お勧めのパワースポット・聖地のご紹介:第20回
立山:浄土と地獄の神の山
お勧めのパワースポット・聖地の第20回は「立山」です。立山は古来、神の住まう霊峰とされ、富士山と共に日本三霊山の一つとして尊ばれてきました。
近年は日本で唯一の氷河が発見されて、昔からも、天上界のような山々に加え、地獄界を思わせる火山活動や風雪の強さなどの多様な自然から、山岳仏教・浄土思想や修験道の聖地でした。こうして、他に類を見ない自然・宗教・文化を育んできた自然の聖地です。
それではまず、①文献から立山の自然・思想・宗教・文化などをご紹介し、その後に、②先ほどお話しした立山の自然の多様性も含めてよく理解いただけるように、2012年8月22日の晴天の日と、2013年9月16日の台風が接近した日にそれぞれ、私たちが実際に立山に行った時のレポートをご紹介します。
そして最後に、③立山を含めたひかりの輪のパワースポット・聖地巡りの思想や、聖地巡りの際に行うと心身の健康に良いヨーガ歩行瞑想に関する記事をリンクして、ご紹介します。
●文献からの立山の自然・信仰・文化のご紹介
立山は、富士山・白山と並び日本三霊山(三名山)の一つで、古くから、神住まう霊峰として敬われてきた聖地である。「立山」は、富山県は北アルプス北部の立山連峰に位置し、雄山(おやま、標高3,003 m)、大汝山(おおなんじやま、標高3,015 m)、富士ノ折立(ふじのおりたて、標高2,999 m)の3つの峰の総称である。
立山はその雄大さ・多様さ・個性において、これほどインパクトのある聖地は初めてと思わせるほどすばらしい。特記すべきこととして、昨年11月に、なんと日本初かつ世界で最南端の「氷河」が発見された山でもある。
雄大かつ強烈な個性を持つ大自然。天上界のような山々から、地獄をもイメージさせる強烈な火山・地震・風雪など、かつての自然活動の痕跡。それを背景に広がった江戸時代の仏教・修験道の一大聖地としての歴史文化。
今回はこうした自然を仰ぎ見ながら、さまざまに学ぶ歩く巡礼となる。
●室堂平(立山黒部アルペンルート上)
「立山黒部アルペンルート」という北アルプスを貫く山岳観光ルートを、バスで「室堂平」まで登るが、そこが目的地だ。室堂平に一歩足を踏み入れると、すでに眼前に3000メートル級の山々が雄大にそびえる標高2400メートルの世界である。ここからは、立山三山や、峻厳な剱岳を望むことができ、さまざまな印象的な風景が広がる場所。
●雄山(3,003 m)・剱岳(2,999m)
雄山は、立山最大のシンボルで、雄山の山頂には、雄山神社の本宮があり、立山信仰上の最大の聖地とされる。剱岳は、その名と風貌の通りもっとも険しい山。一年中解けることのない日本三大雪渓を有する。ここ雄山と剱岳が、日本で唯一、氷河が存在する山だ。
●氷河
2011年11月に、なんと日本初の氷河が発見されたという新聞記事が出た。氷河(山をはうようにして流れる巨大な氷のこと)は、科学的な計算上4000メートル以上の山にしかできないはずで、日本一高い富士山にもできない。しかし、最近になって、最新技術で調べたところ、立山連峰の雄山と剱岳の中で、合計三カ所も氷河が発見されたのだという。氷河の長さは最大で1000メートル余りある。
万葉の歌人、大伴家持は、「立山(たちやま)に 降りおける雪を 常夏に 見れども飽かず 神からならし」と、夏でも解けない万年雪を見て、神さまのような品格があると詠んだが、夏でも解けない大量の万年雪。そして険しい山の斜面に雪が積もる。立山連峰は、氷河が誕生する条件を兼ね備えていたといえる。
●石仏群
信仰の山であった名残として、立山室堂の周辺には人々から寄進された石仏がたくさん残されている。
●立山の開山
「白鷹伝説」に残されているが、立山の開山の伝説がある。白鷹、熊に導かれた一人の人物が、立山の洞窟で、熊が変化した阿弥陀如来に、開山の啓示をうけたと伝わる。
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「文武天皇の夢の中で「騒乱の越中国を、佐伯有若に治めさせよ」との神のお告げがあった。越中国司に任ぜられた有若が、加越国境の倶利伽羅山にさしかかったとき、一羽の美しい白鷹が舞い下り、有若はこれを国を治める象徴として善政を行った。
