久々の雨。そして、雨上がりの朝、散歩に出たら、雨のしずくが樹木の枝のあちこちにキラキラと。とってもきれいでした。

 

 

昨年から密かにはじめていたインスタグラムにも、写真を幾つかアップしました乙女のトキメキ

全部スマホ撮影なので画質はよくありませんが、どれも好きな写真です。

 

 

 

 

さて、こんな爽やかな朝の前日・・・・

ずどーんと胸に重りを受けたようなこの舞台を観てきました。

 

 

 

主演 大竹しのぶ。演出 栗山民也。

ギリシャ悲劇を元にした『フェードル』です。

 

渋谷Bunkamura、シアターコクーン。

渋谷なんて、何年ぶりでしょう。

休日なのに、全然、人がいなーい。

天気予報が雪&雨だったこともあるでしょうが、Bunkamuraの隣の東急百貨店なんて、本当に人がいない。大丈夫なのであろうか・・・と本気で心配するレベルです。

 

 

『フェードル』は、当初、友人がたくさんチケットを押さえ(いや、しかし、ファンの力ってすごいですね。その友人は、8公演観ています。)、そのうちの幾つかを分けてもらいました。

が、再度の緊急事態宣言で、再抽選に。そうしたら再抽選後も空席が残っていることを、その友人に教えてもらい、慌てて2日前に取ったもの。

 

大竹しのぶ、林遣都、キムラ緑子・・・そうそうたる面々で、コロナでなかったら、人気すぎて一般チケットでは全く手が届かなかったと思います。

 

しかも、コロナ対策で座席に空間があいて、ゆったり(うふ)。

見に来ている人たちは、本当の演劇ファンだから落ち着いているし(うふうふ)。

 

 

 

おうし座

 

舞台は、ギリシャ・ペロポンネソス半島の町トレーゼ。

行方不明となったアテネ王テゼ(谷田歩)を探すため息子イッポリット(林遣都)は国を出ようとしていた。一方、テゼの妻フェードル(大竹しのぶ)は病に陥っていた。心配した乳母のエノース(キムラ緑子)が原因をききだすと、夫の面影を残しつつ、夫には失われた若さと高潔さに輝くイッポリットへの思いに身を焦がしていると白状する。

 

苦しみの末、フェードルは義理の息子に自分の恋心を打ち明ける。

しかし、イッポリットの心にあるのはテゼに反逆したアテネ王族の娘アリシー(瀬戸さおり)。イポリットはフェードルの気持ちを拒絶する。そんな中、テゼが突然帰還して・・・。

(『フェードル』チラシより)

 

おうし座

幕が上がって、しばらくは、

激しい感情や深い感情というものが、私にはないなぁと、

対話(セリフ)で描き出すストーリーや背景を追うのが面倒くさいし、現実的でないなぁと、

そんな考えが浮かんだりしていました。

 

が。

 

ラストでは、(最初にも書きましたが)胸がずどーんと重くなっていました。

いつの間にか、引きずり込まれていた。

 

ずどーん。

それは、感情ではないのです。

舞台から何かを受け取って、「あぁ」としか、出てこなかった。

 

だから、物語が終わって、役者さんたちがカーテンコールに応えてくれているのですが、

私の中では、物語の登場人物は悲劇の運命の中に沈んでいるのに、それを演じた役者さんたちが生きて元気に手を振っている、そのギャップが激しすぎて、

しばらくこちらの世界に戻ってこれませんでした。

 

大竹しのぶがもちろん素晴らしくて、この舞台の全体、すみずみまでを彼女の存在感が行き渡っているのですが、役者さん全員が全員を引き立てあっていて。

 

そして、シンプルながらも光と影を演出する舞台装置や音響、その効果も素晴らしく。

赤いひもが天井から下がっているのですが、それがフェードルの呪われた血筋を表しているようでもあり、未来への不吉な予兆のようでもあり、つまり空間だけじゃなくて永遠に繰り返される時間がそこに具現化されていて。

 

 

すべてが、『フェードル』という素晴らしいひとつの「場」を作り上げている。

そのことに、とても感動しました。

 

 

おうし座

 

少し時間が経ち、私が感じたことを、表現してみると。

それは、こういうこと。

 

 

 

 

そう。つまり、Gravity

(重大さ、容易ならぬこと、重さ、まじめさ、真剣さ、厳粛、沈着、地球引力、重力)

 

 

フェードル(大竹しのぶ)を中心に、重力が発生して空間がゆがむ。

すべての関係者、登場人物、観客が、引力と重力波によって結合し、響き合い、引き寄せられていく。

 

それぞれは個を失うことなく、精一杯自由に、生ききって、

それでも、それすらもまた、大宇宙の綾に、絡め取られていく。

いえ、「綾」を自ら広げ出す。

 

 

フェードル個人に沸き上がった恋情(小宇宙)を描ききり、

そのことによって、善悪や悲しいとか嬉しいとかいう感情ドラマを超越して、

大宇宙の摂理(Gravityを含む)をも表現しきってしまう、その偉大さ。

 

そう。だから、役者は、「善悪」や「感情」を超えて、ただすべてを受け入れる器になりきらねば成立しない。

 

役者って・・・。

演劇って・・・。

演出家って・・・。

 

そしてまた、原作ラ・シーヌ(17世紀フランス)にヒントを与えた

古代ギリシャの詩人エウリピデス(紀元前5C、アテネ)の人間と神へのまなざしって・・・。

すごい。

 

社会通念上は、「悲劇」かもしれないけれど、

神様の目線でみたらそれは決して悲劇じゃない。

 

「人間」という、ただ、ただ、その「存在」(=Gravity)を描ききる。

描かれた人間は、重力場(運命)の中であらがえなくて屑のように小さいのに、逆に、その「人間」の重みに、圧倒される。

 

本当に、すごい。

 

それにしても、あんな舞台を、よく何日間も。

日によっては、2公演も・・・。役者さん、尋常じゃありません。

 

おうし座

 

すべての役者さんに、とても感動したのですが、書き切れないので、一つだけ。

 

フェードル(大竹しのぶ)が、おそろしくもあり、かわいくもあり、こっけいでもあり。

毒をあおって、その毒が全身に回っていく様子を、セリフで表現するのですが、私まで心臓が氷のように冷たくなって、その冷たくなった血液で全身が冷えて固くなっていく、フェードルに共振して、そんな感触まで感じ取りました。

 

そしてまた、フェードルは、最期まで、己の恋、己の気持ちを、どこまでも追究していくのですよね。

許しを乞うたり、

生き残るために嘘をついたりしない(できない)。

あくまで、己に、己に起こる情に忠実に生ききる。

 

あっぱれ、です。

 

 

 

おとめ座

 

素晴らしい舞台でした

 

たった1回きりしかない「舞台」のきらめき

 

最高です

 

 

ありがとうございました

 

赤薔薇

 

 

 

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