今日は、暗い上に長文なのでお時間のある方のみどうぞ。
まあ、私も以前は暗いブログを書いていた。
「親との闘い」カテゴリの記事がそれにあたるのだが、
気持ちが追いつめられやむを得ず暗いブログを書いていたのだ。
以前からの読者の方はご存知と思うが、私は家出人である。
親に許されず、駆け落ちをしたのである。
逃げても親からの口撃は絶えず、そのてんまつをブログに綴った。
親との問題がひと段落(続行中だが、気持ち上)して以来、
このブログはダンナくん(通称JIMMY、
親との闘いにおける彼氏Tくんと同一人物)との、
まぬけな暮らしをのんびり公開するブログに変わった。
親との闘いを読まれた方からは、
「以前のJさんとお笑いネタをやっているJさんは、
同一人物と思えない」というご感想もいただいたが、
暗い血縁関係に悩む私も私なら、
VOWねたのようなアホなものを喜んで探す私も、
また私に他ならないのである。

ここからようやく本題にはいるけれども、
私が以前同居していた人がいた。
私よりも年上の人だった。
その人は、私が女医になれば(自分が)楽に暮らせると言い、
医学部に通う上で資金援助をしてくれた
(払いきれなくなって、最終的には学費ローンを組んだが…)。
しかし、その人は私が大学の実習で疲れ切っていても
電話で愛想良くしろと怒鳴りつけた。
解剖がつらいと打ち明けたら、頭ごなしに叱られた。
向こうからは気持ちや考えを押し付けてくるのに、
私の言い分はすべて、
「屁理屈を言うな」「うるさい、生意気な」
と言って聞いてくれない人だった。
「自分のために、名外科医になって
患者家族から袖の下をもらいまくれ」
とも言って、私をうんざりさせた。
私はその人が好きで交際していたわけではない。
私の意志とは関係なく、周囲から押し付けられて
その人と同居することが決められていたのだ。
その人のことがいやでいやで、私は不眠症になった。
精神科に通った。
自殺しようとした。
だが、高校の同級生だったTくんの助けを借りて、
私はその人の支配下から逃げた。夜逃げだった。
私は思い出を持たない。
自分のアルバムも、中学や高校の卒業アルバムもない。
お気に入りのぬいぐるみや大好きな本、
大切にしていたもの何もかもを、その人の家に抛り捨てて
Tくんと逃げた。
その人は怒ったが、私はひたすらTくんの背中に隠れ、
その人に会わないように、
その人の姿を見ないように、
その人の声を聴かないように、
ただただ、かくれんぼうを続けた。
その人の親族が私を待ち伏せ金を手渡して来たこともあった。
要らない贈り物をしてきたこともあったが、
そのままその人の家に送り返した。
手紙をしげく送ってきたりしたが、
手紙は開封せず証拠袋に投げ入れた。
そのうち、その人も悟ったらしく、
受け取り拒否をされないように住所を書かず、
だが特徴的な文面と筆跡で、はがきを送ってくるようになった。
はがきならば、文面が目に入る。
ポストをまず開けるのは、Tくんの仕事となった。
その人を避け続けて数年後、
式もドレスもなく、ひっそりと結婚届を役所に出しただけの
Tくんとの結婚を遂げ、もうその人のことは過去になったと思っていた。
また、連絡があった。
今度は電話で、その人の妹からだった。
その人が重病となり、近く手術を受けるという。
だから、十年ぶりにその人に会って元気づけてほしいという。
申し訳ないが、私にはできない。
その人がいやでたまらなくて、職も捨てて逃げたのに、
当時も今も会いたいとは思わないし思えない。
冷たいと思われるだろうが、その人に会ったどころで、
元気づけるような態度をとれるわけもない。
だから、会えないとその人の妹に断った。
電話を仲介したTくんに電話を代わると、
「会ってあげてくれないかしら…?」
と私にはネコナデ声だったその人の妹が、声を荒げて
Tくんをののしるのが電話口から聞こえた。
「あなたに預けたのが間違いだった!」
その人の妹は、Tくんを怒鳴っていた。
「預けた」???
私を、Tくんに、預けたのか??
誰が。
とっくに成人して、三十を目前にした人間を、
誰が誰に預けたというのか????