有若にはなかなか子供ができず祈り続けていたところ、ようやく神のお告げのとおり男子が誕生したので有頼と名付けた。16歳になった有頼が父の大切な白鷹を無断で持ち出し狩をしに出かけたところ、白鷹は急に舞い上がり飛び去ってしまった。あちこち探し回り、道に迷いながらもさらに行くと、ようやく一本の大松に止まっている白鷹をみつけた。
白鷹が有頼の手にとまろうとした一瞬、竹やぶから一頭の熊が現れた。鷹は驚いて再び大空に舞い上がってしまう。有頼が矢で熊を射ると、熊は血を流しながら逃げていった。
血の跡を追って山に分け入ると、三人の老婆に出くわし、「白鷹は東峰の山上にいるが、川あり坂ありの至難の道であり、勇猛心と忍耐心が必要である。嫌なら早々に立ち去るがよい。」と諭された。それでも勇気をふりしぼってさらに何日も進んでいくと、ようやくこの世のものとは思えない美しい山上の高原にたどり着いた。
ふと見れば白鷹は天を翔け、熊は地を走り、ともにそろって岩屋へと入っていった。中に入ってみると、なんとそこは光り輝き極楽の雰囲気が漂っており、奥に不動明王と矢を射立てられ血を流している阿弥陀如来とが立ち並んでいた。
有頼は驚き、己の罪の恐ろしさに嘆き悲しみ、腹をかき切ろうとしたところ、阿弥陀如来は、「乱れた世を救おうと、ずっと前からこの山で待っていた。お前の父をこの国の国司にしたのも、お前をこの世に生み出したのも、動物の姿となってお前をこの場所に導いたのも私である。切腹などせず、この山を開き、鎮護国家、衆生済度の霊山を築け」と告げた。
立山の為に生涯を尽くすことを誓った有頼は直ちに下山し父にこの事を告げ、父とともに上京して朝廷に奏上した。文武天皇は深く感激し、勅命により立山を霊域とした。有頼は出家して名を慈興に改め、立山開山の為に尽力した。(ウィキペディアより)」
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●立山玉殿のわき水
室堂ターミナル前の広場にあり、雄山直下から湧き出ている地下水。水温は2~5℃と冷たく、名水百選にも選ばれている。
●室堂展望台
室堂ターミナルへの登山道登ったところにある室堂山展望台。立山カルデラや五色ケ原など、 荒々しくも美しい風景が目に飛び込んでくる。
●ミクリガ池、ミドリガ池
多くの池の中でも、ミクリガ池の青く美しいさまは神々しいほどだ。ミクリとは、神の厨房という意味で、この池の水は神様に捧げる食事を作るために使われた御神水だという。
ミドリガ池は透明度が高く、エメラルドグリーンが際だっている。水の深さは約1.6m。
●地獄谷・血の池
ミクリガ池などと正反対の様相が慈母管に。立山は古代においては火山で、この池はその名残の火山湖である。現代の今でも、沸騰した水と毒性のガスを放ち、近辺は全く緑のない白く暗い岩肌でまさに地獄の様相。実際に近くは、危険のため立ち入り禁止となっている。その近辺には血の池と呼ばれる地のように赤い色の池もある。
●温泉
標高2410メートルの、日本一高所の温泉が近くにわいていて、疲れた体を癒してくれる。
●強烈な自然活動
このように、他に類をみないほどに、強烈な個性を持った山や池の数々がある。これが立山の自然の特徴で、室堂に登るときも、バスからは、日本一の落差の滝や、杉の巨木、大規模な浸食や地震の痕跡のある山肌、立山カルデラと呼ばれる地帯などがある。
地下からの強力なマグマ・火山活動に加えて、古来雨や雪が多く、その恵みとともに、洪水の被害も多かったとされる。火と水の双方の自然の力が非常に強力に現れた場所だ。
●弥陀ヶ原
標高約1,600~2,100m、東西9km、南北3kmに広がる高原。木道が敷かれた湿原には「餓鬼の田」と呼ばれる池塘(ちとう)が点在し、カルデラ展望台などがある。
●立山信仰
そして、非常に重要なこととして、この立山は、古来から、富士山、白山とともに、日本三大霊山とされて、神の山とされてきたが、この立山信仰は、仏教の浄土思想や修験道の成立と共に、おそくとも平安時代には成立していたという。
そして、その信仰の特徴は、立山の自然からイメージされる浄土と地獄、天国と地獄の二面性です。すなわち、立山には、この世の地獄と浄土の双方があるとされた。
