第2回その1:お勧めのパワースポット・聖地のご紹介:「諏訪」神秘の湖と聖木と大社 | 上祐史浩

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お勧めのパワースポット・聖地のご紹介:第2回①

 

諏訪:神秘の湖と聖木と大社

 

 お勧めのパワースポット・聖地の第2回は「諏訪」です。長野県の諏訪は、ひかりの輪の思想発祥ともいえる時期より十数年の間、ご縁をいただいている場所で、縄文時代からの原初的な信仰形態を今にとどめる古色ゆたかな聖地の一つでもあります

 

 そこでまず、①諏訪に関する文献からそのご紹介をし、そのあとに、②2018年10月6日に私たちが諏訪に行った時のレポートをご紹介します。

 そして最後に、③諏訪を含めたひかりの輪のパワースポット・聖地巡りの思想や、聖地巡りの際に行うと心身の健康に良いヨーガ歩行瞑想に関する記事をリンクしてご紹介します。

 

 

 

 

文献からの諏訪の自然や寺社のご紹介

 

●諏訪の特徴

 諏訪は、地理的に日本の中心のため「日本のへそ」とも言われています。言霊では、「ス」が中心、「ワ」が輪で、「中心の輪」という意味があり、輪・曼荼羅・諏訪湖が重なるようです。
 かつて天武天皇も、長野を日本の中心と認識し、長野に第二の都を造ろうとしていたといわれています。天武天皇が信じていた道教思想によれば、国土の中央は天の中央に通じるとされ(天地同根説)、天界へ登るためには国土の中央に都を造る必要があったからだということです。
 諏訪地方を含む中部高地一帯は、縄文時代には最大の人口を持ち、諏訪湖には諏訪明神という龍神や水の神の信仰など、多重・多様な信仰があります。
 諏訪湖近くに四社からなる諏訪大社は、本来は基本的に拝殿しかなく、山や、木や、巨石などをご神体とするアニミズム的古代信仰と、古事記の神の両方をお祀りし、古層には、ミシャグチ神(みさく神)という縄文時代の精霊といわれる信仰も併せ持ちます。

●諏訪大社とは

 諏訪大社は、別々の場所にある4つの社から成る珍しい神社です。大きな特徴として、原初の祭祀形態を色濃く残す日本最古の神社の一つということがあります。信濃國の一之宮であり、全国各地にある諏訪神社の総本社です。
 御祭神は、公式には建御名方神(たけみなかたのかみ)(出雲で天孫(てんそん)〈天照大神の孫に当たる神で、天皇家の祖先神〉に国譲りをすることに反対して諏訪に流れてきたとされる神:大国主命(おおくにぬしのみこと)の御子神)と、その妃神である八坂刀売神(やさかとめのかみ)とされていますが、その原初の信仰は、縄文時代にも遡るミシャグチ神という精霊だといわれています。
 諏訪大社の4つの社とは、①上社 本宮(ほんみや) ②上社 前宮 ③下社 春宮 ④下社 秋宮です。
 日本において、これほど大きな4つの大社が接近して一社を成しているのは珍しく、伊勢神宮と諏訪大社のみに見られる形態であることも興味深い特徴です(伊勢神宮の場合、内宮(ないくう)は本殿と荒祭宮(あらまつりのみや)、外宮(げくう)は本殿と多賀宮(たかのみや)から成る)。

