【Q&A】先が見えず、不安になって死にたくなります。上祐さんはなぜ前向きになれるのでしょうか? | 上祐史浩

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Q もうしばらく職が決まりません。
 毎日職安通い、パソコンとにらめっこ、嫁に文句も言われながら。  先が見えず、不安になって死にたくなります。
 前の会社は、会社の陰謀で依願退職に追いやられて、
 心療内科に通っていて薬漬けの毎日。
 薬のことも、誰にも言えず、つらいです。

A まず、薬のことは奥さんには、思い切ってうち明けた方が良いのでは。
 仕事も体が資本ですから、
 今のまま一人で抱え込むと無理があるのではとも思います。
 心の悩みの問題は、薬(だけ)では治りませんから、
 その問題を冷静に分析することと、周りの理解を得ることが重要だと思います。

Q 上祐さんは、「人生は、最初苦労すると後が楽に感じられ、
 逆に最初が楽だと、後が大変になるものだと思います」
 と、書かれていますが、今がどん底かどうか、確かめる術はありますか?

A 今が底かを確かめるのではなく、今を底にする方法はあります。
 それはもっと悪くなるのではと恐れるのではなく、開き直る、とらわれない、
 「死ぬわけではないし、世界にはもっと不幸な人が沢山いる」
 といった大きな心を持つこと。
 不安・焦り・狭い心が状況を悪くしているから。

Q 上祐さんはマスコミに叩かれ、服役したりしていますが、
 どうして前向きに自分をすすめられるのでしょうか?
 IQが高いから計算なのか、思想なのか、天性なのでしょうか?
 私は現実を受け入れることはできますが、
 先の見えない未来が不安でたまりません。

A 私が前向きなのは、仏教の教えのおかげで、
 いかに苦しみの裏側に幸福があるかを考える訓練をしたからだと思いますが、
 オウムの信仰のため、予想だにしない苦難に襲われたので、
 そう考えなければ生きていけないことが、その訓練を促したと思います。
 その意味で塞翁が馬かもと。

Q こんな見ず知らずの者に、温かい言葉をかけていただけて、
 すごくうれしく思います。
 私は病気かもしれませんが、
 「幸福の裏には大きな苦しみがある」と考えてしまうのです。
 「誰もが人生の中で、幸福と苦しみのバランスは等しい」
 と聞いたことがあります。これは間違っていますか?

A 幸福と苦しみのバランスは等しいという思想は、仏教の教えにもあり、
 「苦楽表裏」と言います。
 欲望・煩悩による喜びには、裏に必ず苦しみがあるという意味です。
 しかし、他を助ける、愛することで得る幸福は、その裏に苦しみをもたらさず、
 真の楽・幸福とされます。

Q 煩悩、欲望ですか…。
 私は仕事中心の生活だったので、振り返ると欲望ばかりで、
 見返りを求めない愛とか、思いやりをどこかに置いてきた気がします。
 現在30代前半、妻、息子が一人の家族がいるのに、
 これまでのキャリアを全て捨てて、リスタートできるものでしょうか?

A 従来の生き方を全て捨てる必要はないのですが、
 既に現状が、退職し心療内科で投薬を受ける状態なのですよね。
 それから脱却するには、心の持ち方を大きく変える必要があると思います。
 そうして欲望・執着を和らげた方が、逆に現実生活が上手くいき、
 力むと良くならないと思います。
 言い換えると、腹八分目の精神で生きていくと言うことでしょうか。

Q 腹八分目ですか。なるほど。考えたことなかったです。
 完全に「いつかみてろよ。いつか見返してやる」って感じでしたが、
 やっぱり最近気持ちが追い付かなくなってきていました。
 上祐さんは服役中も、
 「なんで俺が。いつか見てろよ」とは思いませんでしたか?

A 私は物事の良い面を見るタイプかもしれませんが、
 服役の際は、オウムの元最高幹部の中では刑が軽く、
 外で生きるのは大変で(娑婆にいた信者は当時大変だった)、
 独居房だったので、時間をヨーガの修行に使っていました。
 こうして恵まれていると考えるようにした記憶があります。
 精神的に辛かったのは、むしろ出所後であり、
 徐々にオウム・麻原への信仰が弱り、自分の中に新たな宗教観が芽生え、
 その間で葛藤した時期でした。
 しかし、当時から今日にかけて、オウムでの失敗を直視して反省すれば、
 大きな失敗の裏には大きな成功の元があると考えるようにしています。