地獄谷や血の池は、地獄の灼熱の池、峻厳な剣岳は、地獄の針の山と見なされた。雄山は、阿弥陀の浄土だろうか。立山の開山は、前述のように、阿弥陀仏の化身である熊によるという伝説があある。
そして、立山は、衆生済度の聖地であった。悪業を積んで地獄に落ちる運命の人も、立山に参拝し、悪業を浄化すれば、極楽に生まれ変われるとされてきた。
修験道は、山を仏と見て、山に入って一度死に、自己を浄化し、生まれ変わって下山するという死と再生の思想があるが、立山は、山に存在する地獄を見て悪業を浄化し、浄土に至るという、まさに死と再生の聖地といえる。
また、霊力を磨いた行者が、地獄に落ちた死者と会うことができ、死んだ親族を救済できる場所とも信じられていたという3000mの高山に篭もって修行する行者には、神秘体験・霊的体験が多かったのかもしれない。様々な神秘的な伝説があり、これも、立山の信仰文化を形成したとされる。
さらに、女人救済の伝統も特徴がある。修験道の聖地は、女人禁制が多いが、この立山信仰では、女性を救済するため の特別に工夫された儀式が、雄山神社芦峅寺(あしくら寺) を拠点として行われ、それも信仰が広がった理由だったという。こうした思想からは、どんな者もすべからく救う、阿弥陀仏や 観音菩薩の平等救済の精神が感じられる。
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昨日は、名高い富山県の立山(連峰)を巡礼しました。一言で言えば、これほど、インパクトのある聖地は初めてでした。雄大且つ強烈な個性を持つ自然。天上界のような山々から、地獄をもイメージさせる過去の強力な火山、地震、雨雪といった自然活動の痕跡。それを背景にした、江戸時代の仏教・修験道の一大聖地としての歴史文化。
専用バスで、立山巡礼・登山のステーションである室堂(むろどう)に入ると、そこは既に標高2400M以上の世界で、眼前には3000M級の山々が雄大にそびえていました。
※室堂からの立山連峰
その近くには、仏塔や石仏、そして、立山開山の伝説の残る洞窟も。
なお、立山は一つの山ではなく、連峰の総称です。この日は、天候に恵まれ、立山の最大のシンボルである雄山(おやま)を初め、立山三山や剣岳がくっきりと見えました。特に雄山の雄大さと、剣岳の峻厳さが印象的。この雄山の山頂には、雄山神社の本宮があり、立山信仰上の最大の聖地。
※右が雄山
※奥が剣岳です
さて、室堂から、起伏のある道を通っていくと、多くの池があります。その一つのミクリガ池は、見たことがない程に青く美しく、ミドリガ池は、非常に透明で緑色に美しい。
※ミクリガ池
※ミドリガ池
特に、ミクリとは、神の厨房(台所)という意味で、この池の水は、神様に捧げる食事を作るために使われた御神水。そして、近くには、日本で一番高地にあるとされる温泉があって(2400M以上)、起伏のある道に疲れた体を癒やしてくれました。
一方、正反対の様相が地獄谷という池。立山は以前は火山で、この池は、その名残りの火口湖。今も沸騰した水と毒性のガスを放ち、近辺は全く緑がなく白く暗い岩肌のみで、正に地獄の様相。実際に、近くは危険なので、立ち入り禁止。さらに、その近くには、血の池と呼ばれる、血のように赤い色の池も。
※地獄谷
※血の池地獄
こうして、他に類を見ないほどに、様々な強烈な個性を持った山や池の数々。これが立山の自然の特徴です。実際には、室堂に来る前にも、日本一の落差の滝や、杉の巨木、大規模な浸食や地震の痕跡がある山肌、立山カルデラと呼ばれる地帯などがあります。
※氷河の傷跡 山崎カール
地下からの強力なマグマ・火山活動に加えて、古来から、雨や雪が多く、その恵みと共に、洪水の被害も多かったとされます。火と水の双方の自然の力が非常に強力に現れた場所です。
そして、非常に重要なこととして、この立山は、古来から、富士山、白山と共に、日本三大霊山とされて、神の山とされてきたことがあります。この立山信仰は、仏教の浄土思想や修験道の成立と共に、おそくとも平安時代には成立していました。
また、その信仰の特徴は、立山の自然からイメージされる浄土と地獄、天国と地獄の二面性です。すなわち、立山には、この世の地獄と浄土の双方があるとされたのです。
