このごろもう本当に面白い体験を日々させてもらっています。
「全てに委ねると全てを受け取れる」
といわれますが、これは自我(マインド)にとっては分かるわけないですね。
マインド(自我・私と信じているイメージ・プログラム)が分かろうとしてもわからなくて当然でした。
委ね始めると、マインドは本来の機能のように翻訳する役割を果たしてくれるようになってゆきます。
委ねることに最初は恐れを感じたり、抵抗を感じますが、存在しない錯覚によってもともと持ってない機能を使って存在しない恐れを無意識に感じているとき、
その存在しない勘違いによる恐れから身を護るために驚くほどのエネルギーを使ってきたことが分かります。![]()
このために委ねることを真に許すとき、マインドも余計な仕事をしなくてすむようになり、リラックスしてとても楽になり一緒に仲良く体験をしてくれるようになってゆきます。![]()
ピュアな愛の体験がマインドの複雑な想念によって歪んで認識がおこり、抵抗が苦るしみを生んでいたようなので苦しみというものが自然に消えてゆきます。
本当は愛を体験したいのに、それを勘違いで抵抗して感じられないから苦しかったようです。
また存在のエネルギーは気づかないときあまり感じられませんが、少しずつ心を開きはじめると、そのエネルギーを受け取る準備ができはじめるためにエネルギーが大きくなるように感じます。
このために抵抗するのにパワーもいるのかもしれないです。
本質を思い出そうとすると苦しみが増すように感じることがありますが、抵抗が苦しみだったからなのですね。![]()
このとき今まで抑制してどれほど自分が緊張していたかに全く気づかないたのにきづきます![]()
この抵抗が薄れてゆくとき、もともとここにある平安と喜び愛を感じ始めるために、毎瞬なんの理由もなく、平安や喜び愛を感じるようになります。![]()
もともとそれを感じたいのに、抑制されて苦しかったようです。
我欲や執着はよくないといわれますが、実際はそれらはこの平安と喜び愛を求めているのにマインドの概念・恐れでコーティングされて我欲や執着という違った形に見えていたようです。
抵抗を明け渡すとき今まで入ってきた情報がマインドの想念で歪められることなく、純粋に受け取れるようになってゆきます。
この体験は本当にワクワクします。
例えるなら、映画の予告を見たり、見た人の感想を聞いていろいろと予測していたけど、実際に見たら全く違った!!
そんな感じでしょうか?
映画を見ることはできるけど、映画を作り出すのは自分ではないのですが、マインドが自分であると勘違いしているときこの映画を作り直せると錯覚が起こるようです。
このために自分で人生を切り開かないといけないと信じ、世界の中で孤独に何かと戦っている感じでしょうか?
でもそれがマインドの勘違いなので、この勘違いに気づくとき、今まで体験したことのない安堵感の中に溶けてゆく感覚がします。![]()
そして、これらの全ての体験もストーリーの中にあって、苦しんでいた自分というのは存在していないことにきづき
時空間というものも存在しなかったことに気づきます。![]()
この世界がストーリーと言われたり、無とか空と言われたりするのですが、これらの気づきが起こるとき虚無感に陥ったりします。
またはマインドを通してそれを理解する時、消えてしまいそうで恐れを感じたり、この体験が上手くできなくなるような、こころここにあらずな日常になりそうですが
実際は真逆で、今まで背負ってきた存在しない重荷が降ろされた感覚になり、この瞬間が驚くほど感じられるようになってゆきます。
この身体や出来事や目の前にみえる風景や全て何にもない日常がありえないほどの奇跡だった事実に気づき、毎瞬が輝きはじめます。
過去や未来という仮想空想ではなく、真に体験できるこの瞬間の生命の躍動そのものに魅了され始めます。![]()
幸せや愛を探し求めていたのに、この瞬間にずっと自分の手よりも近くにあったことにきづくとき驚きます。
次元の上昇などと言われたり、波動を変えるといわれたり、どこか違う空間があるようにマインドが妄想しますが・・・全てはストリーであった事実に気づきます。
全てはここに展開されているストーリーであることにきづき、どこかに向かう必要がなかったことに気づきます。
また今までストーリーの中で体験してきたいろいろな学びや気づきもそれ以外は起こりえず、世界に存在しているように見える教えも、誰かが間違えることはありえず、すべてはあるがままでよかった事実に気づきます。
間違える誰かが存在していないのに気づくとき全て無時間の上に時空という体験のストーリーであったことに気づきます。
委ねのストーリーを体験するとき恐れが沢山湧き起こると思います。
分離を信じているとき何かに掴まっていないと大変なことになるようにかんじますものね。
それも自然なことであり、何も間違っていません。
無理に手放す必要はなく(マインドがマインドを手放すことなんてできないですからね)気づきが起こり自然に手放すときが来ます。
マインドの思考や感情も全て自然に湧き起こることなので、それらをあるがまんまにそのままにしてみてあげてほしい。
(といってもあるがままにできないで、探求が起こり沢山の学びをしたり、セミナーに行ったり、本を読んだりするのもそのままにすることがあるがままだったんですよね)
もし感情がゆれたらそれも何にも問題がなく、ただその感情をあることを許してあげみてほしい。
抑制したり、抵抗が起こったら、それもそのまんまあっていいことをあるがままにしてあげてみて欲しい。
欲望が湧き起こったら、それもそのままあっていいことを許してみててほしい。
もし行動が起こったら、それは自然に起こっていることなのでそこに罪悪感を感じたら、その罪悪感に寄り添ってあげてみてほしい。
いろいろな学びを学び体験が起こると思いますが、それらが役に立たなくなったら自然に手放してゆくことになると思います。
学んで信じてきたことは全て体験して、その後手放すときがやってくるようです。
そしてまた新たな体験が始まります。
全部なんにも間違っていなくて、それしか起こりえず、そしてそれらは全て本当に素晴らしい体験で全部体験したかったストーリーだったことに気づきます。
あるがままであるままにあることを許すとき、自然に全てが起こっていた事実に気づくかもしれません。
そのとき、分離の錯覚が消えて無条件の愛の中に溶けてゆくかもしれません。
今この瞬間いつも求めていたそのもので、この瞬間が目的そのもので、結果であり全てが与えられていたことに気づけますように
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