聖地とは?、日本の良さの再発見1 | 上祐史浩

上祐史浩

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 今回から、聖地とは?日本の良さの再発見、というテーマで、シリーズ日記を書きたいと思います。
 
 このテーマ、夏期セミナーの講話や巡礼でもお話ししましたが、自分なりに聖地巡礼を10年近くやってきて、ある程度まとまったお話しが出来るようになったと思うので、書くことにしました。

 まず、聖地は、一般的には、ある宗教や宗教の開祖にゆかりのある場所とされます(ウキペディアなどを見てください)。


 しかし、日本の聖地は、それとは違った面があります。それは、聖地が宗教を呼ぶのです。


 すなわち、そもそも、自然の聖地とされていた所に、神社・仏閣宗教家が集まったのであって、宗教が聖地を作ったのではないということです。


 日本文明・文化の発祥とも言うことが出来る縄文時代には、万物に精霊を認める精霊信仰があったと言われます。

 
 この万物に神が宿るとする思想は、八百万の神という形で神道にも、山川草木悉有仏性(山も川も草木も仏の本性を有する)という教えで、日本仏教にも生きています。

 こうして、日本人は大自然・万物に神性を見いだしてきました。そして、その中で特に経験的に神聖と感じられる特別な場所が、聖地とされてきたのだと思います。

 

 では、日本的聖地の条件とは何か?


 聖地に関する著作の多い京都大学教授の鎌田東二氏は、昨年のNHKの聖地をテーマとした番組で、私達も最近巡礼した出羽三山を紹介しつつ、聖なる木、聖なる水、聖なる山などを条件に挙げていました。


 もちろん、これは、聖地の絶対的な基準ではないと思いますが、一定の理解の手助けになります。


 まず、聖なる木。日本人は、神様を一人二人ではなく、一柱・二柱と数えます。そして、ご神木・ご聖木という概念があります。木は、その形から、天と地を結ぶものとされます。木を伝わって、神が天から地に降り、人が地から天に昇るといった考えもあります。


 ご神木とされる木の中には、人間よりも遥かに寿命が長く、例えば千年以上も生きた巨木もあります。人より長く生き、多くの人間の生死の営みを、その不動のたたずまいで見つめてきた木に対して、人間が崇敬の念を抱くのも不思議ではありません。


 さらに、霊的なことを言えば、御神木とされるような寿命の長い木があるということは、東洋思想の霊的な科学の視点から言えば、その周辺の生命エ ネルギー・気のエネルギーが強いということの証となります。よって、聖地に聖木あり、聖地が聖木を作り、聖木が聖地を深める、ということになります。


 わたしの好きな御聖木は何かというと、これは一言では言えません。


 あえて言えば、諏訪の御頭ミシャグチ総社の御聖木、すばらしく優しい慈悲の波動、仏母・慈母の木だと感じます。また、諏訪には七つの御聖木があるとも言われます。


 その諏訪は、諏訪大社の御柱も注目です。山から切り取って、諏訪大社の四方の結界のために、立てられた柱ですが、霊的なパワーを感じます。そこで、私は、縄文以来の日本の原初的な信仰であるミシャグチ神のようなものを霊視した?!体験もしました。


 また、戸隠神社奥社の杉並木の参道も素晴らしい。霊気・生気に溢れており、エネルギッシュになります。ここ数年パワースポットとして大変人気になりました。


 そして、その参道から少し逸れたところにあるのが、宝きょう印塔と、その御聖木。これは御頭ミシャグチ総社にならぶ御聖木。ここは未だ行く人は少ない秘境の聖地です。


 巨木・長寿の木としては、最も有名なものと言えば、世界自然遺産の九州・屋久島の縄文杉ではないかと思います。樹齢数千年、一説には7000年とも。圧倒的な迫力です。


 屋久島に最初に行った時には、その木だけではなく、その森と水を中心とした純粋な自然全体が、霊気に溢れ、まさに生きていると感じ、衝撃を受けました。


 とはいえ、非常に重要なこととして、聖地とは、有名なものばかりではありません。名も知れぬ聖地が沢山有ります。それは行ってみないと分からない。


 つい先日も、長野の小諸道場近くの巡礼で、湯の道の百体観音を巡っていた時に、名も知れぬ聖地を見つけました。こうして、名も知れぬ聖地で、神聖な波動を発する御聖木があります。


 それは、皆さんがお住まいの近くや、皆さんの故郷や、皆さんが訪れる自然郊外にあるかもしれません。