心の安定のための思考法 第10回 多様な価値観・人間観の必要性 | 上祐史浩

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                   心の安定のための思考法 第10回
          多様な価値観・人間観の必要性


 前回お話した、卑屈・ねたみとは、結局は、画一的な価値観の下で、自と他の優劣を比較することから生じていると思います。さらに言えば、他に勝って幸福になり、劣っていると不幸になるという価値観です。

 これとは、別の幸福の価値観が、他と苦しみや喜びを分かち合って幸福になるということだと思います。

 たとえば、感謝による幸福は、自分の恵まれている部分に意識を向け、そして、それを支えている他者に意識を向けることになり、自分と他人が同時に幸福になっています。これは、自分と他人の間で、喜び・幸福を分かち合っていることになります。

 この感謝は、今の社会で一般に優れた人とされる人にも、劣っているとされる人にも、どちらでも実践できる(実践すべきものだ)と思います。

 優れた人は、その幸運を感謝し、それを支えている他者に感謝し、何かしら恩返しをする(=幸福を分かち合う)。劣った人は、優れた人を妬み、自分が勝つことばかりを考えるのではなく、優れた人を活かす(支える)ことで、自分も幸福になる道もあるし、それも別の意味で優れた人になることではないでしょうか。

 次に、何かに苦しんでいる時には、自分だけが苦しんでいるかのように錯覚しがちです。

 しかし、そうではなく、「この苦しみは、自分だけのものではなく、多くの人が経験しており、中には私以上に苦しんでいる人もいる。だから、この経験を縁として、他に少しでも優しくなるようにしよう」と考えることもできるかもしれません。

 もしそうできれば、それによって、自分と他人の双方の苦しみが、和らぐ方向に行くのではないでしょうか。

 そして、幸福は二人で分かち合えば倍になり、苦しみは半分になるという言葉もあります。だとすれば、多くの人の間で、苦楽の分かち合いを深めていくことが、幸福が増大し、苦しみが減る社会を作るということだと思います。

 分かち合いの幸福感を求める場合は、勝利の興奮と敗北の苦しみによって乱れることが少ない、静まった、落ち着いた、広がった、温かい心をもたらすと思います。勝利による幸福(興奮)を第一の幸福観とするならば、分かち合いによる幸福は、現代人にとって、第2の幸福観ということができると思います。

 現代社会では、心理学・精神医学・脳医学などが進んできて、発達障害などの新しい概念が生じてきました。発達障害の人の中には、普通の人なら出来ることがなかなかできない人がいます。

 そして、周辺には、当人は、怠けているなどと批判されることがありますが、実際はそうではなく、努力により徐々に解消できる面はあるものの、普通の人にはない困難を抱えているとされます。

 しかし、その一方で、一面において、逆に普通の人以上の能力があるとされています。歴史上の多くの偉人に、発達障害の人がいたという推測がなされています。

 そして、これは、天才には変人が多いという一般のイメージの原因ではとも言われています。よく、天才と狂人は紙一重だと言われたりもしますね。

 だとすると、こうした一部の発達障害に関しては、障害という言葉は誤解を生む可能性があって、言葉を変えると、非通常型発達とでもいうべきでしょうか。すなわち、それは、その人の「個性である」と認めることもできると思うのです。

 しかし、こうした多様性を認めるような環境がないと、その人は、周りからは否定され、本人も自分はダメだと思ってしまい、場合によってうつ病を併発するといわれています。

 このうつ病は、二次的な病気であって、本人と周囲が、個性・多様性を認める考え方で、その短所を和らげ、長所を伸ばすように促すならば、防ぐことができるとされます。すなわち、前にもお話した通り、欠点と長所、発達障害と特定能力がセットあると、本人も周囲も理解することです。

 しかしながら、今現在の社会は、依然として画一的な価値観が強く、皆が同じであるべきだ、という同一化圧力が、相当に強いと思います。特に、日本は、村社会、村八分、恥の文化がありますので、欧米以上かもしれません。

 その中では、学力、体力・健康、財力、容姿といった、社会が認める、わずかな基準によってのみ、人の価値が決まる傾向があり、その中の落ちこぼれた人は、このシリーズでも述べたように、激しいコンプレックスの苦しみを抱え、心を病みます。

 その結果は、
 
1.社会への適応不全を起こし、社会から引きこもる、自殺するか、
 
 その逆に、
 
2.社会に対して、非常に否定的な見方を形成し、
  他人への批判・攻撃が強くなるとされます。

 前者を心理学においては、劣等コンプレックス、後者を優等コンプレックスとも言います。

 麻原彰晃も、競争社会の中に生まれながら、幼少から弱視の障害者で、自分の意に反して盲学校に入れられて、その後の学業・事業も、うまくいかないという青年期を過ごす中で、相当のコンプレックスを抱えていました。

 彼の幼少期・青年期に、彼が自分の短所と長所の双方をバランスよく認識し、健全な自分の活かし方を心得ることができたならばと思わざるを得ません。

 よって、問題の再発を防止するためには、画一的な価値観に基づく、過剰な自と他の優劣の比較と、それによるコンプレックス・精神病理を回避するさまざまな努力が必要だと思います。