お勧めのパワースポット・聖地のご紹介:第21回
鹿島神宮/香取神宮:建国の功労神
お勧めのパワースポット・聖地の第21回は「鹿島神宮・香取神宮」です。鹿島神宮と香取神宮の神様は共に現在の日本の国の源である大和の国の建国に深いかかわりがある国譲りの神話に登場する、いわば建国の功労神であり、古くからこの神々を祀られる鹿島神宮と香取神宮はパワースポットでもあります。
それではまず、①文献から香取神宮や鹿島神宮の自然・思想・宗教・文化などをご紹介し、その後に、②私たちが実際に2013年に鹿島神宮・香取神宮に参拝した時のレポートをご紹介します。
最後に、③鹿島神宮・香取神宮を含めたひかりの輪のパワースポット・聖地巡りの思想や、聖地巡りの際に行うと心身の健康に良いヨーガ歩行瞑想に関する記事をリンクして、ご紹介します。
●文献からの鹿島神宮・香取神宮のご紹介
■鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)
◎諏訪大社とのつながり
鹿島神宮の御祭神は、建御雷神(たけみかずちのかみ)です。
高天原の天照大神の命令を受けて、地上にあるこの国を治めるために遣わされ、初めて国を譲らせることに成功した、大変力の強い武神であると『古事記』に伝えられています。
地上に降りてきた建御雷神は、出雲の国を治めていた大国主神(おおくにぬしのかみ)と交渉し、その過程で、国を譲ることに異を唱えた大国主神の息子である建御名方神(たけみなかたのかみ)との戦いで勝利を収めました。
そして、諏訪まで追われて負けた建御名方神は、諏訪大社に祭られることとなり、建御雷神はその後、この鹿島神宮に鎮座したと伝わります(創建は神武天皇の御代と伝えられます)。
その諏訪大社へは、ひかりの輪でも参拝させていただきましたが、さらに鹿島神宮を参拝する流れとなり、諏訪の建御名方神、鹿島の建御雷神と、国譲り神話に関連する旅となっています。
しかも鹿島神宮は、諏訪大社のご神体である守屋山のちょうど真東に位置しているという不思議な関係にあり、ここでも、鹿島と諏訪のつながりが感じられます。
また、諏訪を通っている中央構造線は、この鹿島にもつながっているとされており、そこからも諏訪大社と関連しているといえます(※下図参照:大鹿村中央構造線博物館HPより転載)。
◎諏訪大社とのつながり
鹿島神宮の御祭神は、建御雷神(たけみかずちのかみ)です。
高天原の天照大神の命令を受けて、地上にあるこの国を治めるために遣わされ、初めて国を譲らせることに成功した、大変力の強い武神であると『古事記』に伝えられています。
地上に降りてきた建御雷神は、出雲の国を治めていた大国主神(おおくにぬしのかみ)と交渉し、その過程で、国を譲ることに異を唱えた大国主神の息子である建御名方神(たけみなかたのかみ)との戦いで勝利を収めました。
そして、諏訪まで追われて負けた建御名方神は、諏訪大社に祭られることとなり、建御雷神はその後、この鹿島神宮に鎮座したと伝わります(創建は神武天皇の御代と伝えられます)。
その諏訪大社へは、ひかりの輪でも参拝させていただきましたが、さらに鹿島神宮を参拝する流れとなり、諏訪の建御名方神、鹿島の建御雷神と、国譲り神話に関連する旅となっています。
しかも鹿島神宮は、諏訪大社のご神体である守屋山のちょうど真東に位置しているという不思議な関係にあり、ここでも、鹿島と諏訪のつながりが感じられます。
また、諏訪を通っている中央構造線は、この鹿島にもつながっているとされており、そこからも諏訪大社と関連しているといえます(※下図参照:大鹿村中央構造線博物館HPより転載)。
◎鹿島神宮の神鹿
本殿に参拝し、参道をさらに奥に進むと、左側に鹿園があり、たくさんの神鹿がいます。
建御雷神は、この地が藤原鎌足(天智天皇に仕えた、大化の改新を断行した中臣鎌足)の故郷であることから、藤原氏の氏神として奈良の春日大社に分霊されました。その建御雷神のご神体は、鹿の背に載せられて運ばれたと伝えられ、実際に、その神鹿の子孫が、奈良の春日大社に生きていると伝わっています。
◎神仏習合と親鸞上人
鹿園の脇には、かつて鹿島神宮が神仏習合であったことを偲ばせる石碑があります。
