人にはそれぞれのリズムがある。

 

前の記事で書いた、いわさきちひろ美術館で感じたことを、私が文章として出すまでに1ヶ月かかりました。

 

そして、これから書く、草間彌生については、さらに時間を要しました。

 

11月。

長野県、松本市美術館「草間彌生 魂のおきどころ」展。

 

 

 

 

草間彌生の生まれ故郷でもある松本。

常設展示室に大型の作品や若い頃の作品たちが展示されていました。

 

 

それらを見て、ぼう然としてしまいました。

作品の引力に、魅入られてしまった。

 

それは、「美しい」だけじゃないもの。

痛々しく、禍々しく、温度があって、うねうねしていて、はじけていて、度を超えていて、はみ出していて、まぶしい。

 

 

 

何度も、何度も、何時間も、美術館の中を行ったりきたりしました。

 

草間彌生は、有名すぎる芸術家で、その作品も、あちこちで見てきました。

だけれども、今回の展示ほど、はっとさせられたことはなかった。

 

 

草間彌生さんの「純粋さ」に撃たれました。

芸術というものは、この世と創造の源泉とをつなぐ扉のような、波打ち際のようなものだと私は思っています。

 

草間彌生は、その創造の源泉へ身ぐるみ飛び込んで、

そして、その源泉を純粋なまま、損なわずに、こちらへ持ってきて、ぽんと置く。

 

普通、人によって、「色」がつく。

それが、その人の作風というか、スタイルというか、そういうものを形づくっていくけれど。

 

草間彌生の場合は、違う。

あまりに純粋に、純粋に、純粋に、結晶のまま、それが作品に織り込まれている。

 

 

そうした作品が、まばゆいばかりに、怪しいばかりに、そこにある。

 

なんて、おそろしい想いをしただろう。

なんて、よろこびではじけんばかりになったろう。

 

その、孤独。

 

だけれども、作品をとおして、作品に触れた人の感動がひろがって、つながっていくことで、

草間彌生の孤独が昇華されていく。

 

 

そのことに、ただただ撃たれてしまった。

 

 

 

草間彌生「Chandelier of Grief」

鏡によるインスタレーション

※テートモダンの企画展の写真より拝借

 

 

 

そんな巫女のような草間彌生と、

同じ時代に、

彼女がまだ「伝説」なりきらずに、生身で生きているときに、

同じ日本に、いられたことの幸運を感じずにはいられませんでした

 

 

どうぞ彼女がしあわせでありますように

感謝とともに、そう祈らずにはいられませんでした

 

 

 

 

ありがとうございます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この感動を忘れないように(忘れようもないけれど)記念の品を購入。

我が家で活躍中。

 

 

 

夫が(私とはまた違う角度で感動を受けていたもよう)

同じ作品を見て、この衝撃を分かち合えたことも

また、ありがたし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この松本市に出合えたことも。

 

 

ありがとうございます

 

 

 

 

 

 

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