叔母と離れて夜のN町をさすらう私とTくん。

このとき、どこをどう行ったのか、
不思議と私の記憶は欠けてしまっている。

覚えているのは、泊まった場所のことと食べた食事
くらいのものだ。

疲労の極致か半ばもうろうとなった私は、
ふらふらTくんについて歩いていたのだろう。




夕飯にしようと入った一見のソバ屋
Tくんはソバ、私はうどんをたのんだ覚えがある。


店主は我々が食べおえそうなころテーブル席にやって来て、
「おかわり、サービスだよ。」
とTくんのどんぶりに大量にソバを足していった。

我々はよほど悲壮な表情を浮かべていたのだろうか、
それとも店主の気まぐれなのか…

叔母に援助を断られて
(カンパはちゃっかりもらってきたけれども…)
憔悴していた私たちには、店主の気遣いがありがたかった。



そしてその日は、ラブホテルですらない場末の小さく古い
ホテルに、泊まった。

なぜなら2人で泊まっても5000円程度と、そこは宿泊料が
安かったのだ。


古ぼけた外装には似つかわしくない、真っ赤なじゅうたん

ミロのヴィーナスの安っぽいレプリカetc.、ちぐはぐな調度品。

「奈良」「京都」「ベニス」「パリー」などという謎の部屋名。


そんなものはよく覚えているのに、叔母の家からソバ屋、この宿と
どう移動したのかは、さっぱりと頭から消え失せているのだった。

親との決別は、数年経った今でも一語一句覚えているのだが。
記憶って不思議だ。

宿にチェック・インして、かろうじてシャワーを浴びて、
けしてきれいとはいえないシミだらけの天井を見つめていた
私たちは、明日の計画を練る間もなく泥のような眠りに
おちていった…。

(つづく)


p.s.これは現在のこと。

改めて文字におこしてみると、私の生まれ育った家庭というのは
かなり異様な家で、
その話をなぜTくんはすんなりと信じてくれたのか、
不思議になったので本人に尋ねてみた。


「こんなへんてこな話、なんで信じてくれたの?」

彼の答は…


「高校生のころのあんたって、
ちっとも笑わないし異常な感じだったもん。
この人の育った家じゃあ
そういうこともあるかなと思った」


……

ってTくん…

高校生のころの私はそんなに変人でしたかっ!!

自分ではわからないけれど、そんなものかなぁ…

ちなみに、一緒に暮らしだしてから、初めて私が
声をあげて笑ったりしたので彼にはそのことが感慨深かった
そうです。