鹿島神宮には、茨城県中部の稲田に草庵を結んだ親鸞上人がしばしば訪れたそうで、仏教の聖典も豊富に納められていたと伝えられています。
◎要石(かなめいし)
参道の奥に鎮座する奥社を参拝し、さらに奥に進むと、「要石」という石が祭られています。
この石は本来、神が降臨する磐座(いわくら)だったと考えられ、また、この石が地震を起こす鯰の頭を押さえているといわれています。鹿島の神は、地震の神でもあります。
参道の辻には、鯰を押さえた建御雷神のお姿が掘られた大きな石碑があります。
◎水の神としての建御雷神
神域の一番奥には、御手洗(みたらし)池という清らかな水の湧く、神秘的な雰囲気の池があります。
この池は、古来より、大人が入っても子供が入っても乳を越えることはなく、干ばつにも涸れたことのない霊泉であると言い伝えられています。
古くは、ここが鹿島神宮の参道の起点とされており、参拝者はこの池で禊ぎをした後、参拝に臨んでいました。
この池は、この地方では、飲用できる水の湧く唯一の場所であり、このあたり一帯は利根川や霞ヶ浦、鹿島灘など水に恵まれた水郷でもあるので、この鹿島信仰の根底には、水の神の信仰があると考えられています。
◎蛇神の本質を内在させながら、雷神として知られてきた
建御雷神は、その名にある通り「雷」の神として知られていますが、以下の通り、その本質が蛇の神であるという興味深い見解も示されています。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
タケミカヅチノカミの、タケは美称、ミカヅチは「甕ツ蛇(ミカツチ)」と読むことができる。
『常陸国風土記』に、ヌカヒメという蛇巫(へびふ)(神である蛇を祀り、神託を受ける者)が、神蛇を甕(かめ)の中で飼養していたことを示す伝承がある。それならば蛇は、甕の主ということになる。日本人の常として、容器はその内容物を象徴するから、この場合も蛇を飼養していた容器まで神聖視され、祭祀の対象となっている。
この神蛇は後に雷神となる経緯が、『雄略紀』にある。三輪山の神蛇が見たくて、一度はこれを捕らえさせてみたものの、その眼光に恐れをなした天皇は、蛇を再び山に放ち、これに「雷」の名を賜った、という話である。
しかし、まぶたがなくまばたきをしない蛇の目は、光の源泉としてとらえられ、蛇と雷は非常に古い時代から日本人によって集合されていたと思われる。(『吉野裕子全集 第5巻』人文書院 より)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
■香取神宮(千葉県香取市)
鹿島神宮・息栖神社と共に「東国三社」の一つを構成する神社です。創建は神武天皇の御代と伝えられます。
ご祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)で、鹿島の神(建御雷神)と共に大国主神と交渉して円満に国土を平定、日本建国の基礎を築かれたとされています。
一説では「フツ」とは刀剣でものを切るときの音で、フツヌシとは刀剣を神格化したものとされます。
そのため香取神宮は鹿島神宮と並んで武神として崇敬されてきましたが、現在ではスポーツなどの勝負事の神としても信仰されています。
香取神宮にも鹿島神宮と同じく、地震を抑える働きをするとされる「要石」が祭られています。
■息栖神社(茨城県神栖市)
鹿島神宮・香取神宮と共に「東国三社」の一つを構成する神社です。
ご祭神は、久那戸神(くなどのかみ)で、鹿島・香取の神と共に先頭に立って国土の経営にあたられたと伝えられています。
また、相殿に祭られている天鳥船神(あめのとりふねのかみ)は、鹿島の神の先導を務められたとされています。
神社の創建は、応神天皇の御代と伝えられます。
境内正面から約100メートルに位置する一の鳥居の両側に二つの鳥居がありますが、この中から清水が湧いていて、日本三所の霊水といわれています。社前の川一帯が海だった頃から清水が湧き出てきて、潮の中にあって真水が出てくることから、忍潮井(おしおい)と名付けられました。
