接客が好きならいつでも好きじゃないといけないと思っていた。接客対応の中でも嫌なことはある。
その事をしている時は、接客は嫌なものになる。どんな接客も好きでいなきゃいけないと思っていた。嫌だと思ってはいけないと思っていた。
人が好きなら、全員好き、いつでも好きでいなきゃいけないと思っていた。でも、人の嫌な部分を見れば、人を嫌になる。
人をずっと好きではいられない。好きでいなきゃとしていたら余計に疲れる。
それはいけないことだと思っていたんだ。人を嫌だと思ってはいけないと。好きでいないといけないと思っていたんだ。
そもそも、グレーゾーンがあってもいいんじゃないか?
好きか嫌いかのどちらかではなくて、“どっちでもない”あるいは“(いい意味で)どうでもいい”という人がいてもいい。
接客とは違うけど、もし、人に無視されたら嫌いになる?どっちでもいいと思う?
私は無視されるのは気分が悪いから、嫌いだなって思った。でも、嫌いな人がいてもいいんだ。
感情をそのまま受け入れちゃえばいいんだ。あー、こういうことが嫌いなんだな。こーいう人が嫌いなんだなって。
全部好きな接客内容ではないからな、嫌いな事柄に関する接客をするときは、そのまま感情に飲み込まれて嫌な気分になるよりは、いい意味で“どうでもいい”と思える余裕がある方が幸せな気がする。ストレスも溜まらない気がする。
クレーム対応とかいい例だよな~。
とりあえず、“好き”か“嫌い”かのどちらかで判断しないことが大切だなって思う。
そして、“嫌い”と感じたことを受け入れてしまう。嫌いな人がいることは悪いことではない。“好き”があれば“嫌い”もある。何もおかしなことではない。
自分が嫌われるのが怖いから、認めないようにしていた。でも、“好き”があれば“嫌い”はある。自然なこと。
仕事もそうだ。好きな仕事もあれば、嫌いな仕事もある。
仕事の中に嫌いな対応があるのはどうすることもできない。できるとしたら、自分で何とかするしかない。自分自身が続けられるように考え方ややり方、向き合いかたを変えたり。あと、周りに相談してみたり。
ありがたいことに職場の人間関係はいいほうだ。(全部ではないが)
私は基本、人が好きだけど、場合によっては人を嫌いになっていいし、それを受け入れていい。嫌いな接客対応があっていい。
そう受け入れると、気持ちが少し楽になった。
人を嫌いになっていいんだ。そう思うと、変に気にならなく無くなった。
嫌いな接客があっていい。そう思うと、無理しなくていいと思えた。
心がもたなくなる前に、少しでも気付けて良かった。