◎7年に一度の御柱祭

 諏訪大社は、社殿の四隅に御柱(おんばしら)という柱が建てられていることで知られていますが、この柱の建て替え等を行うお祭りが、御柱祭(おんばしらさい)で、7年に一度行われます。直近では、昨年(2022年)4~5月にかけて、その建て替えが行われたばかりです。祭りの内容については、同社のHPに、以下の通り説明されています。
 「御柱祭(おんばしらさい)は7年目毎、寅と申の年に行われます。正式名称は「式年造営御柱大祭」といい宝殿の造り替え、また社殿の四隅に「御柱」と呼ばれる樹齢200年程の樅(もみ)の巨木を曳建てる諏訪大社では最大の神事です。
 勇壮さと熱狂的ぶりで、天下の大祭としても全国に知られている御柱祭は、古く、804年桓武天皇の御代から、信濃国一国をあげて奉仕がなされ盛大に行われる様になり、現在でも諏訪地方の氏子20万人以上と訪れる親戚、観光客がこぞって参加し、熱中するお祭です。
 御柱祭は上社、下社それぞれに山から直径約1m、長さ約17m、重さ10tにもなる巨木を8本切り出し、上社は約20km、下社は約12kmの街道を、木遣りに合わせて人力のみで曳き、各お宮の四隅に建てるものです。」

 

●諏訪大社 上社 本宮(ほんみや)

 上社本宮は、原初信仰においては、守屋山を御神体とするために、本殿はなく守屋山を仰ぐ拝殿しかないとされています(ただし、原初信仰よりも新しい信仰では、守屋山を御神体としない見解もあり、ここに先史時代からの長い歴史を誇る諏訪信仰の多重性・重層性が見てとれます)。古代のアニミズム的信仰形態が、現代においても保たれている珍しい社です。
 境内には、諏訪七石と呼ばれる磐座(聖なる岩)のうちのいくつかがあり、特に拝殿のすぐ上にある「硯石(すずりいし)」は神が降りてくる神聖な石とされてきました。御沓石(おくついし)という磐座もあります。


●諏訪大社 上社 前宮

 諏訪大社の4つの宮の中でも、この上社前宮は、諏訪大神が最初に居を構えた地といわれています。諏訪信仰発祥の地とされ、古来、祭祀の中心地でした。
 上社前宮付近で、ちょうど中央構造線とフォッサマグナが交差しており、その交点から湧き出るとされる「水眼(すいが)の清流」と呼ばれる清流は、古来、精進潔斎を行い、身を清める聖水として祭祀に使われてきたそうです。
 現在は撤去されているのですが、前宮の古い立看板には、以下の記述がありました。
 「諏訪神は『古事記』『日本書紀』の中にみえるが、ここ前宮は古来より諏訪明神の住まう所として、生き神となる諏訪大祝の居館を存し、神秘にして原初的なミシャグジ神を降ろして、諏訪明神の重要な祭祀・神事を執り行った聖地である。」
 ミシャグチ(ミシャグジ)神とは、謎の神で、さまざまな説があります。
 まず、シャクチは「赤蛇(しゃくじ)」を意味し、ご神体が蛇であることに由来するとの説もあります。上社では、地面に大穴を掘って土室をつくり、ご神体の「蛇」(藁製)ともども大祝(おおほうり)などの神官が冬場の2カ月余にわたって御室(みむろ)にこもる神事が行われていました。陰陽の理に基づき、おとろえた祭神の神威快復をはかったものということです。上社にはその御室の址があります。
 また、「胎児の神」と解釈されることもありますが、仏である宇宙が、如来の胎児(如来蔵・仏性を有する)であるすべての衆生を慈悲深く育んでいるとする、仏教の胎蔵界マンダラ(後述します)の思想を思い起こさせます。
 さらに、旧約聖書(ユダヤ教の聖典)に登場するイサクに関係すると思われる祭儀が、この前宮の「十間廊(じっけんろう)」で行われてきたことから、ミシャグチは「ミ・イサク・チ」(「イサクに由来する」という意味)を語源としているという説もあり、ユダヤ教やイスラエル国の関係者も調査に訪れる等して、注目しています。

●峯の湛(みねのたたえ)(諏訪七木のひとつ)

 前宮から奥山に入ると存在する、聖なる諏訪七木のうち、ただ一つ現存するイヌザクラの巨木です。古来、重要な祭祀の場でした。

 

●小袋石(おふくろいし)

