これから書くことは(長文)、エンタメではない。

いつもの当ブログとは雰囲気が異なると思う。

それでも、書かないでおくのは何か違うと思ったし、自己満足かもしれないけれど、記録として文字に起こす意味はあると考えた。



実は私、副業でミスをやらかした(一応、本業は医療のはず)。
詳しく書くと、先方にさらなるご迷惑をかくてしまうため、詳細な内容については記せない。
ただ、そのミスの責任は全て私にある。

やらかしてしまった、空いたパンドラの箱はもはや元には戻せず、もしも今後、何かそれで問題が発生したとしたなら、誠心誠意、先方に謝罪していくしかない。


きっと、医療ミスをしてしまうときも、こんな感じなのだろう。
忙しさや更年期による思考の鈍りを言い訳にしてはいけないけれど、連勤による疲労が想像力の不足を招いたのは事実だ。

(つたないたとえで説明を試みると、「数字の合計を7にしてはならない」ルールがあったとして、やらかした当時の私は、3+4=7や2+5、1+6はダメだと把握していたけれど、頭が働かなくて1+1+1+2+2でも7になってしまう、という少し考えれば誰でもわかることに、綺麗さっぱり気づかなかったのだ)


当事者の方が心を痛めておられると聞き、加害者ながら私も衝撃を受けた。
今まで、生まれ育ちが悪いぶん、人生を良く生きようとしてきたつもりだった。
それなのに、自分の言動で他人の心を傷つけて、不安にさせてしまうとは、考えつきもしなかった。

繰り返すが、ミスの原因は私の不注意と想像力不足で、責任は私にある。

育ちが悪いから、すぐに逃げに走って「私が死ねばいいのかな、許してもらえるのかな」と考える。
共に生きる家族に相談し、そのネガティブな選択肢は封印したが。
毒親時代の持病であった、十二指腸潰瘍が再発、更年期からの不整脈の頻発で眠れぬ日が続いた。
体調は情状酌量にはならないけれど、ワークライフバランスは見直さなければならないだろう。
ミスを避けるための余裕を暮らしに作るために。

もしも裁判になったら賠償になるだろうが、貯金もろくにないのに払えるのだろうか。
これまで、「創作に違いない」と巨大掲示板に書き込んでいた人々は、裁判によりほんとに実話だったと知って驚くだろうな…など、想像ばかりふくらんでいた。

なぜこの想像力を、やらかす前に働かせられなかったのだろう。後悔しかない。


現地へ謝罪に伺おうにも、このコロナ禍である。
直接訪問などできようもない。

この一件をメールにより謝罪したところ、先方からご寛恕を賜った。
今後、問題が起きたなら、責任をもって対処していく。
それしか私にできうることはないだろう。

自戒をこめて、記録しておく。