………3月の初頭にお葬式をする、
「みやこ」と呼ばれていた人への手紙を綴ります。
きっとお葬式の時に出しても、
父さんに怒られるからネットの中で綴るよ。
皆には、ごめんなさい。
みやこさんへ
みやこさん、お久しぶりです。
貴方と親父は、知り合って30年の付き合いですね。
私とは20年、ということになるのでしょうか。
短い人生の記憶を辿れば、
いつも貴方の顔がちらつきます。
岩手の実家が洪水で悲惨なことになった時、
お正月、親父の同僚とはいえ、
最高気温がマイナスの中、
家の修理を手伝って下さいましたね。
私は当時5歳でした。
私の大鳥家にとっては、
実家そのものがお祖父ちゃんの形見で、
手伝って下さったこと、とても嬉しかったです。
次に思い出されてくることは、
那須塩原で行ったバーベキューです。
当時仲良しだったS川さん家族が一緒に行くのは判りますが、
未だに「どうしてあの時いたんだろう?」と疑問に思います。
ベロンベロンに酔っ払っていましたね。
当時私はいくつだったのでしょうか?
小学校をサボって行った記憶がありますが、
当時の私の年齢を教えて欲しかったです。
そうそう、自転車を下さいましたね。
私は9歳でした。
娘さんのお下がりだから、
と離婚した家族のことを話して下さいましたね。
ごめんなさい、殆ど覚えていません。
これ以降は、飲み会以外で会うことが滅多になくなりましたね。
時は飛んで、私が高校に上がった頃のことでしょうか?
一緒にラーメンを食べに行きましたね。
脂がキツかったので、女の私には辛かったです。
この頃には糖尿病で白内障を患い、
インスリン注射をしていましたね。
あの時に私が、
「肉と酒、塩分気の濃いものを控えろ」と上から目線で言いましたね。
親父には怒られましたし、
今考えると、もう少し言い様があったなぁ…と反省しています。
でも当時の私には、
「労りの気持ちを素直に伝えること」が困難な状態にありました。
ごめんなさい。
…面と向かって会ったのは、この日が最後でしたね。
あとは親父の話から近況を聞く以外、
交流がありませんでした。
やはり…というか、
判りきっていたことでしたが、
貴方は「まるで駄目なオッサン」でしたね。
それでもみやこさん…
私は、貴方のことを良いおじちゃんだと思っています。
親父がいくら「みやこは駄目なやつ」と言っても、
私には、実際遠く離れ過ぎて会いに行けないので、
近くにいる親戚のおじちゃんのように思っていました。
だからこそ、昨夜亡くなったことが信じられません。
「友達の誕生日だから死なないで」
「出来れば28日にも死なないで」
酷いことを考えてしまいましたね。
…しかし、思った時には既に手遅れ。
どうしてなんでしょう?
どうして私の好きな人達は、
私の知らないところで、
私の知らないうちに、
亡くなってしまうのでしょうか?
母方の祖父母、
父方の曾祖父、
母方の曾祖母の姉妹、でしょうか?
そしてみやこさん、
皆、気付かないうちに亡くなってしまいました。
私の死生観は、よく判らないことになっています。
唯一記憶にあるのが、年中の9月下旬、母方の祖父のお葬式です。
「じいちゃんが死んだ」
一本の電話が来て母さんに言われた時、
正直意味は判りませんでしたが、
その直後母さんがへたり込んでわぁわぁ泣き崩れる姿から、
悲しいことが起きたんだ、と悟りました。
あれよあれよという間に田舎の母の実家。
見慣れない真っ白い祭壇と、横たわる祖父。
狭い家がさらに狭くなって、沢山の親戚。
じいちゃんの遺体は肌に程よく弾力があって、
あぁじいちゃんだ、って思いました。
でも、甥姪孫一同怖がらせた仏頂面も、
私にだけ向けられた一層のデレデレ顔も、何も無い。
完全な無、の表情。
初めはじいちゃんそっくりの蝋人形だ、って思ったくらい。
赤茶けてた肌が、真っ青でした。
熱いぐらいだった体が、冷たかった。
でも間違いなく大好きなじいちゃんだった。
骨焼いた時、私には触れませんでした。
だからなのか、私には未だに祖父が亡くなった実感がありません。
ただ会えない。
もう話せない。
二度と触れあえない。
私には、死が齎すものが判りません。
遺った躯はただの抜け殻。
しかし抜け殻を私達は手厚く葬り、
遺った人々は死を受け入れ、
時に嘆き、明日を生きていく。
周りの人々を見て、客観的にはこういうものか、
程度の認識しか出来ないのです。
だからか、お葬式で涙を流したことがありません。
貴方のお葬式では、
私はどういった反応をするのでしょうね。
参列するかも未だ未定です。
手伝い程度に参加するかしないかかもしれません。
ただ一言言いたいです。
「安らかに眠って下さい。
そして、ごめんなさい」。
出来ればもう少し生きていて欲しかった…
私が自立出来るようになったら、
親父と3人で"大将"に呑みに行きたかったです。
叶わない願いとなりましたが、
親父と2人で、いつか叶えられるように私は頑張ります。
こういった、亡くなった方に手紙を認めるのに必要な常識が足りないこと、誠に申し訳ございません。
ですが、私は貴方を一人の人生の先輩として、尊敬しています。
それだけは、知っていて欲しいです。
みやこさん、
今まで有難うございました。
平成二十六年二月二十七日
大鳥の二番目の娘。
