第4回 オウム的な現象の20年周期説 とパーソナル・テロの時代 | 上祐史浩

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次回の流れからは、精神病理・人格障害の原因と対応についてお話ししようかと思いましが、今回は、もう少し、自己を特別視して他者を強く否定する善悪二元論的な、ないしカルト的な精神現象について、考察してみたいと思います。
 
 そこで、前にも述べましたが、私は、日本の現代の歴史を見ると、一世代=20年単位で、そうした現象が形を変えながら、繰り返し現れていると考えているので、そのことについて少し詳しくのべたいと思います。
 
 1990年代にオウム真理教の事件・現象があり、その20年前には、極左・連合赤軍の事件・現象が日本社会に大きな衝撃を与えました。そのため、オウムと連合赤軍は、良く並べて論じられることがあります。
  
 この連合赤軍の事件では、警察官との銃撃戦なども起こりましたが、組織内部の殺人が衝撃を与えました。メンバーの共産主義への忠誠心を査問し、総括という名前で、忠誠心がないと判断された者を殺害したのでした。
 
 極左の思想は、政治思想であり、終末思想の宗教原理主義ではありませんが、本質的には類似性があると思います。
 
   第一に、資本主義では資本家が労働者から搾取するため、暴力・武力を持ってしても、その体制を打破し、共産主義の政治社会体制を作り(共産主義革命)、 資本家の妨害(反革命)を防ぐためには、(当面は)独裁体制を敷くことを正当化します。その意味で、(資本主義との比較では)共産主義は絶対の思想であ り、資本家対労働者の善悪二元論の性質があります。
 
 第二に、人類社会は、資本主義を経て、共産主義になる定めであるという思想があり(世界同時共産主義革命)、これは、終末思想の予言と似た影響を持っていたと思います。
 また、資本家・資本主義の象徴して、アメリカ・ユダヤを敵視する傾向(反米・反ユダヤ主義)もありました。こうした思想の一部は、反米主義、ユダヤ・フリーメーソン陰謀説など、オウム真理教にも取り入られたものがあります。
  
   こうして、(暴力を肯定する)善悪二元論的・カルト的な思想には、終末思想や原理主義などの宗教に限らず、極左と極右といった政治思想の形態をとるもの があると表現できると思います。こうした「宗教カルト」や「政治カルト」に加え、ナショナリズム等で戦争するならば「国家カルト」と呼べるのではないで しょうか。
 
 なお、暴力はないが、鬱病などの健康被害をもたらすブラック企業は、社長がカ
ルト教団の教祖のように振る舞っている点からしても「経済カルト」と呼べるかもしれません。

   さて、オウムから20年経った2010年代ですが、イスラム国の国際テロリズムが日本社会を覆いました。一方、日本社会自体はどうなのでしょうか。私は この点に注目していましたが、いわゆる一般に言うテロリズムは発生していません。しかし、似たような思想と、それと連動する目に見えない形のテロリズム は、実際には発生しているということもできると思います。

 まず、社会全体の右傾化・ナショナリズムの強まりの中で、在日朝鮮人を日本国家の敵と見て排除しようとする新ネット右翼と、その言葉の暴力・ヘイトス ピーチが問題となっています。在日朝鮮人が特権を有し、不当に日本人の利益を奪っていると主張し、批判者から見ればナチスの反ユダヤ主義のように被害妄想 的であり、自分たち自身を愛国者と位置付けるなど、善悪二元論的な思想が見られます。

 しかしながら、主張の中で、日本人と在日朝鮮人との戦い・戦争の予言をしたり、いくつかの刑事犯罪に問われていますが、殺人・テロに及ぶほどの気配は見 られません。また、会員制度があって、在日朝鮮人への反対活動を行う際には集合するものの、普段から高度に組織化されたグループではなく、組織的な戦闘力 や技術力を有する可能性は高くないと思われます。

 そして、これは、先日の大槻隆寛教授(札幌国際大学、民俗学者)との対談でも指摘されたことなのですが、そもそもネット関係の人々の中には、組織化にな じまない人が少なくないということがあるかもしれません。ネットで激しい主張する人は、普段の人間関係はうまくできない人が少なくありません。

   これは、誇大妄想・被害妄想とは別の精神的な問題なのですが、自己愛が強い結果として、他との協調性・組織への適応能力が乏しくなる現象です。組織化す れば、他との協調や、組織の統制を受け入れることが求められます。その意味で、今現在の社会に広がる精神病理は、組織化の障害になるところまで来ており、 以前よりも質的に悪化している面があるのかもしれません。

