなかったので、一段階下のレベル編入でもやむなきよしとした。

予め、英語科教務主任に忠告された通り、レベル的にわたしの実力には見合わないこと、つまり、rather boring「かなり退屈」かもしれないが、それでも良ければ、と消極的な受入態勢だったことも事実。

 

特に、speaking に関しては、授業内容の難易度云々以前の話。

どれほど辿々しい英語であれ、流暢であれ、それがクラス内では、他のクラスメイトとの、唯一意思疎通のツール。

そのコミュニケーションについて、はっきり言って、疲れる、すっんごく。

 

なぜなら、答えは簡単。

わたし自身が native speaker ではないから。

中途半端な初級英語、しかも、各国訛りオンパレード付で、いわゆる communication を図らなければならないのは、非常にエネルギーのいること。

そして、その微妙な違和感の機微・感触を分かち合えるような(わたしと)同等レベルのクラスメイトがいないこと。

これがいわゆる「上から眼線」に当たるのでしょうね、きっと。

が、しかし、同等レベルの人がいなくて当たり前の、そういうレベルのクラスと承知の上での編入だから、無い物ねだりを言っているのは、このわたし、ですね。

 

でも、でもね。

実際、本当に疲れます。

いくら職業だ、仕事、とはいえ、このような situation で教える教師陣には、最敬礼。

相手の言ってることを親身になって、理解しようとすればするほど、こちらがまるで「マザーテレサ」にでもなったつもりで、対処しなければならない、カソリック教徒じゃないけど。

そして、例の「アンポン・タリバン」も含め、(年齢の)数字の上下の差あれど matured age studentsだから、それなりに、みんなプライドがあるので更に厄介。

わからないことがあっても、素直にわからない、とは、誰も絶対認めたくない、認めることをよしとしない、(無駄に高すぎるプライドが邪魔して)。

 

コンゴ人の「女の子」が、その典型的なひとり。

(本題には関係ないけど)生粋の中央アフリカのアフリカ人に接するのは初めて。

彼女は、性格が勝気なところが見え隠れ、妙に背伸びしたがるのが気に掛かる。

つまり、ひとことで言えば「素直さがない」、若さがそうさせているとも言えるけど。

親切のつもりで間違いを教えてあげると「わかっとるわい」的反応、本当は分かってなくても。

ことあるごとに、この「わかっとるわい」的反応(反抗)で、返してくるものだから、仕舞いには、(悪いけど)他人の間違いを指摘してあげることなど、もうどうでも良くなる。

 

「おんなのこ」と称したが、それでも立派な27歳のおとな、のはずなのだけど、やってること、言ってること、は、さらにマイナス10歳くらいで、丁度見合うかな、という立ち振る舞いも、こちらを疲れさせる要因のひとつ。

(ごめん、ここでも、「ババ」はそういうのが、めんどくさくなるのよ)

(だって、つかれるんよ、ほんとに)

まるで、子育て中のティーネイジャーと渡り合っているような錯覚に陥る。

 

この娘もアンポン・タリバンも共通していえるのは、相手を敬う気持ち、感謝の気持ちがないこと。

ほぼ<皆無>ともいえる。

 

誰しも、ひとは、ひとりでは生きていけないもの。

(出身国を鑑み)どれほど、大変なことが、この人たちの過去にあったか知らないけれど、また過去に、どれほど傷つき歪んだ道を強いられたかもしれないけれど、よしんばたとえそうだったとしても、現在の「未来」の場では、過去を持ち込んで欲しくない。

(「わたしたちはこれだけ大変な思いをして、ここ、オーストラリアへきたのだ!」)

だって、この人たち、夢の実現や未来を求めてオーストラリアへ来たんしょ。

だったら、過去のナンジャらを現在に投影するのは、お門違いではないかしらん、と思うのです。

 

わたし?

そんなの、とっくの昔に卒業しました。

(はて、わたしには、彼らのような夢も未来もあったのかしらん?)

 

前向き思考です、こう見えても、わたし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このところ、愚痴ばかりが並ぶこの覚え書。

まともな人間関係なら良いのだけれど、残念ながら、求めてもいない現象が次から次へと、寧ろ、学修意欲を削ぐ悪の権現化すら感じる今日のこの頃。

 

一瞬、ほんの一瞬だが、また自己否定感が募りそうになり、危ういところだった。

わたしは、なにも、一分の非もない、悪くない。

そして、これは、善悪の問題でもない。

 

問題は、これら不遇な人間関係により、わたしの学修意欲を低下させていること。

これこそがわたしにとり、深刻な問題となりつつあること。

 

先週の Reading クラスで、例のアンポン・タリバンと火花を散らした日。

その火花が下火となるcooling off の猶予もなく、約30分後。

なんと、Eric the counseller が、クラス個別訪問。

TAFE Counsessing Servises 広報活動の一環らしい。

授業中ということもあったが、Counselling の基本は、いかなるカウンセリングでも Confidenciality 個人情報秘匿により、Eric もわたしも、まるで一度も対面したことのないふりを通した。

別に、わたしはどうでも良かったのだけれど、それはおそらく Eric の職業意識、professionalism によるものと推察される。

 

ひと通りの説明が終わると、例によって、何事にも私見を挟まないと気の済まない例のアンポン・タリバン bigmouth アフガンは、

 

"Do you want me to nominate someone in this class to your counselling services ?"