地獄谷や血の池は、地獄の灼熱の池、峻厳な剣岳は、地獄の針の山と見なされました。そして、雄山は、阿弥陀の浄土でしょうか。立山の開山は、阿弥陀仏の化身である熊によるという伝説があります。
そして、立山は、衆生済度の聖地でした。悪業を積んで地獄に落ちる運命の人も、立山に参拝し、悪業を浄化すれば、極楽に生まれ変われるとされました。修験道は、山を仏と見て、山に入って一度死に、自己を浄化し、生まれ変わって下山するという死と再生の思想がありますが、立山は、地獄を見て悪業を浄化し、浄土に至るという、まさに死と再生の聖地です。
また、霊力を磨いた行者が、地獄に落ちた死者と会うことができ、死んだ親族を救済できる場所とも信じられました。3000Mの高山に篭もって修行する行者には、神秘体験・霊的体験が多かったのでしょう。様々な神秘的な伝説があり、これも、立山の信仰文化を形成しました。
さらに、女人救済の伝統も特徴です。修験道の聖地は、女人禁制が多いのですが、この立山信仰では、女性を救済するための特別に工夫された儀式が、雄山神社 芦峅寺(あしくら寺)を拠点として行われ、それも信仰が広がった理由でした。どんな者もすべて救う、阿弥陀仏や観音菩薩の平等救済の精神が感じられます。
※当時の様子を再現した布橋灌頂会イベントと立山曼陀羅など
http://www2.ocn.ne.jp/~tomoya1/
※女人済度の儀式で使われた布橋
※うば堂の基壇 女性はここから立山を遙拝した
現在の価値観から見れば確かに非科学的・非合理的ですが、信仰文化として見るならば、これほどに興味深く、多面的な内容をもったものは、滅多にないと思います。明治時代に破壊されるまでは、立山曼荼羅(まんだら)とも言われる、立山の壮大な信仰世界があったのです。
※立山曼陀羅 http://www.geocities.jp/hmatsuw3/tate/mandara.htm
この日は、私自身、こうした様々な個性的な山や池を見たり、温泉につかりながら、2400M以上の起伏のある道を数時間にわたって上り下りしました。さらには、仏塔や石仏や開山の聖地の洞窟を参拝しました。
巡礼が終わるころには、当然それなりに疲れたものの、心身が非常に浄化されたように感じ、とても充実感に満ちた気持ちになりました。色々なところに巡礼に言っていますが、一日にしては、かつて無いほど、手応えのある巡礼だったと思います。
先日の日記で紹介した上高地と比較して表現すれば、上高地は、日本有数の山岳景勝地と言われるように、山・川・森・池など、何をとっても非常に純粋で美しく優しく、道も平坦であり、誰もが巡礼・観光しやすい、まさに優れた聖地という感じがします。慈愛の聖地というイメージ。
それに対して、立山は、非常に強烈なインパクトを持った、手応えのある、心身を引き締めて、浄化する聖地という感じがしました。まさに、死と再生の聖地というイメージ。その意味で、ご機会があれば、皆さんも是非、巡礼・観光されることをお勧めします。
※以下は同行したスタッフのレポートです
昨日までとは打って変わり、やはり台風は北陸地方には相当の風雨をもたらすとの予報。
閻魔様の像
※女性が一歩一歩踏みしめながら渡った布橋。108枚の板でできています
※室堂平の玄関口
※ミクリガ池です
※女性が墜ちるといわれる血の池地獄
※よく見えませんが、これが地獄谷です
誰かが「雷鳥だよ!」と。 つがいです。
※ 雌です
※こちらが雄
もし、当時、女人が立山登拝を許されたなら、雨でも雪でも登ったことでしょう。
●参考情報 ※ご参考になれば
◆ひかりの輪のHPのパワースポット・聖地巡りコーナー
ひかりの輪のパワースポット・聖地巡りに関する様々な情報が掲載されています。その思想、過去の訪問地、上祐代表の聖地巡りに関する講義などです。
◆ひかりの輪の聖地巡りの意味合い
◆ひかりの輪の聖地巡りの予定
◆聖地巡りに関する上祐代表の講義動画
◆自然の中で行うと心身の健康によいヨーガ歩行瞑想の解説
●お勧めの聖地のご紹介
これまでひかりの輪で訪れてきた多数の聖地の中から、特にお勧めするところを厳選して、ご紹介しています(ひかりの輪公式サイトへ)。
ひかりの輪で巡ってきた数多くの聖地を、美しい写真をつけてレポートした記事です(ひかりの輪副代表・水野愛子のブログへ)。