 「諏訪七石」のひとつである小袋石は、まさに何の社屋もない巨大な磐座だけがある自然の秘境です。古くからの御神石が、木が茂る小山の中にひっそりとあります。
 古代、諏訪大社の最高神官・大祝(おおほうり)が即位されるとき、この石の前で即位報告が行われたということからも重要な聖地だったことがうかがわれます。別名「船つなぎ石」ともいわれ、太古、諏訪湖の水がここまであり、船をつないだと言い伝えられています。この場所もたいへん瞑想に適した場所です。


●御頭御社宮司総社(おんとうみしゃぐじそうじゃ)

 縄文時代から諏訪において祀られていた土着の神・ミシャグチ神を祀る社です。この社は、優しく柔らかい雰囲気のご神木がある秘境の聖地です。
 また、ミシャグチとは、何かを生み出す力、生命力そのものを意味すると解釈されることがありますが、この場所に豊かに優しく枝を広げるご聖木は、緑の女神・グリーンターラのようなイメージでもあり、生み出す力=女性原理の女神のイメージとも重なるところがあります。そして、「湛(たた)え」という木に降りてくる精霊ともいわれているため、この木にミシャグチ神が降りてくるとも考えられるそうです。

●神宮寺跡・法華寺

「神宮寺」は、諏訪大社上社および下社と一体の形で建立された仏教寺院などの総称です。それぞれを「上神宮寺」「下神宮寺」ともいいます。
 明治の廃仏毀釈で破壊されてしまいましたが、上社の神宮寺跡には、普賢堂、大規模な五重塔、仁王門などの跡地が保存されています。
 神宮寺の別院の法華寺は、破壊を免れ、現在も諏訪大社上社本宮に隣接して存続しています。
 社伝では、空海創建と伝わっています。諏訪の誇る神秘性の根源である「歴史に消えた一大仏教センター」の跡地ということもできます。

◎諏訪湖と神仏習合

 現在の諏訪は、諏訪大社を中心とした信仰構造となっていますが、明治の廃仏毀釈前の昔は、諏訪湖を「大日如来=太陽の仏の胎蔵」と見る思想(胎蔵界マンダラ)の神仏習合の聖地だったと伝えられています。
 胎蔵界マンダラの中心には、「中台八葉院(ちゅうだいはちよういん)」と呼ばれる、真ん中に大日如来、その東西南北に4つの如来、四隅に4つの菩薩が配置されている、8つの葉の描かれた図があります(下図参照)。

 

 

 神仏習合には、「仏」が「神」の形をとって仮に現れた(=権現)とする考え方があります。
 諏訪の神の本地仏は、以下とされています。

 上社・建御名方神 = 普賢菩薩
 下社・八坂刀売神 = 千手観音菩薩

 そして、大日如来の位置に諏訪湖を当てはめると、東南の方角(上社)に普賢菩薩が、西北の方角(下社)に観音菩薩がぴったりと一致します。
 仏教学者の宮坂宥勝氏によると、諏訪の地形に精通した密教家が、諏訪湖を大日如来に見立てて配置したと考えられるそうです(『諏訪人と風土』信濃毎日新聞社編集局編)。

 このように、諏訪には、廃仏毀釈前までは、諏訪大社本宮と一体化した「神宮寺」を拠点とした、縄文時代からの精霊と伝わるミシャグチ信仰と真言密教が融合した、神仏習合の強力な神秘的信仰が存在していたのです。 

 これらは、ひかりの輪の思想とも一致点があります。

  大日如来 = 太陽・一元思想
  ミシャグチ神 = クンダリニー・赤い蛇・龍

●諏訪湖

 諏訪湖は、水面標高759m、湖周15.9km、面積13.3平方kmの、長野県で最大の湖です。諏訪湖から八ヶ岳一帯は、縄文期の遺跡が最も密集しているエリアであることから、縄文人が全国でも最も多く集まって居住していたのではないかと見られています。
 縄文期の諏訪湖は、水面標高が今より高く、800m程だったと推測されています。今は湖畔から離れたところに位置する諏訪大社の四社も、かつては、いずれも湖に接していたといいます。
 諏訪大社(下社)の祭「お舟祭」は、現在では船の形をした車(山車)で春宮と秋宮の間を行き来していますが、これは、もともと舟で湖上を行き来していたことの名残といわれています。
 また、諏訪湖が全面結氷した時、収縮と膨張の繰り返しにより氷が割れ山脈のように連なる自然現象「御神渡り」(おみわたり)で知られています。この御神渡りは、諏訪大社上社の男神が下社の女神のもとへ通った道筋とされてきました。
 このように諏訪湖は、古代人の生活や信仰と極めて深い関係を持ってきた湖です。

