訪問くださって一緒に考えてくださってありがとうございます。
ご縁に感謝しています。
昨日近くのお店にマウンテンバイクで行ったときヘルメットをもって歩いていたら「バイクライドに最高の季節だよね」と話しかけられました。
その後彼は笑いながら「でも人間は永遠に幸せに感じないんだ」そのように言っていたので、
「何でそう思うの?」と聞いたんです。
彼は笑いながら「冬が来たら寒いと文句を言って、夏がきたら暑いと文句を言う。人間はずっと満たされないんだ。それが人間なんだよね~~~」そういって笑っていました。
もうその彼のお茶目な笑顔をみながら笑ってしまいました。
そしてなんだか人間って無邪気で愛らしな~ってすごく感じました。
そして実は気づいていないだけで望んでいること全部体験していたんですね。
本当にシンプルで面白い世界ですね。
昨日コメントで質問をいただいたので一緒にみてゆけたらと思います。
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全て自分が作っている、という「自分」というのは、個人としての自分という意味なのでしょうか?
旦那様も「自分」ですか?
よく、「自分が全て創っている」と聞きますが、個人としての自分が全てを創っているとしたら
何だか責任を感じてしまいます(>_<)
それとも、全体で創っているのでしょうか?
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そうですよね。自分で作っていると耳にすると責任を感じることがありますよね。
私もそのように感じた事が何度もあります。
この世界って本当に夢のような世界だと分かり始めるとこの謎が解けるのですが、夢のような世界であると気づくのはマインドの恐れがあるようなんです。
マインド(自意識)によって見ている世界に疑問を持つことはマインドの存在価値に疑問をっ持つことになるためにマインドが恐れるからのようです。
私達はほんとうは本質であり、マインドは分離したと信じた想念なのでマインドではないのですが、どうしてもこの世界に生きているという体験をしているときこのマインドの思考と感情を自分のものであると感じてしまうようです。
私達は自分の見たいように世界を知覚しているので自分が「作って」いるという表現をするのですよね。
マインドが見ている世界はマインドが見たいように知覚してるのですが、本当は本質が「創造」しているシンプルな世界はここにあり続けます。
分離の想念を使ってみている世界は幻想世界と呼ばれ
本質(全体)の創造している世界を実相世界とACIMでは表現されています。
分離の想念を使って世界をみるとき、相手と自分を分離した存在であると信じてみているために恐れをベースに認識が起こるようです。
私達は見ている世界を体験していると思っているけれど、実際はマインド(自意識)の信念を使って認識しているだけなので全体の作り出している世界を見ているのではなく、自分の信念を何度も何度も再生してみているようです。
このために分離していると信じマインドを信じているとき今この瞬間を全く真に見ることはできなくて、自分の見たいものを世界に投影しているだけのようなんです。
世界は一つに見えるけれど、本当はそれぞれがそれぞれの世界を見ているだけで同じ世界を見ている人はいないという感じでしょうか?
「旦那様も「自分」ですか?」という質問をくださったのですが、自分の見たいように見ているという感じでしょうか?
例えば、私の場合マインドの考えが自分のものだと信じていたとき過去彼のことを「否定的だ」と信じていました。
このため、彼が良かれと思ってアドバイスをくれていても、自分の価値観を否定されたとマインドによって認識が起こっていたのに気づかなかったんです。
なぜこのように否定されたと感じるか?というとマインドは分離していると信じているために世界に恐れを感じ新しいことに恐れを感じているようです
このために、自分を守るためには新しいことではなく今までの知っている枠の中でおとなしくしていることが安心だと信じているからのようです。
このために自分(マインド)の価値観をとても大切にしていて、価値が同じ人といる方が心地よく感じたり、自分の価値を分かってくれる人といることで安心するようです。
でも本質はもともと無限の可能性を秘めているために、こうした既知を使った価値という枠の中にいることが苦しいみたいです。
私の場合、国際結婚だけでも日本との価値が大きく違って毎日のように価値観の違いで否定されているように感じていたようです。
またここカナダは移民の国なのでこの国に移住したときはたくさんの国の人が集まっているので、毎日価値観の違いでマインドが「どうして?」「何で?」「おかしいでしょ?」「それはありえないでしょう?」そんな風に大騒ぎしてました。
このために本当は小さな枠から自由になるために起こっている出来事に対して不平不満を感じ時には怒りを感じたり・・・・・![]()
また自分(自意識・マインド)が否定されまくっているように感じて苦しかったのを思い出します。
マインドによって価値の合う人は「いい人」と認識が起こり、価値が合わない人には「否定された」と認識が起こっていましたからね。
でも本当は全部全部本質がそれらの体験を通してマインドの小さな価値の枠から自由になりたかったようです。
なんだか話がズレてしまっているように感じますが、自分が全て作っているというのは、そのように世界を自分が自分の既知を使って認識しているという感じかと思います。
さらに深くみてゆくと、認識だけでなく、この世界はエネルギーを自分の見たいように現象化してしまうということが起こっているので実際にいろいろな体験をしてしまっているようです。
といっても分離が勘違いなので、その勘違いで作っている世界全体が幻想なので、分離の錯覚から目覚めはじめると、全体(本質)の創造している世界がずっとここにあったことに気付き無条件の愛の中にいたことに気付きはじめます。
このために時に病気が消えてしまったりという奇跡のような体験を耳にしますが、実際は見ていた幻想が消えるというような体験が起こっているようです。
無条件の愛の中にいたことにきづけますように
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