「このクラスでカウンセリングが必要な人をノミネート(推薦)してあげようか?」

 

なんたる戯けを、よくもしゃあしゃあと。

 

そこはプロのカウンセラー。

実に冷静に、取るに足らぬことかのように、

"It's a rather quite private matter.  When he/she is ready, I’d recommend them to come and make an appointment to see me."

「こういうことは、かなり個人的なことなので、ご本人の心の準備ができた上で、アポを取ることをお勧めします。」

 

Eric は、冗談では済まない馬鹿なことを云うアフガンを、剣もほろろ、至極真っ当な、教則本通りのプロ対応。

歳は若いが、教養と職業柄の専門知識が、スマート、且つ適切な状況判断を可能にした。

 

傍で一部始終(聞きたくもなかったのに)「聞こえてしまった」わたしは、Eric のプロらしい「邪悪の根源」の「あしらい方」に溜飲の思い。

 

アフガンは、僅か30分前のわたしとの dead heat を念頭に、敢えて人差し指を立てて、指差しこそしなかったが、その真意は、明らかに「わたし」を意味していた。

この輩こそが、mental health が尋常ではない。

気が付いていないのは、当事者、本人だけ。

 

わたしも、いっとき気の迷いで、そういう仕事(Psychologist)に携わってみたいと思ったこともあった。

が、実際問題として「このような unreasonable な輩をも」相手にしなければならない、立場上、クライアントは選べない現実を知ると同時に、どのみち、職業適性検査で、きっと不合格になっていたに違いないだろう、と妙な自信と自覚を確認。

そう思うと、下手に欲を出さず、寧ろ、そんな立派な職業を志さなくてよかった。

心理学は、やはり個人的興味、自分の趣味程度の範囲で勉強するくらいが、わたしのような、human watcher にはちょうど良さそうだ。

 

このような場面での自己防衛法、 Reverse Psychology のテクニックのひとつ。

It is quite alright to put 'Me' first rather than anyone else.  

Beause I deserve it.

他者よりも、自分自身を、まず大事にすること。

そうすることに、順当な人間なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Multiculturalism 多文化主義

 

直訳するとそういう表現になるのだけど、、、

 

「元々は、一部の移民が異なる文化圏の出身者だとしても、オーストラリア社会との関係を容認しようという程度のものだった。」(ウィキピディア)

それが、「現在では異なる「文化圏」の存在自体をオーストラリア社会の中に容認しようというものに変わっている。現在、このオーストラリアにおける「多文化主義」の考え方は、国民の多くがそれぞれ多様な文化的・民族的背景を持ち、またこの現状を承認しているという事実を引き合いに出す際にしばしば用いられる。」(出典同)(オーストラリアの場合)

 

今日もまた、例の bigmouth (ひと言多い)トルコ人壮年男性(推定70歳位)に、謂れなき言い掛かりをつけられた。

「トルコ人」と思ったのは、わたしの勘違いで、実はアフガニスタン人だった。

他のクラスメイトへ、しきりに自分の出身国を説明しようとしているのが聞こえた時、この輩は、得意気に、聴き手である多分クラス内一番の年長者 Chinese 男性へ、このように言っていたのを思い出した。

 

"Do you know 'Taliban" ?"  "You know THE Taliban in Afganistan."

「タリバン」って知ってる?」「アフガニスタンの、あの『タリバン』だよ」

 

(あのねえ。)

 

普通、初対面に近い stranger に自分の出身地を紹介するため、世界的に悪名高き半テロリスト化した集団のひとつ「タリバン」を、わざわざ引き合いに出す?っていう、その神経。

「一民間外交官になれ」とまでは言わないけど、善悪の定義を理解していない無知を自ら露呈するのは、どう考えても、(あまりどころか、賢くないと思われても仕方ない自業自得)と思うのだけれど。

 

日本人が、自己紹介する時、

「ねえねえ、わたしはね、あの例の日本赤軍派が起こしたダッカ事件で有名になった、あの日本、日本人なのよ」

って、間違っても絶対言わない。

 

