毎日寒いですねぇ。とはいえ例年よりは大分暖かいらしいですね。

ぴしっと張った氷もまだ見てないし。ま、過ごしやすい方が良いのですけどね。


 なんだか忙しくなってきまして、ちょっとブログの間が開きつつあります…

 

 さて、除夜の鐘でも活躍した本山の梵鐘。じつは毎日本山境内にある佛教大学の宗門後継者養成道場…かいつまめば防さんの養成道場の「浄山学寮」の学生さん達が毎朝夕に撞いてくれております。


どうでもぃぃ話し

 写真は去年の春頃。今だと朝でも夕でももっと暗いですな(笑)

今の二回生が入ったばっかりの頃、なので勉強のため人がやってるところを見てるんですな。今はみんな1人で撞いてますよ。


毎日使われている現役の梵鐘ですが、実はこれ、四百年くらい前に作られたれっきとした文化財なのです!!

 

 梵鐘が戦争中に戦車や砲弾にするため取り上げられた、なんて話しは聞いたことがあるんじゃないかと思いますが、 本山のはおそらく貴重ということで免れたんでしょう。


どうでもぃぃ話し

 銘によりますと、大阪の堺の阿弥陀寺住職、旭蓮社良道和尚という方が慶長15(1610)年にお造りになられ、寄進したもののようです。何で阿弥陀寺の住職さんが…と思いますが、丁度この頃の歴史は古文書がなくてさっぱりわからんのですよね…堺には関係寺院が沢山あったようですので、阿弥陀寺さんとも当時からご縁があったのでしょう。

 胴の部分にはびっしり結縁の名前が彫り込まれていまして、天皇さんのお名前があったりもします。


 しかし、一番メインで扱われているのは近衛殿北政所心光院快譽珠信というお方。

 近衛殿、ですから言わずと知れた公家の筆頭・五摂家近衛家。しかも、北政所つまり正妻の方が大施主になったようですね。


 でも詳しくは誰か分からない…この頃の過去帳にも出てませんし、江戸時代まで女性の名前ってあんまり記されていないんで、何代目の近衛さんなのかが分からないんですよね―。


 最近書いてる人が読んでる漫画に「イシュタルの娘」ってのがあります。戦国時代に活躍した女性文人小野お通を主人公にした時代物。作者の大和和紀さんは『はいからさんが通る』とか『あさきゆめみし』で有名な方。

 この方結構時代物を描いておられますが、、どれもちゃんと時代背景もえがいてくれてまして、分かりやすくて面白い。


 このお通の思い人として描かれる近衛 信尹。時代的にはこの人が近衛殿に当たる可能性がありますけど…


 この人、豊臣秀吉と関白の座を競った人としても知られており、大変奔放な人で、朝鮮出兵に便乗して虎狩りをしようとしたり、面白い人だった模様。書の名士としても知られ、三藐院流という書流の祖にもなっています。

 結構有名人ですが…子供がいなかったらしく、妻のこともあんまり伝わっていないようです。


 近衛殿北政所心光院、一体誰なんでしょうかね… 本山は、近衛家とゆかり深い光照院や三時知恩寺さんとご縁がありますので、そっちの関係ですかねぇ。


 どなたかご存じでしたら教えて下さい… 


 鐘の結縁名はまだちゃんと調べてませんので、いつかちゃんと拓本取りたいですねぇ。