◎《参考》諏訪の信仰について

 以上のことから、諏訪の信仰は、ミシャグチ神、建(たけ)御(み)名(な)方(かた)神(のかみ)、龍神信仰、陰陽循環の思想などが複雑に入り組んでいますが、おおよそ以下のようにまとめることができます(諸説ありますが、現在の通説)。

(1)諏訪大社の神は、公式には建御名方神だが、そもそもの土着の神はミシャグチ神である。ミシャグチ神は、縄文時代の昔から祀られている、木や笹や石や、大祝と呼ばれる生き神の人間(現人神)に降りてくる精霊である。諏訪の先住民族は、洩矢神を長(始祖)とする守矢一族であり、この一族の神がミシャグチ神である。

(2)そして、この先住民族である守矢氏に対して、外部から侵入してきたのが、建御名方神である。
『古事記』によると建御名方神は、日本の国土を開いた大国主神の国譲りの神話の中で、大国主神の次男として登場する。天照大神によって高天原から遣わされた建御雷神(たけみかづちのかみ)は、大国主神に国譲りを迫り承諾となった。しかし、建御名方神はそれに逆らい、建御雷神と力比べをしたが、投げられて負けてしまい、諏訪湖まで逃げて、そこに留まった。しかし、諏訪には洩矢神を長とする先住民族がいたため、建御名方神と戦い、守矢一族が敗れた。

(3)守矢一族は、建御名方命との戦いには負けたが、建御名方神(諏訪神) は、土着勢力を抹殺せず、守矢一族を筆頭神官(神長官(じんちょうかん))に据え、諏訪の祭祀や政治の実権をゆだねた。殺しあうより融合し、協力して新しい体制を作った。
 守矢一族・洩矢神は、諏訪国を譲ることで逆に、諏訪における確固たる地位を得た。諏訪の信仰は、諏訪大神を体現する「大祝」という生き神の人間(建御名方の系統)と、諏訪神の祭祀の実権を握っていた守矢一族との関わりによって支えられてきた。

(4)なぜ、諏訪神は、守矢一族の洩矢神を抹殺せず重用したのかというと、それは、洩矢神が「縄文の自然神」である、ミシャグチ神を束ねていた神だったからと考えられる。

(5)また、建御名方神は、古くから信仰されてきた諏訪湖の水の神、タケ(尊称)+ミナカタ(水潟 ※潟=諏訪湖のこと)とも考えられていて、雨や風を司る龍神信仰と合わさり、農業の守護神として信仰されてきた。

(6)そのほかに、諏訪明神の信仰がある。諏訪明神は、水の神、蛇・龍の神で、甲賀三郎伝説が残されている。甲賀三郎は、ひかりの輪の小諸施設近くの真楽寺(長野県御代田町)の龍神が祀られる池から龍の姿となって、諏訪湖にやって来て、のちに諏訪明神として祀られるようになったという。

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●諏訪訪問レポート:2018年10月6日
(※同行したスタッフのレポートです)

 

 爽やかな季節になってまいりましたね。先日2018年10月6日は、諏訪湖周辺の聖地巡りに行ってまいりました。古代信仰である、山や石、木に神として大切にしてきた日本人の精神性を感じる場所がたくさんあります。

 

 当日は早朝に出発。途中高速の一ノ宮辺りで綺麗な二重の虹が現れました。素晴らしく鮮やかで見事でした。 

 

 

 諏訪に着いたら、まずは現地の「諏訪博物館」で諏訪の歴史や文化を学びました。

 

 

 

 

そして、当地の名高い「諏訪大社」の「上社本宮」を参拝。多くの諏訪神社の中の総本社です!