本殿に参拝し、参道をさらに奥に進むと、左側に鹿園があり、たくさんの神鹿がいます。
建御雷神は、この地が藤原鎌足(天智天皇に仕えた、大化の改新を断行した中臣鎌足)の故郷であることから、藤原氏の氏神として奈良の春日大社に分霊されました。その建御雷神のご神体は、鹿の背に載せられて運ばれたと伝えられ、実際に、その神鹿の子孫が、奈良の春日大社に生きていると伝わっています。
◎神仏習合と親鸞上人
鹿園の脇には、かつて鹿島神宮が神仏習合であったことを偲ばせる石碑があります。
鹿島神宮には、茨城県中部の稲田に草庵を結んだ親鸞上人がしばしば訪れたそうで、仏教の聖典も豊富に納められていたと伝えられています。
◎要石(かなめいし)
参道の奥に鎮座する奥社を参拝し、さらに奥に進むと、「要石」という石が祭られています。
この石は本来、神が降臨する磐座(いわくら)だったと考えられ、また、この石が地震を起こす鯰の頭を押さえているといわれています。鹿島の神は、地震の神でもあります。
参道の辻には、鯰を押さえた建御雷神のお姿が掘られた大きな石碑があります。
◎水の神としての建御雷神
神域の一番奥には、御手洗(みたらし)池という清らかな水の湧く、神秘的な雰囲気の池があります。
この池は、古来より、大人が入っても子供が入っても乳を越えることはなく、干ばつにも涸れたことのない霊泉であると言い伝えられています。
古くは、ここが鹿島神宮の参道の起点とされており、参拝者はこの池で禊ぎをした後、参拝に臨んでいました。
この池は、この地方では、飲用できる水の湧く唯一の場所であり、このあたり一帯は利根川や霞ヶ浦、鹿島灘など水に恵まれた水郷でもあるので、この鹿島信仰の根底には、水の神の信仰があると考えられています。
◎蛇神の本質を内在させながら、雷神として知られてきた
建御雷神は、その名にある通り「雷」の神として知られていますが、以下の通り、その本質が蛇の神であるという興味深い見解も示されています。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
タケミカヅチノカミの、タケは美称、ミカヅチは「甕ツ蛇(ミカツチ)」と読むことができる。
『常陸国風土記』に、ヌカヒメという蛇巫(へびふ)(神である蛇を祀り、神託を受ける者)が、神蛇を甕(かめ)の中で飼養していたことを示す伝承がある。それならば蛇は、甕の主ということになる。日本人の常として、容器はその内容物を象徴するから、この場合も蛇を飼養していた容器まで神聖視され、祭祀の対象となっている。
この神蛇は後に雷神となる経緯が、『雄略紀』にある。三輪山の神蛇が見たくて、一度はこれを捕らえさせてみたものの、その眼光に恐れをなした天皇は、蛇を再び山に放ち、これに「雷」の名を賜った、という話である。
しかし、まぶたがなくまばたきをしない蛇の目は、光の源泉としてとらえられ、蛇と雷は非常に古い時代から日本人によって集合されていたと思われる。(『吉野裕子全集 第5巻』人文書院 より)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
■香取神宮(千葉県香取市)
鹿島神宮・息栖神社と共に「東国三社」の一つを構成する神社です。創建は神武天皇の御代と伝えられます。
ご祭神は経津主神(ふつぬしのかみ)で、鹿島の神(建御雷神)と共に大国主神と交渉して円満に国土を平定、日本建国の基礎を築かれたとされています。
一説では「フツ」とは刀剣でものを切るときの音で、フツヌシとは刀剣を神格化したものとされます。
そのため香取神宮は鹿島神宮と並んで武神として崇敬されてきましたが、現在ではスポーツなどの勝負事の神としても信仰されています。
香取神宮にも鹿島神宮と同じく、地震を抑える働きをするとされる「要石」が祭られています。
■息栖神社(茨城県神栖市)
鹿島神宮・香取神宮と共に「東国三社」の一つを構成する神社です。
ご祭神は、久那戸神(くなどのかみ)で、鹿島・香取の神と共に先頭に立って国土の経営にあたられたと伝えられています。
また、相殿に祭られている天鳥船神(あめのとりふねのかみ)は、鹿島の神の先導を務められたとされています。
