『努力しなきゃ』――
そう思った時に、真っ先に考えてみてほしいことがあります。
それは
「どうして“努力”という言葉を使ったのか」
振り返ること。
もうちょっと言うと
どうして
「よし、やろう」ではなく「よし、努力しよう」と思ったのか
その理由を探ってみること。
と、いうのも
欲しいもの、やりたいことのために
全力を尽くすことを
『努力』とは呼ばないからです。
様々な世界で成功した人は
自分の成功の秘訣を
「努力したからです」とは言いません。
(頑張った、とか、夢中でやりました、とか、そういう表現が使われる)
なぜなら彼らは
やりたいから、勝ちたいから、欲しいからやっただけで
キツイ練習も、試行錯誤も
『努力』だと思っていなかったんですね。
努力の『努』の字を、よ~く見てみると
『奴隷』の『奴』と『力』でできています。
『努力』とは『外からの圧力でやらされること』なんです。
『努力』という言葉を『使わなければならない』とき
そこには一種の『冷めた気持ち』が眠っています。
冷めた気持ちをねじ伏せるために『努力』という言葉を使うんです。
だから
『努力しなきゃ』と思った時に
その気持ちが
『やりたいから、欲しいから、やる』なのか
『やりたくないけど、形だけでも前向きにしよう』なのか
いったん立ち止まって考えてみてほしいのです。
『努力』という言葉は、本音をうま~く『前向きっぽくごまかす』言葉です。
やりたいのか?やりたくないけどやらなきゃいけないのか?
自分の本音って、小さな言葉のチョイスに隠れていたりします。