世界の全てを宝と感じる悟りの瞑想:充足した平安な心を | 上祐史浩

上祐史浩

オフィシャルブログ ―― 21世紀の思想の創造

人は、毎日毎日、絶えず、果てしなく、求め続ける

しかし、多くの人にとって、欲するものは、なかなか得られない。
 
得たとしても、満ち足らず、もっと求める。

だから、一生、毎日、果てしなく、求め続ける。

こうして、完全な充足に至ることがなく、その意味で
心が平安に至ることがない。 

完全な充足に至る道は、自他の区別を超えること。

なぜ果てしなく求めるのか、求め続けなければならないのか。
それは、自分のものにしようとしているから。

他のものを自分のもののように喜ぶことがないから。

または、他と分かち合っているものこそ、
最高の宝だと気づくことがないから
 
自分のものにしようとしても、世界のほとんどのものは、そうならない。

他のものを喜ぶことができれば、宇宙全体を喜びにできる。

他のものが、この世界、宇宙全体が、喜びになる。

ただし、この完全な充足と平安を得るには、
単に、そのように考えるだけでは足りない。

実際にそう感じるには、普段から、欲望を慎み、
なるべく不善を避ける必要がある。

今日そうだったように、聖地の聖なる波動も助けになる。

そうして、体の気の流れを整えておかないと。
そう感じるのは心と体であり、頭ではないから。
 

そして、その時は、

世界の万物・世界全体が、宝となる

すべてものが輝きを放って感じられる


               日光・中禅寺湖・千手ヶ浜にて 8月16日