神社の創建は、応神天皇の御代と伝えられます。
境内正面から約100メートルに位置する一の鳥居の両側に二つの鳥居がありますが、この中から清水が湧いていて、日本三所の霊水といわれています。社前の川一帯が海だった頃から清水が湧き出てきて、潮の中にあって真水が出てくることから、忍潮井(おしおい)と名付けられました。
-----------------------------------------------------------------------------------------------
●鹿島・香取神宮の参拝レポ:2013年6月29日
※以下、同行したスタッフのレポートです
はや7月に入りましたね梅雨の最中ですが、若干 雨が少ないのでしょうか・・・。皆さん、お健やかにおすごしですか。
さて、6月29日(土)は講話会に先立ち、千葉・茨城の聖地巡礼を行いました。
朝方まで小雨が残っていましたが、巡礼をすすめるうちに、どんどん天気が回復して、最後は真夏日のような日差しになりました。爽やかな新緑と涼やかな神社の森の散策で「ああ~、気持ちいい!」という声も。
まずは、何度か巡礼させていただいている、鹿島神宮へ。ご祭神は建御雷神(たけみかずちのかみ)。高天原から天照大神の命で遣わされ、戦って国譲りを成功させた武神です。
国を譲った神さまは諏訪大社にお祀りされている建御名方神(たけみなかたのかみ)で、この鹿島神宮は諏訪大社のご神体・守屋山の真東に位置しています。諏訪大社は毎年参拝に訪れており、不思議な縁を感じます。
2011年東北大震災により、大鳥居が完全に崩落したのは記憶に新しいところですが、この鳥居はまだ復旧できていません(来年立て直される予定だそうです)。
鳥居崩落は人々の身代わりとして倒れたという碑があり、感じ入りました。
6月は夏越しの大祓いとして、神社には茅の輪が設置されていますので、皆さん一緒にくぐってお祓いしていただきました。
ここには春日大社から移された神獣・鹿が多数います。しかし、最近心ないいたずらのため、何頭もの鹿が死んでしまい、以前は自由に餌をあたえられたのが、厳重な二重の柵で覆われていました。
奥宮の奥には、神が降臨する磐座(いわくら)だった「要石」が地震を起こす大ナマズの頭を押さえているといわれています(鹿島の神さまは地震の神でもあります)。
手前の小さな凹型の石が要石の頭です
広大な鹿島の杜はうっそうとした原生林と巨木が生い茂り、市民の憩いの場ともなっています。 本当にすがすがしい生気あふれるところです。
鹿島神宮一番のスポットは御手洗(みたらし)池です。参拝者はここで禊ぎをしてから参拝しました。霊水のご神水も湧き出ており、水郷でもあるこの地方には水の神の信仰があるそうです。
ここでしばし休憩。 名物みたらし団子はこんなに豪華。
そして、近くの下津海岸へ。白い砂の美しい海です。視界一杯の水平線でこころ広がります。
続いて、「東国三社」の一つである息栖神社へ。ご祭神は久那戸神(くなどのかみ)で、鹿島・香取の神さまと共に国土の経営にあたられたといわれています。
境内から100mのところに二つの鳥居がありますが、この中から日本三所の霊水がわいています。海の中にあって真水がわいていることから、忍潮井(おしおい)と名付けられています。
いよいよ、鹿島神宮・息栖神社と共に「東国三社」の一つの香取神宮へ。ご祭神は、鹿島の神と共に国土を平定した経津主神(ふつぬしのかみ)。
こちらの香取神宮にも要石が祭られていました。鹿島神宮の要石は凹型、香取神宮の方は凸型です。
大ナマズの頭を押さえて地震を防いでいる
観福寺は真言豊山派のお寺です。弘法大師が布教の折りに立ち寄られお堂を建てたのが起こりだそうです。堂々とした北総の名刹で観世音菩薩がご本尊です。大変美しい景観でも有名で、NHKの大河ドラマ「八重の桜」など、数々のロケ地としても使われるそうです。
朝方まで小雨が残っていましたが、巡礼をすすめるうちに、どんどん天気が回復して、最後は真夏日のような日差しになりました。爽やかな新緑と涼やかな神社の森の散策で「ああ~、気持ちいい!」という声も。
