訪問くださってありがとうございます。
「幸せは状況や環境とは関係ない。あなたのマインドだけと関係する」
そのように昔バシャールの話を聞いたときどこか怒りにもにた抵抗を感じたことを思い出します。
どんな状況でもいつも自分の心を変えることで幸せになるということだったのですが、
この話を聞いたとき何か自分に嘘をついているような我慢しないといけいように感じたように思います。
どう見ても世界には自分を苦しめたり動揺させる人や出来事が起こるし、それが自分の心を変えることで変わるって私だけが悪いというの~~どういうことなの~~~![]()
聖人みたいになりたいんではないのよ~~~
みたいにすご~~く損した気分で嫌な感覚をどこかで感じていたのを思い出します。
あれから心の学びを深めてゆく中で彼の伝えていることの真意が分かるようになりました。
我慢する必要はなく、実際はカン違いで信じてきた信念による制限やルールで「あるがまま」の自分を無意識に裁いていたことに気づくことに繋がっていました。
リアリティーはとてもシンプルなのにあまりにも概念・信念の方が当たり前になっていて、それらの信念に対し条件反射的に起こる反応が自分だと信じていただけで、正直に見つめると、どこまでも自分を許し、愛してゆく作業でした。
そしてその信じてきた世界への概念・信念という蜃気楼のようなベールが剥がれるときそこに見つかるのは、どこまでも優しいシンプルなリアリティーでした。
平安の中であるがままが自由に生きる喜びが何かそのときはじめてわかりました。
「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションという」
~~~アイン・シュタイン~~~
今日は昨日いただいたコメントの質問を一緒に見てゆけたらうれしいです。
~~~~~~
『エゴ』を発見するから→思考を眺めるに取り組んでます♪
そんな中 キツいなぁ(>_<)と思う現実を経験してしまい…
無意識にぐるぐる思考になってしまいます(T_T)
ただ、ただ 思考を眺める…
それが お試し?
とか? やっぱり気持ちを切り替えるべき?
とか
難しく考えてしまってるんでしょうかね(笑)
こんな時
今に集中するは?
日常に集中することなのか?
ぐるぐる思考と向き合うことなのか?
どちらが『今』なのか?
良かったアドバイスお願い致します。
~~~~~
コメントくださってありがとうございます。
お気持ち分かります。ときどき「きついな~~」と感じるような出来事が人生の中で起こりますよね。
何がエゴで何が正しいのか全くわからなくなりますよね。
この世界全体が意識が現象化されて体験している世界なので、私たちの分離意識であるエゴの勘違いも驚くほどリアルに体験してしまうためにこうした体験が起こるようです。
そしてそれを無意識に行っていることで苦しみを自分で作り上げていることに気づけいないようです。
エゴを発見する → 思考を眺める に取り組んでいらっしゃるということで素晴らしいですね。
私達の本質は「気づき」の意識などと呼ばれる存在で出来事や思考や感情全ての気づいている存在なのですよね。
「森をみて木をみず」という言葉がありますが、
木を見ているのはエゴと呼ばれる分離意識でありエゴが自分だと信じているとき相対の分離意識でしか世界が認識できないために、実際は愛しかない世界が愛と恐れという二つの認識が起こり、実際は存在していない恐れの体験が起こるという仕組みのようです。
でも実際は私たちの本質は「気づき」の意識の方であり、このリアリティーにきづくときこの世界から恐れが消えます。
とても難しく感じるのですが、実際は驚くほどシンプルな作業であることにこの先気づくと思います。
質問くださった「気持ちを切り替えるべきか?」ということでしたが、この考えだと自分をごまかしているように感じるのではないか?と思います。
こうしたきつい~~と感じるような体験をしているとき、それは観念・信念によって無意識に自分を裁いていることに気づき、自分を癒し自由になるチャンスだと思います。
またよくやってしまうのが、こうしたぐるぐるに向き合って分析してすっきりした感覚になることだとおもいます。
これは一見問題解決したようにかんじますが、実際は存在しない観念を違う観念で置き換えているエゴ君の上手なトリックだったりします。
ですから、グルグルしているのは、エゴの分離した視点からみた思考なので実際はリアリティーではないようです。
分離意識は本当は分離していない出来事を二つに分けてどちらが正しいか?という意識で見るのですが、実際はあるがままでいつも完全に起こっている世界なので、
苦しみはエゴが勝手に分離した観念を使って判断して「問題がある」「間違っている」と私たちに教えているみたいです。
私達はもともと分離した考え(エゴ)の方ではなく、思考や感情を超越した存在なので少しとまって心を静めみてゆくとその「きづき」の位置の意識とつながります。
そこで少しみてみたいのが
出来事や真実はいつも 「ただそうである」 だけなんです。
苦しみを感じるのは、それに対するエゴの分離の考えによる意見なんです。
私達はエゴからくる勘違いでもエゴと同一化しているとそちらの思いが自分のものだと信じているためにそれを大切にしてしまうことがほとんどで、ここを正直に見ることが上手くできないようです。
でも、それらの考えや意見や感情を一度横におくことをして、ただ出来事をシンプルに見つめてみることで、実際は何も問題がなかったことが分かるようになります。
起こっている出来事をどんな意見も付け加えないでただシンプルに「あるがまま」の出来事を見て見ることをしてみるといいかもしれません。
例えば、恋人にデートをドタキャンされた。
という事実があったとします。
このとき事実は「恋人が急にデートをキャンセルした。」だけなのですが、私たちは瞬時にこお出来事に沢山の意見をつけます。例えば
私をここな悲しく惨めにさせるなんて私のことを大切におもっていないんだきっと愛していないんだ。きっと私といるより楽しいことがあるんだ。私といても退屈なんだ。私に飽きたんだ。こうして少しずついつもみんな私から離れていく。きっと浮気してるんだ。日曜に家に一人何て孤独で耐えられない。友達の彼はいつも友達を一番に優先にしているのに・・・
いろいろな意見が勝手に次々と現れてきて、過去の記憶を持ち出したり・・・それらが驚くほどもっともらしく聞こえてもうびっくりします![]()
このように話を聞くと、何をしているのか?と感じますが、自分のこととなると全く分からなくなるんです。
マインド(分離意識・エゴ)の意見に驚くほど魅了されて苦しんでいることがほとんどです。
なぜなら潜在意識はリアルとイメージと区別がつかないようなので、こうして起こっている事実以外の思考(マインドの意見)をすごくリアルに感じてしまうようからのようです。
これは驚くほど私達誰もがやっていて、日常の中で起こっていることはとてもシンプルなのに、そこに過去や未来への意見がどんどん湧きあがっていてそれを驚くほど信じててリアルに感じていたりします。![]()
そこで怒り、恨み、嫉妬、悲しみ、苦しみ、惨めさ・・・・・いろいろな感情で苦しくなるようです。
ここに気づいてみることを始めると、今までマインドの夢の中でほとんどの時間を費やしていたことが分かるようになると思います。![]()
すると、世界は何も恐ろしいことはなく、ただマインドの意見に苦しんでいたことが分かります。
苦しみを感じるとき、深呼吸をして
「ただそうである」「あるがまま」何が起こっているか?
そこに意識してみるとシンプルなリアリティーが見え始めます。
ここでポイントなのは、マインドの意見を信じて、その後プラス思考に意識を変えることではないんです。
そうではなく、「ただあるがままをみる」 ということをすることで、マインドのストーリーの中での分析や書き換えや置き換えという新しいストーリーに入ることがなくなります。
そしてこれをくり返すことで、人生はもともと恐ろしいものではないことが分かり始めます。
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