 それでは、テロの危険性はないかというと、そうではないと思います。これは、組織的なテロではなく、個々人・少人数のグループによるテロの可能性がある ということになります。例えば、秋葉原でトラックやナイフで多数の人を殺害した青年の事件のように、組織ではなく一人で、国家権力ではなく一般大衆(=ソ フトターゲット)を狙って、軍事力によるものではなくトラックやナイフといった市販の物品で行なわれる、パーソナル・ソフトターゲット・テロです。

 今現在の犯罪の分類では、テロというよりは、通り魔殺人であり、統計を見ると、2000~2010年の間に、大幅に増大しました。合計の犠牲者は、相当するに上り、大々的に報道されるテロ事件を上回っているかもしれません。

   このパターンの犯罪を警察が防ぐことは非常に難しいと思います。市販の製品が凶器ならば防ぐことは出来ず、一般大衆は警備は不可能で、死刑を恐れなけれ ば刑罰も抑止力になりません。なお、凶器は、悪い意味で進歩・悪化する可能性もあると思います。少量の化学兵器ならば、個人ないし少人数の組織で製造可能 だからです。

 その動機は、国家・アメリカ・ユダヤ・フリーメーソンなどといった何かの敵がいるというよりも、社会全体に対する漠然とした被害者意識・敵意です。その意味で、その精神病理・自己中心性は、これまでのテロと比較しても、いっそう深い精神病理によるものとも思われます。

   そして、今後、精神病理・精神病の増加に伴い、こうした問題が増大するのではないかと思われますが、これはもはや、警察の取締りの問題というよりは、社 会全体の精神・心の問題だと思います。これを抑止するには、養育・教育・労働環境などの総合的な改善による精神病理の治療と予防が必要になるのではないで しょうか。

 さて、「組織化されにくい」ということと、「宗教・精神世界」という、二つのキーワードで考えると、気になることがあるのが、昨今のスピリチュアルブー ムの中の一部の傾向です。オウム真理教の大きな問題があったにもかかわらず、その後、現代社会の中で何か満たされない人たちが、心・精神の分野での幸福を 求めたのでしょうが、日本全体にスピリチュアルブームが広がりました。

 そして、そのスピリチュアルブームの中で、自分がスピリチュアリティ(霊性)を探求し、そうではない人よりも優れているという自尊心を強く持つ人の問題 が指摘されています。いわゆるスピリチュアルエゴとも言われます。これは、一面では、オウム真理教とよく似ています。オウムは、霊的な修行をして、自分た ちは聖なる魂であり、他の日本人は汚れた魂と考え、社会を聖邪・善悪で二分化しました


 しかし、スピリチュアルブームの特徴は、霊性・瞑想・占いなどといった、宗教的な実践は肯定するものの、宗教団体・組織・特定の神や教祖の崇拝は否定し ます。これは、教祖を絶対視した宗教団体であったオウム真理教事件の影響・余波もあるとは思われますが、この現象が発生した時期からして、それとは必ずし も関係がない一面もあるようです。

 というのは、スピリチュアルブームを詳しく研究している宗教学者である大正大学の弓山教授によれば、スピリチュアルブームの人たちは、宗教組織を良い意 味で否定しているというよりは、自己愛が強い性格のために、組織に適応できない人が少なくないというのです。教授は、その意味では、組織=教団に所属して いる人たちの方が、人格的には優れている面もあると言われています。

 もちろん、これは、スピリチュアルブーム全体ではなく、その一部にみられる精神的な傾向だと解釈すべきだと思いますが、スピリチュアルエゴ・組織に適応 できない性格的傾向は、ますます増大しているとも言われる社会の自己愛的な人格問題を映し出している可能性があると思います。

 こうして、今後のテロ対策については、イスラム国のように疑似国家のレベルまでに組織化されたものによる大量破壊兵器のテロから、パーソナルソフトターゲットのテロまで、国内外に広がる多様な精神病理の特徴を踏まえた上で、検討されなければならない状況だと思います。

 しかし、いかなる形態のテロリズムの根っこにも、心の問題・精神病理の問題があることは共通しており、これに対する対策が最も本質的であって、最も重要ということになるのではないでしょうか。