おまけに、このタリバン擬き、自分の信心は「シャーマン」だと、誰も訊いてやしないのに、躊躇なく宣言。

(以下ウィキペディアより)

Shaman シャーマン

超自然的存在と直接接触・交流・交信する役割を主に担う役職。呪術者・巫・巫女・祈祷師・ムーダンなどのこと。

Shamanism シャーマニズム

シャーマンを中心とする宗教形態で、精霊や冥界の存在が信じられている。シャーマニズムの考えでは、霊の世界は物質界よりも上位にあり、物質界に影響を与えているとされる。

宗教に関しては、政治的事象と異なり、誰が何を信心しようとも、全く個人の自由であるからして、It's none of my business.

 

どういった事情・理由でオーストラリアへ辿り着いたか知らないが、きな臭い background ・要注意人物に、運悪く、初日、着席すると同時に難癖をつけられ、そしてまた、今日は、クラス内テスト中にもかかわらず、大声で教師へ話しかけていたのを、わたしに注意されたことに対し、完全逆上。

おそらく、弱視のみならず、難聴なのであろうか、地声の大きさに自分で気づいていない。

その大きな地声に輪をかけ、さらに1オクタープ高い、感情的トーンで、且つ攻撃的な一言を放つ。

 

"What's your problem?"

「あんた、何が気に入らないのかね?」

 

(うっ、って、これ、わたしの台詞じゃん。)

 

不覚にもかっとなってしまったわたしは、このあんぽ*たんと同じ土俵に立ち、

"What IS YOUR problem?"

鸚鵡返しを発してしまった。

 

深く深く反省。

わたしらしくもない。

つい先日、礼儀やマナーなどとは、これまで無縁で生きてきたであろうこの輩とは、金輪際、距離を置いてと、あれほど口を酸っぱくして(自分自身に)言い聞かせたつもりだったのに。

 

サイテイー。

なにが?

だれが?

わたしがです。

なぜ?

だって、言葉が通じないばかりでなく、社会通念が理解できない人間を相手にしてしまったことが、サイテーな経験だったから。

わたしの立場、わたしの主張を「上から眼線」と思いたいひと(この輩自身も含めて)には思わせておけば良い。

こんなことで、「人間としての品位」を失いたくない。

 

タリバンに殺された日本人がいるという、過去の歴然とした事実を、おそらくこのアンポン*ンは知る由もなく、外国人移住者として「多文化主義国家オーストラリア」で受ける恩恵も、自分にだけ都合よく、履き違えの感、大。

 

わたしはこんなつまらないこと(この類の面倒)に関わりたくて、TAFEに通っているのではない。

LEAVE ME ALONE !

再々度、しかと、こころいたしましょうぞ。

さもなくば、またもや、上がらなくても良い血圧の心配をしなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

TPC コースでの essay 課題は、どの科目でも、遂に満足にひとつも仕上げられなかったが、現在の ADV FES (Advance English for Further Study) の Writing クラスでは、どうしても書かなければならない MUST。

いわば、論文を書くこと、それ自体が、この科目の主な演習である。

 

3種のテーマからひとつ選び、リサーチしたのち、まずドラフト作成、教師のチェックが入り、OK となると、いわゆる雛形、フォーマットに則って、いよいよ論文を書き始める。

期限は、3月最終週。つまり今月いっぱい。時間はたっぷりある(はず)。

 

課題は、

1.  Pollution

2.  Censorship

3.  Graffiti

わたしは、'Graffiti'を選択。

 

授業中は専ら論文の書き方の詳細や、論文そのものの構造をおさらいするのだが、どうも今ひとつ頭に刷り込めない。

説明を聴いている授業中は、「解った気になる」のだが、いざ、Laptop を眼の前にすると、どこからかともなく疑問詞(???)が。

後から後へと、まるで鶏ガラ出汁をとっている時のような、あのブクブクのアクが湧いてくる。

 

せめてもの救いは、research をするため、PC操作に慣れてきたこと。

但し、その情報量を scanning & skimming すること、つまり速読、通読・精読の判断、内容 contents の採用・不採用の即決力が要求される。

もちろん、全文英語って、かなり拷問に近いかも。

 

演習とはいえ、中身は全て本格的学術文からの引用が主なので、堅い文章だらけ。

これが、TPCでは、全科目毎週 due date までに提出しなければならなかったことに比べれば、pressure 自体は、かなり減少。

たった1本の essay (論文形式)で既に汗だく。

されど、必須には変わりなく。

 

この週末を全面的に、この essay に充て集中してみよう。

凝り性なところもあるので、波に乗れれば、案外するりと熟るかも?

そう願って、そのような好転(棚ぼた!)を期待しよう。