「自分のルーツ」からのはなし | 50代の「今を生きる」~Enjoy My Life* 日々の暮らしから~

50代の「今を生きる」~Enjoy My Life* 日々の暮らしから~

自分の身のまわりにある、小さな幸せにも気づけたら
大切に今を生きることにつながる。
いつかの為じゃなくて「今日」を生きる。
心理カウンセラーyukkie♪(ユッキー)が
50代になり、日々の暮らしのなかの小さなHappyをお届けしてます。

今日の日記は長くなりそうです(笑)
題名をみて興味がない方はスルーしてください♪にひひ


今のお仕事をするようになって
12月で8年目に入ります。

その前も人とかかわる仕事をしてきましたが
より一層、人との出会いも増え、
いろんなタイプの方とお会いすることも
多くなり、それが故に私も自分自身を観る
ことが多くなりました。

特に40代になり
ここ数年、「自分とは?」を考えるとき、
また、感じるとき

自分の源、ルーツ

ここはとても大事にしたいな~と
感じるようになりました

若いときはそれこそ
あまり気にしなくても
生きてこれたけれど、

やはり自分ひとりで生まれたわけではない
ましてや今、自分ひとりでいきていけるわけでもない

いろんな人のおかげさまで
お世話になって、手や目や心をかけてもらって
今の自分がいる。人とのかかわりがあって
暮らしていける。

そんなことを常々思うようになってきました。

この命も与えてもらって
生かされていて
生きていくということは
何かを学ぶためかもしれないし
自分の命をなにかに活かしていくためかもしれない。


でもぱっとうまれたわけではなくて

繫がりやある延長線上にのせていただいている

わけです。

誰にでも、親がいて、そのまた親がいて
10代前にさかのぼれば1024人の
ご先祖様が誰にでもいらっしゃいます。
更にその前をさかのぼれば、
本当に気が遠くなるくらいの人数です。

そのひとりでも欠けたら、
今の自分はいない。存在しません。

だから
「ご縁」って素晴らしい「奇跡の経過・結果」なんですね。

お逢いしたことのないご先祖様に
今、逢うことはできないけれど
想いを馳せることはできます。

きっと私が子供そしてその孫と、命が
続いていったら
そこにやはり心や想いを配りたくなるように

ご先祖様も子孫である
私たちのことを愛をもって
みまもっていてくれるに
違いありません。

その想いは本当にありがたいものです。

「あ~何かに守られて、いきているんだな」

ふと、そう感じることが多くなりました。


お仕事で訪れる場所は何かしらご縁がある場所が
多くて、そのたびに一緒に御礼詣りをしていたりします。

「いつかいきたい」「いってみたい」
「あの人も逢いたい」「あっておきたい」

そうおもっていてもなかなか足がむかないときも
あるでしょう。

でも私は今、いきたいところには何故そう思うのか?
逢いたい人には自分のやれること(伝えてみるとかね)を
するだけです。

で、おもしろいことに
ご縁がある人や場所ってタイミングもあうし、無理しなくても
自然といけたり、あえたりする。

逆にご縁が無い場所や人って、どんなにがんばっても無理(笑)


だから「ご縁」なんですけどね。


さて、前置きが長くなりましたが、


私の一番のルーツ、両親。

母は亡くなって12年経ちましたが
長野の出身でした。
子供のころは家族で夏休みや冬休みになると
祖母を訪ねて、よく遊びにいきました。
(祖父は母が2歳のころに病死しています)

その祖母も母も亡くなると、
やはり足がむかなくなり、
でも2年前に講座で上田にお邪魔した際に前泊して
本当に十何年ぶりかに母の実家に行き
親戚に逢って、私が子供のころ、
唯一存命していた祖母を含む
ご先祖様のお墓詣りもしてくることができました。

80歳をすぎた叔父、叔母もとても喜んでくれて
元気なときに逢えるというのは
改めて喜ばしいことなんだなとつくづく思いました


そして、その頃から
父方のご先祖様のお墓詣りもしたいと思うようになりました。


とはいっても、父は鹿児島出身。

おいそれといける距離でもありません。

父方の祖父母は私が1歳になるかならないかぐらいで

相次いで、亡くなったので、祖父母がいないと

なかなか帰省することもなかったのでしょう。


私は3才のときに1度いったきりで、

そのあと、父の実家にはいったことがありませんでした。

(父はひとりでは帰省していましたが)


ですから、父に一緒にいってもらわないことには

右も左もわからないな~というところで

父に相談するも、ずっとあまり乗り気ではありませんでした。


この2年間、折をみては話すのですが

いつもはぐらかされ・・・汗


父とは価値観が本当に違いすぎて

昔はよく衝突していました。

いわゆる確執がある父子でしたが

(そのことは以前のブログでもかいてあるので

よかったら読んでみてください)


私の見方、考え方、受け止め方が変わったことで

だいぶ関係が改善されて、ここ数年は本当に

けんかすることはなくなってきました。

(以前は顔をつきあわせればけんかでした)