私は自分の意志で、Tくんを選び、家を出たのだが。
その人の妹や、親族にとっては、
私に人権はなく、それこそイヌネコのように預けるモノ
にすぎないと、わかってしまった。
これから、その人に会わないことで私は、
いろいろな人から責められるだろう。
私は仕方ないが、Tくんが忙しい中それで神経をすり減らし、
疲れていくのが私にはとてもつらい。
きっと、これはその人が死ぬまで続くのだろう。
その人の名は、母という。
(今までの経緯をご存じない方は、こちらからどうぞ。)
http://ameblo.jp/joyblog/entry-10006029897.html
まあ、私も以前は暗いブログを書いていた。
「親との闘い」カテゴリの記事がそれにあたるのだが、
気持ちが追いつめられやむを得ず暗いブログを書いていたのだ。
以前からの読者の方はご存知と思うが、私は家出人である。
親に許されず、駆け落ちをしたのである。
逃げても親からの口撃は絶えず、そのてんまつをブログに綴った。
親との問題がひと段落(続行中だが、気持ち上)して以来、
このブログはダンナくん(通称JIMMY、
親との闘いにおける彼氏Tくんと同一人物)との、
まぬけな暮らしをのんびり公開するブログに変わった。
親との闘いを読まれた方からは、
「以前のJさんとお笑いネタをやっているJさんは、
同一人物と思えない」というご感想もいただいたが、
暗い血縁関係に悩む私も私なら、
VOWねたのようなアホなものを喜んで探す私も、
また私に他ならないのである。

ここからようやく本題にはいるけれども、
私が以前同居していた人がいた。
私よりも年上の人だった。
その人は、私が女医になれば(自分が)楽に暮らせると言い、
医学部に通う上で資金援助をしてくれた
(払いきれなくなって、最終的には学費ローンを組んだが…)。
しかし、その人は私が大学の実習で疲れ切っていても
電話で愛想良くしろと怒鳴りつけた。
解剖がつらいと打ち明けたら、頭ごなしに叱られた。
向こうからは気持ちや考えを押し付けてくるのに、
私の言い分はすべて、
「屁理屈を言うな」「うるさい、生意気な」
と言って聞いてくれない人だった。
「自分のために、名外科医になって
患者家族から袖の下をもらいまくれ」
とも言って、私をうんざりさせた。
私はその人が好きで交際していたわけではない。
私の意志とは関係なく、周囲から押し付けられて
その人と同居することが決められていたのだ。
その人のことがいやでいやで、私は不眠症になった。
精神科に通った。
自殺しようとした。
だが、高校の同級生だったTくんの助けを借りて、
私はその人の支配下から逃げた。夜逃げだった。
私は思い出を持たない。
自分のアルバムも、中学や高校の卒業アルバムもない。
お気に入りのぬいぐるみや大好きな本、
大切にしていたもの何もかもを、その人の家に抛り捨てて
Tくんと逃げた。
その人は怒ったが、私はひたすらTくんの背中に隠れ、
その人に会わないように、
その人の姿を見ないように、
その人の声を聴かないように、
ただただ、かくれんぼうを続けた。
その人の親族が私を待ち伏せ金を手渡して来たこともあった。
要らない贈り物をしてきたこともあったが、
そのままその人の家に送り返した。
手紙をしげく送ってきたりしたが、
手紙は開封せず証拠袋に投げ入れた。
そのうち、その人も悟ったらしく、
受け取り拒否をされないように住所を書かず、
だが特徴的な文面と筆跡で、はがきを送ってくるようになった。
はがきならば、文面が目に入る。
ポストをまず開けるのは、Tくんの仕事となった。
その人を避け続けて数年後、
式もドレスもなく、ひっそりと結婚届を役所に出しただけの
Tくんとの結婚を遂げ、もうその人のことは過去になったと思っていた。
また、連絡があった。
今度は電話で、その人の妹からだった。
その人が重病となり、近く手術を受けるという。
だから、十年ぶりにその人に会って元気づけてほしいという。
申し訳ないが、私にはできない。
その人がいやでたまらなくて、職も捨てて逃げたのに、
当時も今も会いたいとは思わないし思えない。
冷たいと思われるだろうが、その人に会ったどころで、
元気づけるような態度をとれるわけもない。
だから、会えないとその人の妹に断った。
電話を仲介したTくんに電話を代わると、
「会ってあげてくれないかしら…?」
と私にはネコナデ声だったその人の妹が、声を荒げて
Tくんをののしるのが電話口から聞こえた。
「あなたに預けたのが間違いだった!」
その人の妹は、Tくんを怒鳴っていた。
「預けた」???
私を、Tくんに、預けたのか??
誰が。
とっくに成人して、三十を目前にした人間を、
誰が誰に預けたというのか????
私は自分の意志で、Tくんを選び、家を出たのだが。
その人の妹や、親族にとっては、
私に人権はなく、それこそイヌネコのように預けるモノ
にすぎないと、わかってしまった。
これから、その人に会わないことで私は、
いろいろな人から責められるだろう。
私は仕方ないが、Tくんが忙しい中それで神経をすり減らし、
疲れていくのが私にはとてもつらい。
きっと、これはその人が死ぬまで続くのだろう。
その人の名は、母という。
(今までの経緯をご存じない方は、こちらからどうぞ。)
http://ameblo.jp/joyblog/entry-10006029897.html