相次ぐ火山の噴火に思う 浅間山近くの小諸で気持ちよい雨 | 上祐史浩

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 各地で火山の噴火が相次いでいる。ごく最近、今日私が滞在する長野の小諸教室に近い浅間山もごく小規模な噴火活動が報告された。

 なお、小諸教室は浅間山が良く見えるが、実際には十分な距離があるので、何の警戒指導はされていない。
 
 しかし、浅間山の噴火の話しが出たことで、私にとっても、各地での火山の噴火が、いよいよ身近なものに感じられてきた。これは、東北震災の影響という説もある。

 地震や津波という「地と水」の災厄から、「火」の災厄である火山の噴火。科学の発達の結果、様々な現象の間の繋がりが見えてきた。
 
 科学の発達と共に繋がりが見えてきたと言えば、依然として懐疑論もあるが、地球温暖化・気象変動と人間の経済活動(温暖化ガスの排出)の繋がりもそうだ。
 
 太古の人は、人間の悪行が、神の怒りとなって、火山や地震に繋がると信じ、神に祈りを捧げることがあった。

 そして、今後の科学の発達いかんでは、もしかすると、人類の産業化社会が、従来は天災とされてきた現象を人為的に(人災として)引き起こしていることが明らかになるかもしれない。
 
 また、人の心=内面と、外的環境がシンクロするという心理学の説がある。もちろん、自然科学の厳密な証明基準で見れば、この説は、科学的に証明されたものとは言いがたく、仮説もいいところである。
 
 しかし、単に最近の各地での火山の噴火を見ると、現代社会のゆがみの中で、溜め込んだストレス・怒りのマグマが、ついに噴出し始めていると社会全体の心理状態をシンクロしていると言えなくもないかなと思ってしまう。まあ、たぶん、これは思い込みだろう。

 しかし、それはともかく、防災技術が発展した日本のような先進国の場合は、御嶽山のような多数の犠牲者が出るケースもあるが、やはり、人間の精神的な噴火の方が、火山の物理的な噴火よりも、より深刻な問題であるように思ってしまう(実際はどちらも重要な問題だが)。
 
 古来、日本人は、神の怒り、火の神である、火山の爆発に対しては、水の神を奉り、それを鎮めようとする文化を持っていた。有名な浅間神社(せんげん、ないしあさまと読む)などはそうである。
  
 浅間神社の総本山である富士山本宮浅間大社の社伝では、その御祭神であるコノハナノサクヤビメは水の神であり、噴火を鎮めるために富士山に祀られたとしている

 なお、浅間神社は、主に富士山信仰に関係し、加えて長野の浅間山にも関係する。また、この髪は、非常に美しい女神として有名だ。
 
 水と言えば、折りよく雨の多い露の時期でもある。そして、雨は、仏の慈悲の涙・慈雨とも言う。

 今日の小諸教室の朝は、雨が降っていたが、それが非常にすがすがしく、さわやかで、心を浄化してくれた。

 小諸教室で体験した、浅間山の噴火と心地よい雨。それは、私たち一人一人の心の中の怒りの炎を鎮める努力を促しているようだ。