戯言 その2106 | ヘンクツ爺ィの戯れ言

ヘンクツ爺ィの戯れ言

自分が似非医療に堕とされたのは自業自得だったと思う。
しかし、そんな自分は多くの人たちから“裸心”の想いやりを受けた。
その人たちの身に起こった許せない非道や迫害の数々を視てきた。
この凄惨な事実があることを、絶対に伝えなければならない。

本日お昼前に流された、
いまや全国の多くの皆様にも
この地の県医師会の会長だか理事長だかの職に就き

「日本一の出産数を誇る産婦人科病院である」と、全国に向けて豪語公言し

其ほどまでに“全県民からの必要とされ、絶対的な期待を担っている”という自院が
《熊本地震》により被災したのだから
一般の県民市民が車中泊や避難所生活の支援再建よりも
我々“優生階級者”を最優先で支援し再建させることが重要である!として
その通りに「行って見せた」だけではなく
ついでに、さらなる拡張・拡大工事も
一般の県民市民には車中泊や避難所生活をそのまま続けさせてでも行おう!と
これもまた「行って見せた…果たして見せた」という

その熊本地震の発生前から
地元の地元紙面や広告紙面は言うに及ばす
この地の全民放(テレビ/ラジオ)局をも私物化し、
昼夜問わず ほぼ連日
自院宣伝番組を流させ続けているという
“かの御仁”の そんな 異常なまでに執拗な自院宣伝番組の中の一つ『女性の健康』の放送がございました。

その番組の放送後から夕方近くまでは
皆さん方からのその番組内容に対することも含めた「怒りに溢れたメール」を幾つも頂戴しておりましたが
その後 またしても、皆さん方からのメールは ピタッ!と 修まっておりますが

皆さん方の《怒りの質》が
「以前とは これまでとは 全く違う」という“気迫”を強く感じております。


因みに!
本日の“かの御仁”のそれなる異常なまでに執拗な自院宣伝番組の内容とは、如何なるものであったのかを簡単に愚痴っておきますと

「育児中 心のケア」と題して
“かの御仁”の病院に勤務する
公認心理士の榎 淳子が、

生活様式の変化により
「疲労やストレスを感じたら」
・家事や育児は できるだけ減らし、休養を優先する…
・ひとりで過ごす時間や場所をつくる…
家族で心地よい生活ができるルールづくりを… だの

親子の心のケアとしては
不安・ストレスを感じた場合に多い反応として
・元気がない
・泣くことが増えた
・落ち着きがない
・はしゃぎすぎる
・しがみつく
・おもらしをする
・わがままになる
・頭、腹痛
・眠れない など …だの

不安を解消するために
“正しい情報!?”を、わかりやすく伝える…

子どもの不安の解消には
・日常の生活習慣をできるだけ保つ
・親子でリラックスできる時間をつくる
・子どもの話をきく
・自分の心と体のケアも大切
…だのとを散々語った挙げ句

「心配や不安は“専門家!?”に相談を」…として挙げている先々とは
・医療機関やカウンセラー
・熊本県精神保健福祉センター
・熊本市こころの健康センター

といった、先週も(これについては、先週日付の[戯言]を御参照ください)記しておりましたように
“この先々”とは如何なることであるのかは、もう皆様にも
よっくお解り頂けていると思いますが

要は!そこへ その先々へと
繋げよう…導こう…ということを示しているということも。

この“かの御仁”の番組内容もそうですが
余談までに今少し継ぎ足して愚痴れば

昨日の土曜日の恒例となっている「全地元民放局による県内医療番組の一挙放送」の中の一つである
やはり“かの御仁”の昨日の幾つかの自院宣伝番組の一つ
『プリティーウーマン』で、
「子宮頸がん」と題して
同院の副病院長:新田 慎 が

「子宮頸癌の原因」については
性交渉によるヒトパピローマウァルスの感染が原因であると“考えられる”と
“言われている”…と、
はっきりと番組上で自らの口で曰っていましたが

“これ”を踏まえて
皆様には これまでの 過去数年間の
こんな愚者の[戯言]ではございますが
今一度 遡って行きながら
“かの御仁”自らが発し続けて来た地元紙なり広告紙なりや
各地元民放局における自院宣伝番組などなどについて愚痴っている[戯言]を
しっかと読み返しご確認をされてみて頂きたいと思っております。

 さすれば 改めて!

“かの御仁”の自院宣伝番組などを通して
嘘・偽りなき この地の真実の現状… いや、酷状とは
如何なるものであるかを
再認識し直して頂けると思っております。

 さすれば それは同時に

この地における この新型コロナ感染問題に
家族をも犠牲にしてまでも、自らの職に対しての職責感・使命感を果たさんと
文字通り不眠不休で…命がけで…立ち向かっている一般医療従事者に対する、
この その先々!面々!の事実・真実とは如何様なものであるかもまた
しっかと“見えて”来られるであろうと思っております。