まずは、何度か巡礼させていただいている、鹿島神宮へ。ご祭神は建御雷神(たけみかずちのかみ)。高天原から天照大神の命で遣わされ、戦って国譲りを成功させた武神です。
国を譲った神さまは諏訪大社にお祀りされている建御名方神(たけみなかたのかみ)で、この鹿島神宮は諏訪大社のご神体・守屋山の真東に位置しています。諏訪大社は毎年参拝に訪れており、不思議な縁を感じます。
2011年東北大震災により、大鳥居が完全に崩落したのは記憶に新しいところですが、この鳥居はまだ復旧できていません(来年立て直される予定だそうです)。
鳥居崩落は人々の身代わりとして倒れたという碑があり、感じ入りました。
6月は夏越しの大祓いとして、神社には茅の輪が設置されていますので、皆さん一緒にくぐってお祓いしていただきました。
ここには春日大社から移された神獣・鹿が多数います。しかし、最近心ないいたずらのため、何頭もの鹿が死んでしまい、以前は自由に餌をあたえられたのが、厳重な二重の柵で覆われていました。
奥宮の奥には、神が降臨する磐座(いわくら)だった「要石」が地震を起こす大ナマズの頭を押さえているといわれています(鹿島の神さまは地震の神でもあります)。
手前の小さな凹型の石が要石の頭です
広大な鹿島の杜はうっそうとした原生林と巨木が生い茂り、市民の憩いの場ともなっています。 本当にすがすがしい生気あふれるところです。
鹿島神宮一番のスポットは御手洗(みたらし)池です。参拝者はここで禊ぎをしてから参拝しました。霊水のご神水も湧き出ており、水郷でもあるこの地方には水の神の信仰があるそうです。
ここでしばし休憩。 名物みたらし団子はこんなに豪華。
そして、近くの下津海岸へ。白い砂の美しい海です。視界一杯の水平線でこころ広がります。
続いて、「東国三社」の一つである息栖神社へ。ご祭神は久那戸神(くなどのかみ)で、鹿島・香取の神さまと共に国土の経営にあたられたといわれています。
境内から100mのところに二つの鳥居がありますが、この中から日本三所の霊水がわいています。海の中にあって真水がわいていることから、忍潮井(おしおい)と名付けられています。
いよいよ、鹿島神宮・息栖神社と共に「東国三社」の一つの香取神宮へ。ご祭神は、鹿島の神と共に国土を平定した経津主神(ふつぬしのかみ)。
こちらの香取神宮にも要石が祭られていました。鹿島神宮の要石は凹型、香取神宮の方は凸型です。
大ナマズの頭を押さえて地震を防いでいる
観福寺は真言豊山派のお寺です。弘法大師が布教の折りに立ち寄られお堂を建てたのが起こりだそうです。堂々とした北総の名刹で観世音菩薩がご本尊です。大変美しい景観でも有名で、NHKの大河ドラマ「八重の桜」など、数々のロケ地としても使われるそうです。
本堂
観音堂
墓域には、日本で初めて正確な地図を完成させた伊能忠敬のお墓もありました。
クリックプリーズ
最後の巡礼地は、ご祭神が建御名方神(たけみなかたのかみ)である、諏訪神社へ。伊能忠敬の大きな像もありました。
この日の東国三社巡りは、江戸時代には「お伊勢参りの禊ぎの三社参り」として大変篤い信仰を集めたもので、神宮という名の格式高い神社と、国譲りの神と建国の神の双方を参拝することもでき、たいへん有意義な一日となりました。
ご当地近くから参加された方もいらっしゃり、新しい出会いもあり、楽しかったです。参加された皆さま、お疲れさまでした。また、ご一緒したいと思います。
●参考情報 ※ご参考になれば
◆ひかりの輪のHPのパワースポット・聖地巡りコーナー
ひかりの輪のパワースポット・聖地巡りに関する様々な情報が掲載されています。その思想、過去の訪問地、上祐代表の聖地巡りに関する講義などです。
◆ひかりの輪の聖地巡りの意味合い
◆ひかりの輪の聖地巡りの予定
◆聖地巡りに関する上祐代表の講義動画
◆自然の中で行うと心身の健康によいヨーガ歩行瞑想の解説
●お勧めの聖地のご紹介
これまでひかりの輪で訪れてきた多数の聖地の中から、特にお勧めするところを厳選して、ご紹介しています(ひかりの輪公式サイトへ)。
ひかりの輪で巡ってきた数多くの聖地を、美しい写真をつけてレポートした記事です(ひかりの輪副代表・水野愛子のブログへ)。