でも今回の件で、久しぶりに衝突もしました。


私のなかではいろんな想いが吹き出したこともありました。

そういうときって、矢印が相手にいきがちだけど

それこそ泣いては(感情のまさに成仏しながら)

自分の気持ちの確認をすることで、矢印が父にむかずにすみました。


自分の受け止めてもらえない想いは

相手がキャッチしてくれないと怒りと変化していきますが

自分でキャッチしてみる(こうおもっていたんだな~って)

ことで、無駄な怒りをうまずに済みます。



すべて自分のおもうようにはできないのです。

私がただ、いきたいだけなんだよね。

父と一緒に。

息子や夫と一緒に。


と、同時に

父にも何かいろんな私がわからない想いがあるんだろうな。


私ができることといえば

時間をかけて自分の想いを伝えていったことで

(2年かかりました)

最初の計画とはちょっと違ったけど

結果それは一番良い形で

今回私と夫と息子と父で行くことができました。


そしてそのあいだに、

夫のまたルーツ(夫の母方、父方のご先祖様めぐりもしました)

をたどることで、本当に繫がりを感じることもまたできて


そんな「いってきたよ」という話を父にすることで

私の想いが真剣なんだということも

伝わったようです。


元々、九州の方はご先祖様を大切にする風習があるとか。

話にはきいていたし、父からもよくききました。


本当に行くことが現実化してきたときには

ソワソワして、前の晩も何回も電話してくる有様。

本当はうれしかったんですね。そんな父をみていると

実際、時間をかけてでも、行動してみて

変な憶測をしなくて、ほんと、よかったとおもいました。



そして今回、鹿児島の父方のご先祖様の

お墓にいってみて、本当にびっくりしました。


関東でいう、今日はお彼岸?とおもうくらい

普段の日でもお花をかかさないという土地らしく

どこのお墓も花でうまっているのでした。

あたりまえのように、お墓詣りが日常化していて

本当にご先祖様を大切にしているんだな~というのが

わかりました。


と同時に、故郷をこよなく愛する父の気持ち

18歳で東京にでてきたときは

どんな気持ちだったのかな~

今は新幹線や飛行機があるけど

当時は1日がかりだったという話や


子供の頃の話

家族の話


いろんな話を道中にきくことができて

私からみた父と

故郷にたたずむ父とは

また違う面があるんだということ


叔母やいとこから聞く話

私の知らない話


本当に人って自分の狭い世界だけで

人を判断したりしている


自分の身を違うところに移すことで

わかること、想いはかれること

たくさんあるかもしれない




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記憶にはないけれど、3才のときに
叔父、叔母の結婚式でいった
鹿児島神宮にもいきました。


1日目の晩は、霧島温泉に
父を連れて行きました。


親孝行は親が元気なうちに。
(母が亡くなってからの自分に対する教訓です)

森の中にある湯治場という感じで
湯けむりがあちこちから湧き、
地場の高さを全身で感じました。

温泉パワーが素晴らしく、
今まで入ったどの温泉よりもよかった。

たまたま泊まったお宿がとてもよくて
庭園温泉などがあり
湯量が豊富な温泉だけあって
全身癒されました。

とてつもなく大きな混浴風呂があったので
なんと、この年にして家族4人・親子3世代ではいりましたよ!
(もちろん私はバスタオルをまいて)
息子と父が泳いでいる(笑)のを傍でみていて
不思議な感じがしました。


ホテルは100年杉にかこまれていて
その静けさと、荘厳さには目を見張るものがありました。



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まっすぐ伸びた樹齢140年の杉。

素直な心をあらわしているようです。


その夜には
あれだけ、鹿児島行きをしぶっていた父の口から
深い溜息とともに

「・・・本当にありがとう」



それを受けて、私は思いました。


感謝をするのは、私のほう

ご縁があって、けんかもしたり、いろいろあったけど

やっぱり親子なんだねえ

一緒にこられて、本当によかった。

ただ、ただもうその想いだけでした。


感動物語とかそういうものではなく

いや、それを超えたものかな。

でもひとりだったら、そこまでできませんでした。

やはり、夫や息子にも感謝です。






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次の日は父の希望の霧島神宮にも参拝して、


父はまた実家のほうへと戻りました。



私たちは九州の旅をすべく

また今度は宮崎県の高千穂へ向かいました。



当初は一緒にすべてまわりたかった私でしたが


父がNOといった理由があとからわかりました。



父には父の大事にしたいものがある。


それが私のそれと一緒ではなくても


わるいことでもなんでもない。



お互いがそれを尊重できたと


実感できた旅でした。



ちゃんとついたかな?というメールの返信には


感謝の気持ちがつづってありました。



一緒に行動しなかったからこそ

書けた、聴けた言葉がそこにあります。



親子はご縁。


それは本当に貴重なご縁だと


改めて違う視点から

そして違った感覚から


この旅でいただくことができたように思います。



そして、今住むところから遠いこの地の
パワーというか、ご縁を


言葉ではいいあらわせない

なんともいえないご縁を


その場にいったからこそ感じられるものを


まさにルーツを


感じることができました。



ただ、ただ、「そこに在る」ことに


本当に感謝できた、腑に落ちた瞬間でありました。