テロの感染予防・オウムの経験から② 終末思想の感染の予防 | 上祐史浩

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 前回、オウム真理教と同様に、イスラム教における終末思想が、若い人がイスラム過激派に引き寄せられる一因となっている事実をお伝えしました。今回は、この問題について、もう少し詳しく考えてみたいと思います。

 オウム真理教では、1988年末から、教祖が新約聖書のヨハネ黙示録を独自に解釈する形で終末思想を説き始めました。その数年前から第三次世界大戦が起こる可能性を書籍や雑誌などで説いていました。

 しかし、これは当時の社会の中で教祖独特の思想だったのは全くなく、1970年代には、ノストラダムスの大予言を含めた終末思想が社会で大きなブームとなっていました。

 その影響か、人気アニメの多くがハルマゲドン・世界戦争を舞台としていました。すなわち、事実として、信者に限らず、教祖自身が、その様なブームの中で、終末思想に傾倒していったものと思われます。

 そうした情報を提供(販売)するメディア企業は、それを商品を考えていたのでしょう。しかし、逆に言えば全くリアリティがなければ売れませんから、一部の人たちは、真に受けて、のめり込でいった一面があったと思います。

   そして、1991年前後から、メディアが教祖を持ち上げるようになり、その中で、教祖と対談した識者たちが、その対談の中で真面目に世紀末問題を語ってい る事実もありました。また、終末思想をテーマとする教祖の京大・東大などの講演会には、大勢の学生が集まり、そのエリート学生の中から、後の犯罪活動に 入っていく信者が生まれています。

 そこで心配なのが、イスラム国のようなイスラム過激派の中だけではなく、イスラム社会全体の中で、終末思想が流行していない(させていないか)という点 です。例えば、アジア経済研究所研究員で、イスラーム政治思想史・中東地域研究が専門の池内恵氏は、「現代アラブの社会思想・終末論とイスラーム主義」(講 談社)の中で、現代のアラブ世界に、コーランの「終末論」と現代的な「陰謀史観」のオカルト的な結合が出現しており、「危険な兆候」と警告しています。

 また、今現在も、日本社会の中でも、終末思想に関する安直なメディア商品が出回っていますが、これは、終末思想型の原理主義への感染の土壌を形成する恐れがあると思います。

   調べてみると、終末思想というのは、ここ1000年間ほどの間、定期的に現れては消えることを繰り返しており、世の中の動乱の要因にもなるようです。 この数十年の間では、オウム真理教、イスラム過激派に加え、アメリカの極右キリスト教集団であるブランチ・ダビディアンなどの事件が起こっています(ブランチダビディアンとは、終末思想を前提に教団を武装化し、 最後は1993年にFBIと衝突して教祖と多数の信者が集団自殺に至る大事件となった教団)。

   また、各宗教に終末思想ないし善と悪の宗教戦争の思想があり、キリスト教のヨハネ黙示録の終末思想(戦いの地はハルマゲドン)、イスラム教の終末思想 (戦いの地はダービク)があります。

 さらに、終末思想でありませんが、善と悪の戦いの予言としては、チベット密教のカーラチャクラ経典には、シャンバラの 王が聖戦を行うという予言があります。これらの経典はオウム真理教に用いられました。

 また、法華経の思想(予言)は、法華経主義・日蓮主義の軍幹部などによって、(法華経・仏教の広まった)大日本帝国による戦争は、法華経を広めるための聖なる戦いであるという解釈を生み、流行したとされます。 

   こうように様々な時代に様々な地域で、終末思想の集団が現れては消えたという歴史の事実を現代の若者がよく知っていれば、自分が傾倒する(宗教)集団だけ が、終末預言に説かれた、悪と戦う善の集団であるという妄想的な信念を避けることができると思うのですが、残念ながら現状はそうではないと思います。

   若者に限りませんが、人は皆、生来自己の存在意義・重要性を欲していると思います。そのために、世界の歴史全体をよく調べ、自分が人類の歴史の一部=多くの人間 の一人に過ぎないという理解を持つのではなく、自分たちの集団が特別な存在であることを欲してしまう。そして、歴史を含めた広く客観的な 視点から、自分たちを検証することなく、自分たちを特別だと信じてこんでしまう可能性があると思います。

 これは客観的に見れば誇大妄想ですが、表現を変えれば、躁鬱(そううつ)の躁状態であろうと思います。原理主義的な宗教を盲信して、善悪二元論に陥った 者は、自分たちが善の集団であることの証のために、非常にストイックなライフスタイルを取ったり、その集団の目的への奉仕活動に非常に熱心に取り組み、時 としては命さえもかける状態に至るであろうと思います。

 心理的な分析で言えば、社会の勝ち組・エリートであろうと負け組にであろうと、人は、自分の価値を求めていると思いますが、善と悪の 戦いを説く終末思想において、善の集団に属することは、正に自分が世界の中心であり、神(の化身・代理人)に率いられた善の集団として、世界で もっとも優れた存在であることになります。こうして信者は自分でも気づかないうちに、はたから見ると広大妄想的で未成熟な自尊心の欲求を充足します。

   また、イスラム国が、イスラム諸国では長らく存在しなかったカリフ制の導入を宣言し、自分たちのリーダーをカリフと位置付けましたが、このカリフと は、イスラム教における神の預言者ムハンマド(マホメット)の代理人という宗教的に非常に高い位置づけを持つので、彼らの集団を神の意思を行う集団である というイメージ形成を支えるものだと思います。

 これは、オウム真理教において、教祖麻原が、自らを最終解脱者であり、(神と一体の)神の化身であると位置付け、神は人を裁く権能を有しているという点 から(詳しくはヴァジラヤーナの五仏の法則などと言う)、暴力行為を宗教的に正当化したことと似たような効果を持つかもしれません(ただし、イスラム教本 来のカリフとは、神の予言者の代理人ではあっても、絶対権力者ではないとされているそうです)。

 また、これに加えて、終末思想に基づく原理主義的な過激な集団は、その組織自体は、それほど大きいものではないと思います。オウム真理教は国内で1万の 在家信徒、最大で1500名の出家信者でした(ロシアではリスト上の会員は5万であったが、活動信徒は数千人で、出家者は500人)。

 これが少なくとも、その組織の初期団体において、少なからぬエリートを引き付ける力となると思います。エリートの若者であっても、通常の国家や大企業で は、上層部に行くために数十年を要しますが、急伸する原理主義的な集団では、あっという間に幹部クラスに至ることになる可能性があるからです。この事実 は、オウム真理教を調査研究したアメリカ政府の対テロ研究チームの結論でもあります。

 そこで次回は、この視点からイスラム国について検討してみたいと思います。