宗教と宗教を超える道 第9回 今必要な人の輪 | 上祐史浩

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                宗教と宗教を超える道 第9回
                   今必要な人の輪


 戦後70年が近づき、その話題が多くなりました。70年前の日本は国家がぼろぼろで、食糧難でした。私の身近にも、今80歳近い、私の母親や、ひかりの輪の専従スタッフは、当時の苦境をいろいろ話してくれます。

 宗教という視点から言うと、この時期、国家による社会福祉政策が機能していない中で、宗教団体が、人々のための生活相互扶助組織の役割を果たし、急速に拡大したと言われます。たとえばS学会などですね。

 しかし、戦後70年、経済大国となった日本は、生活保護や医療保険制度など、一定の社会福制度が整備され、宗教団体に戦後のような役割は求められなくなりました。よって、最近は、若者がS学会などに(親などの勧めではなく)自ら入会することは少なくなったとよく聞きます。

 さて、心理学的には、人には、生存欲求と承認欲求があります。貧困・飢餓が社会福祉制度で解決すると、生存欲求は満たされますから、残るは承認欲求ということになります。

 承認欲求とは、自分が、社会の中で、何かしらの形で、自分の価値を認められ、自分の価値を感じられることといった意味でしょうか。多くの場合、家族、会社、その他の集団・コミュニティに属して、その中で一定の役割を持ち、評価を受けているとか。
 
 しかし、この承認欲求に関しては、生存欲求と比較して、残念ながら戦後70年絶った今、十分に充足されているとは言い難い状況です。

 むしろ、華々しい経済成長を経験し、一億総中流と言われ、ジャパンアズナンバーワンという勢いのあった昭和の時代に比べれば、バブルの崩壊、デフレ経済、失業・自殺者の数が高止まり、勝ち組負け組、若者のワーキング・プアー、そして、メンタルの問題が目立ってきた今現在は、個々人の承認欲求の充足感は相当に低いのではないでしょうか。

 そこでは、卑屈・コンプレックス・怒り・妬み・嫌悪・不安・恐怖といったものが、人々の心の中に渦巻いて、様々な人間関係の問題・ストレスが所持ています。そして、引きこもり・うつ病・自殺・いじめといった社会的な問題も増えているように思います。

 こうした精神的な渇きに対して、どうしたらいいのか。

 残念ながら、家庭や学校、そして企業の教育は、この問題に対処しきれていないようです。そこでは、知識や技能は学ぶことができても、心の問題・苦しみ・ストレスを解決する、いわゆる「智恵」の教育は不足しているようです。

 というか、家庭の親、学校の教師、企業の上司自身が、心の問題を患っている面もあるようです。

 そして、最後は、精神病院となりますが、そこでも、今現在は、投薬を中心とした治療が広がっています。もちろん、薬の使用が合理的な場合も少なくないと思います。

 しかし、そもそも、心の問題である以上、精神的な対処が自然であるにもかかわらず、治療側の能力・時間・経済的問題や、患者側の依存の問題もあって、過剰な薬物治療への依存は、批判されつつも、残っているようです(欧州では積極的な改善が試みられているようですが日本は遅れ気味とも)。

 では、国家機関が機能しなかった時代に、必要とされた宗教団体は、今現在は、この精神的な渇きに対して、どうしているのか。

 私の結論から言えば、ある意味では機能しているのですが、健全には機能していません。

 宗教団体は、自分達こそが一番正しいという主張をしますから、それを信じて入会するならば、分かりやすく言えば、選ばれた民として、プライドを満たすことができます。

 そして、その宗教団体の世界の中で、教祖や幹部の求めるように、教えに従い、お布施をし、入信勧誘に励めば、実際にいろいろな評価・名誉・地位を得ますから、承認欲求を満たすことができます。

 しかし、これは、宗教団体と信者全体が、科学的・合理的な根拠がなく、自分たちが一番正しいと思うことを前提にし、外部社会は、自分達より下の存在であり、自分たちを否定する者は、自分達=神仏の意志にかなう集団に抗う悪魔的な存在という意識を伴います。

 この教団・信者と、外部社会・非信者の対立は、家族の中でも発生します。家族内の宗教戦争ですね。客観的に見れば、その信者・教団が、社会への適応不全を起こしているのかも知れません(教団が一定の規模となり、信者が、教団中心の生活をすれば、その人には、教団が社会となり、適応不全を自覚しにくくなりますが)。

 こうした状況であるがゆえに、宗教団体が、承認欲求を充足させることはなかなかできないと思います。信者は、団体内では承認されても、団体外では逆に対立・非難を受けることになり、非信者の多くは、宗教団体に不信を持ち、承認欲求を
充足する手段になららないからです。


 よって、健全な形で承認欲求を充足する手段を発見・創造しなければなりません。

 そのために有効だと私が基本的な思想・哲学・実践としては、

1.特定の信仰を伴わない仏教の普遍的な思想・人生哲学、

2.1と共通点も少なくない心理学・心理療法・そのライフスタイル、

3.上記を下支えする健康法・修練法・生活規範・環境整備、

4.上記の学習・実践を助け合う、励ましあう人々の輪の形成

 などではないかと考えて、ひかりの輪を行っています。

 これは、特定の神仏・人物・教義・集団を信仰する必要がなく、合理的なものです。そのため、理論的に言えば、将来は、家庭教育・学校教育に取り入れることが可能な普遍的なものです。 

 言い換えれば、こうした取り組みは、70年前に宗教団体が補った社会福祉と同様に、今現在の公的な教育主体(家庭や学校)が行っていない分野だと思います。こうしたことは、いつの時代も、まずは、私的な集団・団体が先駆的に行っていくことかもしれません。