 

 

 




4本の御柱の 一の柱

 

 

 

 

諏訪大社は守屋山をご神体とするために本殿はなく、山を仰ぐ拝殿しかありません。古代のアニミズム的信仰形態が保たれている社といえます。

 

また、境内には、諏訪七石と呼ばれる磐座(イワクラ・聖なる岩)があり、拝殿のすぐ上にある硯石は神が降りる神聖な石とされています。

 

 

 

 

 

 

 そして、もう一つのご神石が「沓石(くついし)」です。近くまで行くと神聖なエネルギーを感じることが出来ます!

 

 

 

 

 

 

 

 さて、諏訪大社上社本宮の後は、御頭ミシャグチ総社に参拝しました。ここは、縄文時代ともいわれる古来より諏訪において祀られていた土着の神・ミシャグチ神を祀る社。ミシャグチは「蛇」を意味し、ご神体が蛇であることに由来するとの説があります。

 

 廃仏毀釈前までは、諏訪大社本宮と一体化した「神宮寺」を拠点とした、縄文時代からの精霊と伝わるミシャグチ信仰と真言密教が融合した、神仏習合の神秘的信仰が存在していました。

 

 ひかりの輪の思想とも一致点があります。大日如来は太陽の仏様であるとともに、世界の万物が根元仏の大日如来の現れと見る一元思想の仏様です。

 

 さらに「みしゃぐち」は赤い蛇の意味があり、ヨーガで赤い蛇とも解釈されるクンダリニー信仰のシャクティ神と、意味もその音もよく似ています。

 

 

 

そして、この神社の中でなんとも素晴らしいのは、その非常に優しく柔らかい波動をもったご神木です。とても素晴らしい波動を発しています。ここで静かに瞑想してみました。

 

 

 

 

 

 

ご神木のかやの木には実がなってたくさんの種が落ちていました。

 

 

 

 

 次に、諏訪大社の「上社前宮」を参拝しました。この上社前宮は、諏訪大神が最初に居を構えた地といわれています。諏訪信仰発祥の地とされ、古来、祭祀の中心地でした。

 

また、上社前宮付近で、ちょうど中央構造線とフォッサマグナが交差しており、その交点から水が湧き出ているそうです。「水眼(すいが)の清流」と呼ばれる清流では、古来、精進潔斎を行い身を清める聖水として祭祀に使われてきました。まさにパワースポットです!

 

 

上社前宮の本殿

 

 

                  上社前宮の御柱

 

              水眼の清流です

 

 

 

  

 次に、小袋石(おふくろいし)を訪問しました。これは大変な巨石ですが、諏訪七石(諏訪のご神石)の一つとされます。

 

 ここは小山の奥にある静かな場所にあり、神聖な波動を放つ古代の重要な祭祀の場所だとされています。そして、今なお諏訪七石として大切にお祀りされている神聖なイワクラです。

 

 

 

 

 

 

ところで、途中で、「赤い蛇」とのいわれもあるミシャグチとシンクロしたかのように、小さな綺麗な赤い蛇が現れて皆びっくり!

 

 

 

 

そして小袋石に到着。巨石の前はとても静かで落ち着く空間です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 次は、諏訪仏教の発祥地の真言宗の寺院である仏法紹隆寺を参拝


 

 

 

 

 

 

ご本尊として、空海作の大日如来、諏訪大社上社の神宮寺(上神宮寺)にあった普賢菩薩像(諏訪大明神の本地仏〈神の元の姿の仏〉とされる)・大日如来が祀られています。 

 

 

 

 

 

 

 

ご住職さまが丁寧にお堂やお庭の説明をしてくださり、諏訪の廃仏毀釈を経た歴史がよくわかりました。

 

こちらのお寺では破壊された仏像を丁寧に修復してお祀りされていらっしゃり、そのお心に感動いたしました。

 

 

諏訪【後半】へ続く